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2006年10月31日

六国見山への散策

10月ももう今日で終わり。なんて日が経つのが早いのだろう。
例年より暖かい日が続いて、今が一番過ごしやすい気温だとか。このところ秋晴れも続いたので、久しぶりの散歩に出る事にした。足の指の捻挫もまだ痛みは残っているが正常近くになったので、足慣らしの意味もあって。
日が暮れる寸前に家を出る。輝きだけはあっても熱気を失った夕陽が張り付いたように西空に、白い半月が中空に望めた。丁度人も犬も散歩の時間帯で、ジョギングをする人やそれぞれ犬を連れた一団に出会ったりする。カラスもねぐらへと急ぐ時らしく、あちこちで「あ〜あ〜」と鳴きあっている。新しい住宅地から登り道に入るが、まだ紅葉の時期ではなく、ただ木々に巻きついた山芋の葉だけが黄色になっている。我が家のブナの木も、日の当たるところだけやっと黄色になりつつある。頂上近くになったとき、耳を疑った。あれはヒグラシの声ではないか! この温かさで蝉がまた出てきたのか・・・と思ったのだが、そうではなく、どうもモズであるようだ。モズは百舌というように、物まねも得意だ。まさかヒグラシを真似したのではないだろうが、例えばシジュウカラのジュクジュクというような声を真似たのか・・・と結論する。
頂上は無人で、夕もやの中に向いの丘陵だけが見渡せる。太陽の姿はもうなく、残光だけである。少し佇んだだけで下ってくると、麓の高校から吹奏楽が洩れてきた。部活の練習であるようだ。学園祭の季節でもある。カラスの声はもう全くしない。みんなねぐらに落着いたのだろう。辺りは暮れ始めていて、町の灯もともり始め、帰り着いたとき、丁度とっぷりと暮れた。
万歩計で歩数をはじめて測ってみたが、ずいぶん歩いたと思ったのに877歩でしかなかった。一日1万歩歩けなどと言われるが、到底無理だなあ・・・と思った。

投稿者 kinu : 21:44 | コメント (0)

2006年10月25日

秋の野の庭

久しぶりのブログです。
秋の嵐、昔風にいうと野分と言うのでしょうか、吹きすぎていって、今日はすっかり深まった秋空でした。
手入れをほとんどしないわが狭庭も、ホトトギスやリュウノヒゲの花が盛りで、紅色の秋海棠、まだ咲き残った水引草、ツワブキの花が咲きはじめました。隣の家ではサザンカの花。
水仙の葉は毎年ちゃんとこの時期伸びてきて、今年は頂いた種を蒔いた、新顔のマダガスカル・ジャスミンが、幼いながら濃い緑の5枚目の新葉を出そうとしています。
日が本当に短くなり、これを書き始めたときはまだ明るかったのに、もうとっぷり暮れてしまいました。
この日照の短さが、年齢の秋をも感じさせるのではと思ったり・・・。
私もブログを始めて1年と一ヶ月。熱しやすく冷めやすいところがあるので、ブログ熱も気温とともに少し冷めてきたのかも。

投稿者 kinu : 17:05 | コメント (1)

2006年10月04日

「二コラ・ベネデッティ ヴァイオリン・リサイタル」

毎日雨か曇りの日がつづきます。すっきりとした秋空はどこへ行ってしまったのでしょう。そんなときは心が晴れ晴れする音楽でも聴くのが一番でしょうか。
先の日曜日、予報より早く雨になってしまった中を、すこしばかり痛めた足を引きずりながら、近くで開かれるヴァイオリン・リサイタルに出かけてきました。
1987年生まれというからまだ若い、スコットランド生まれの女性。イギリス国内だけでなく国際的に目覚しい活躍をしているという新星。その美しさにも魅かれて切符を買ってしまった。共演のピアニストも美しかった。やはり美しいというのは得だなあ。
しかし入りの方は、まあまあではあるが満席と言うわけではなかった。

演目は
ブラームス:「F.A.Eソナタ」より スケルッツオ
ブラームス;ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 作品78「雨の歌」
          休憩
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
サン=サーンス:ハヴァネラ
ラヴェル:ツィガーヌ

サガンの小説に「ブラームスはお好き」というのがあるが、純文学の重厚で長い小説を読むような感じがして私には少しばかり重たい。しかしヴァイオリニストの鋭い感性やテクニックが良く感じられるものらしく、休憩時に入ってくる会話にそういう声を聞いた。
ラヴェルのソナタは、第一楽章 アレグレットは、伝統にとらわれない自由の構造、第二楽章のブルース、モデラートは、ジャズの手法を採り入れたもの、第3楽章は、技巧的で華麗な旋律と解説にあるように、現代的感覚のみなぎる技巧も華やかな曲で、すっかり魅了された。
ハヴァネラも、キューバの民族音楽であり、耳に馴染みがあり、これはサン=サーンスがキューバ出身のヴァイオリニストに捧げたものであるという。これも情熱的で技巧的で、それを細い身体で弾きこなす姿とその力量には惹きつけられる。
最後の曲も、「演奏会用狂詩曲」という副題があるようで、これもジプシー音楽の要素を持つもの。ハンガリーの民族舞曲の形式の緩急二つの構成からなるという、これもひどく技巧的で華麗で、ブラヴォーの声もひときわ高くなった。
拍手は鳴り止まず、アンコールも2曲をサービス。一つは、多分タイスの瞑想曲だと思うが、次のは分らなかった。掲示の紙を見るのを忘れてしまったのである。

投稿者 kinu : 14:43 | コメント (0)