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2006年04月28日

教育基本法改正案・閣議決定と撃壌歌

いよいよ教育基本法が改正される段取りとなった。憲法改正と連動したこの一連の動きは憂うべきものだと、私は思う。なぜなら国や郷土を愛すること、また日本の自然、伝統文化を大切にすることを、道徳の時間に殊更取り上げて学ばせる必要がなぜあるのだろうか・・・と思うからである。
私はかつて生徒を教えた経験があり、そのときの同僚や知人などから今の教育現場の話を聞くと、非常に締め付けが強くなった(特に東京都)という。教育は大切で、また教師の質もそれを左右する。しかしそれを国家権力による締め付けで行うことに、疑問を持つのである。

こんな現状を耳にし目にするにつけ、私は今「撃壌歌」を思う。
この言葉は、昔々漢文の時間(歴史も関係するが)に教わった話で「鼓腹撃壌の歌」とも記憶している。
中国の上代歌謡で、時は上古の堯の時代、時の帝が世情を探りに身をやつして巡っていたとき、百姓がこれを唄って畑仕事をしていたという。
        日出而作、
        日入而息。
        鑿井而飲、
        耕田而食。
        帝力于我何有哉。

その意味は、朝になれば(仕事に)出かけ、日が暮れれば、息(やす)む。井戸を鏨(うがち)て(水を) 飲み、田を耕して食べる(生きる)。帝力(堯帝の権力)など、私にとって何有哉(どのような影響力があろうか)。
これを聞いた堯帝は、大変満足したという話。
すなわち、民は自分たちの平和で満足した生活は、誰の力でもなく、帝の政治力や権力によるのでもなく、自然にあるものだと感じている。それこそが治世者として最高の功績だと思ったからであり、自分の政治がうまくいっていると考えたからである。
中国では、この堯と次の時代の舜とを合わせて、政治の規範、理想とした。すなわち堯舜の時代という(伝説のようであるが)。
政治というのは、本当はそんなものではないだろうか。

だが、こんなことを考えるのは余りにも理想論過ぎるだろうか。
しかし憲法もまたそれに準じた教育基本法も、言ってみれば私たち国民の理想を掲げたものではないだろうか。もちろんそれを現実化する面ではいろいろな細工も必要であろう。しかし理想という背骨まで失ってしまっては、国は堕落の一途を辿るしかないだろう。

投稿者 kinu : 21:45 | コメント (0)

2006年04月21日

綿菓子に膨らんだ緑と竹の子

4日ほど留守をしていて帰ってきたら、あたりはすっかり新緑に包まれていた。

樹木では紅色と黄緑のそれぞれのカエデの新芽(この家はカエデが多い、葉の形や色の違う大小がある)、それと同時に出てくる花(紅色の葉柄に包まれていて小さい)が一面に散り敷いてた。ドウダンや雪柳や梅を初め、ブナやソヨゴ(?)などの落葉樹の柔らかな新葉が陽射しに鮮やかである。昨日の、屋根が飛ばされたところもあったという突風交じりの春の嵐に、この家もカエデの枝が折れていた。

急に花も咲き出した。シャガがいま盛りだが、飛び石の間に根付かせたサギゴケも、白い小さな花を一面に咲かせている。花の大きな八重の椿。エビネ(普通のと黄エビネ)、ジュウニヒトエ、ミヤコワスレ、まだ名前が分らないハナニラに似た薄紫の小さな星のような5弁の花などが、咲き始めた。

気にかかっていたものを見つけに孟宗竹の中に入っていく。やっぱり顔を出していた。
筍の初収穫! 15センチほどのが1本と後はもっと小さいのが2本(このうち1本は掘るのに失敗してほとんど残らなかった)で、合計3本。さっそく茹でて、今日のお惣菜。命がすこし延びるかしら? もう少し大きいのがあれば誰かにお裾分けできるのに、これでは私一人分ぐらいだ。これからは順次、採れたものを近所や時には友人に届けられるようになるでしょう。
これを読んでくださる方には届けられず悪いですが、想像して旬の味を甦らせて下さいね。竹林といっても初め家のそばの細い斜面に3本だけ植えた孟宗竹が、今は20数本になったというもので、時には畳を突き上げたりして、家が壊されないかと心配も伴う同居者なのです。
今日もまた午後から雲行きが怪しくなり風も出てきたりしましたが、明日は穏やかな春のお天気になるそうです。明日はモーツアルトのお勉強とその音楽を楽しみに出かけます。

投稿者 kinu : 14:55 | コメント (0)

2006年04月13日

緑の産毛(うぶげ)と愛国心

このところ雨が続き、春の気温になってきたので、向かいの雑木林がいっせいに芽吹き始めた。
まだほんのりと桜色が残っているところもあるが、その紅が濃くなったところは萼(がく)の色である。
幼い葉の色は実にさまざまで、萌黄、黄緑、薄緑、鶸色、若緑、浅緑、若草色、若葉色、(これを全て実景として識別したのではなく「色の手帖」の助けを借りているのですが)、その緑のグラデーションは微妙で、そのうえ新芽は正に柔らかな産毛に包まれていたりして朧である。鳥でいえば雛、動物でいえば幼獣の頃のふかふかと可愛く柔らかい感触。この頃の林は、いのちの美しさ繊細さが感じられて私は好きだ。緑の産毛に覆われた林は日差しを浴びて、いま長々と寝そべっている。

今朝の新聞に、愛国心の記事が出ていた。教育基本法を改正して、子どもたちに愛国心を教え込むのだという。一体愛国心とは何だろうか。
私はこの国に生まれ、育ち、生きている。もちろん西洋にあこがれたり、ロシア文学に共感したり、アラブのエキゾチシズムに魅力を感じたり、いろいろな国に行ってみたいけれども、やはりどんな豪華な屋敷に招待されても、我が家が一番良いと同様、この国にいるのが一番心安らぐだろう。オリンピックがあれば日本に勝って欲しいし、日本や日本人がほめられれば嬉しい。それは自分の家族に対すると同じことだろう。そういう感情、気持ちを、取り立ててなぜ教育しなければならないのだろう。
「国」を「愛する」ということは、具体的にはどうすることだろう。「あなた」を「愛する」とは、ということを人は恋愛や結婚をする前に勉強しなければならないのだろうか。

ここに「愛」について考えてみる。極限の愛とは、多分、自分を無にして、相手に自分を捧げることだろう。
エクスタシーの極限は、死の感覚で、それによって相手と合体し、相手の中に自己を融合させる感覚であろう。釈迦でさえ、トラの前に身を投げ出す、捨身という行為をした。宗教は全てその要素を持っている。宗教であればそれで良いだろう。そういうものだからだ。キリスト教でも殉教者は全て聖人となる。
イスラム圏でその原理をあくまでも貫くイスラム原理主義が、テロに組しているのもそれゆえであろう。
彼らは自分たちの神に対して、絶対的な「愛」を捧げているのである。
そう考えると、「国」を愛することを徹底すると、何かが生じた時、国のために命を捧げることが一番素晴らしいことだということになる。それが一番純粋で、美しい行為ということになる。愛が一番深いからだ。
そう考えると、今一番愛国者が多いのは、北朝鮮ではないだろうか。彼ら個人は国と一体化し、たとえ他国の人を騙し痛めつけたとしても、国のためになれば、英雄だということになる。ここに愛のエゴイズムがある。

藤原正彦『国家の品格』はベストセラーだという。ベストセラーといわれると敬遠して、読みたくなくなる方だが、これはつい買って読んでしまった。読みやすく書かれすらすら読めるが、とてもいい本である。その内容についてはここには書かない。それを読めば、私がこの文を書くにあたって枕のように置いた向かいの雑木林の意味が分ると思います。ただここではその著者が話した新聞記事(06.4.3)を、書くことにします。
氏によれば「愛国心」という言葉には二つの異質なものが含まれているという。「その一つが『ナショナリズム(国家主義)』。これは、自分の国さえよければ他国はどうでもいいという、戦争につながりやすい危険な考えであり、私は『不潔な思想』と呼んでいる。もう一つが『祖国愛』(パトリオティズム)だ。自分の生まれた国の自然や文化、伝統、情緒といったものをこよなく愛する考え方。祖国を愛する気持ちが深ければ深いほど、相手の同様な祖国愛を大切に・・・」することができると。

この二番目の愛国心に意義を唱える人は少ないだろう。私もこれには賛成です。ここで最初の議論に戻るのですが、それを育てるためには、ただ祖国の自然や文化や伝統や情緒を、大切にしてそれを子どもたちに伝えていけば良いだけではないだろうか。それらを、国が素晴らしいものにしていけばいいのである。恋人は、恋人自身が素晴らしいから愛されるわけで、愛されるためには自分で素晴らしくなればいいのであって、「愛せ」と強制はできないことと同じことだ。

ところがここに来て、なぜ「愛国心」を、教育のなかで強調し、それを道徳かなんぞの教科のなかで教えようとするのでしょう。もしかして国家のために自分の命を捧げることが、最も素晴らしいことだと考える子どもを育てようとする、すなわち国家の兵隊を作るための布石ではないでしょうか。なぜなら前述したように、その意味と実行を、教室の中で追求していけば、(宗教団体が、会合のなかで自分たちの愛について深く考えると同じように)国を愛する極限は、自分の命を国に捧げることなのだとなっていくからです。

そんな風にわたしは考えました。でもここに述べたことはまったく個人的な、思考の遊びに過ぎません。間違ったことも多いかと思いますが、これは私的な日記ですので、物言わぬは腹ふくるると言いますから・・・。

投稿者 kinu : 16:12 | コメント (0)

2006年04月10日

劇団民藝『審判』を観にいく

実はこれは『神と人とのあいだ』その他各地での国際裁判の総序論みたいにして書くつもりの第一作だったそうで、『夏・南方のローマンス』とこれとで後が進まなくなったものだといい、木下順二作、宇野重吉で上演されたものの36年ぶりの再演であるという。
いわゆる東京裁判、すなわち極東国際軍事裁判のA級戦犯(28人)の法廷場面を描いたものである。
この事実への知識は乏しく、また前もって本などを読むことなどしていないので、ただこれを観て考えたことだけの素朴な感想を書いてみたいと思う。

裁判というのは、『怒れる12人の男たち』でもよく知られているように、言葉による闘いの要素があって、ドラマチックな部分がある。これも舞台は法廷、そして観客席が被告席と傍聴席という設定で最後まで続く。確かに劇的要素はあるが、法というものの形式的、瑣末的、事務的な部分もあって、冗長で退屈な部分も多いわけで、その中からエッセンスの部分を選択し構成して、私にでも理解できるように一幕物の劇に仕上げてられている点、さすがだと思った。

これは、大きく3つの場面に重点が置かれている。一つは「ポツダム宣言」を受諾した時にはまだ入っていなかった、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」が、新たに付け加えられたということ、また裁判長の経歴などから、この裁判は管轄権がないとして、裁判長忌避を提唱する。この日本弁護人が大滝秀治で、新聞やテレビでも取り上げられていた。法律に疎い私にはその法的根拠が良く理解できなかったが、戦勝国が敗戦国を裁くということ自体、正義と公平に基づいた判決などそもそも望めないだろうというのが、素人の感想である。その中で、正義面をして裁判席に座る連合国に対して、必死に自国の誇りを守ろうとする一弁護人のけなげな姿を描こうとしているように思った。

2つ目は、インドシナ(今のヴェトナム)における日本軍の惨殺行為、フランス軍人への虐殺の問題である。しかしそれは、その時すでにヴェトナムはフランスの植民地であったわけで、それへの抵抗運動がフランス自国でも生じて軍隊も分裂しており、その事実も一種のゲリラに相当するかもしれないと考えれば、この法廷での日本の戦争犯罪ではないということにもなる。そう主張するのが弁護側で、そうではないというのが検事側だが、それを追究していくにつれ、フランスのすなわちそれまでの植民地政策の実態が、すこしではあるが露わになっていくのである。

3つ目はケロック・ブリアン条約ー「戦争放棄に関する条約」というが、この名称など私は知らなかった。
この法廷に参加している大国はほとんどこの条約に加盟しているのである。とすると、ほとんどの大国がこの条約違反をしているではないかということになる。
それを弁護人はついてくる。泥棒(連合国)が泥棒(日本)を訴追するのはおかしいではないか・・・・と。
この弁護人と検事は連合国の人間たちが担当するのだが、その弁護人(ここには日本人もいる)はたとえアメリカ人であっても、その国からはなれて、日本国のために弁護する態度には感服した。自分はアメリカ人だが、敢えて・・・といって母国を非難して、日本を弁護する。それは弁護士という立場ゆえである。
しかし時には自国の宣伝や利害、政治的なエゴも出てくる。ここに、人間が人間を裁くという、まやかしや矛盾も露呈する。
最後に原爆投下・・・・・。この種の兵器はヘイグ条約違反であるのだという。その使用は明白な戦争犯罪だと言う。だからそれ以後の日本軍の行動は「報復の権利」が認められるともいう。
しかしそれは戦争を早く終結させるためには仕方がなかった・・・のか。
ただこの原爆投下による現状だけはしっかりと見て欲しい・・・というメッセージを残しながら幕は下りる。

シリアスなまた真面目そのものである劇だが、現実もそういう真面目な場面がかえって可笑しかったり自ずとユーモアが表れたりするが、それを巧みに生かして、笑いも生じたりした。

これを観ながら、これは遠い話だが今にも通じていると思った。イラクのフセインを裁判にかける場合はどうか。フセインを最初盛り立てたのはアメリカではないか。北朝鮮が今持て余し物になっているが、本国でもほとんど知られていなかった金日成を掘り出し偶像化することに手を貸したのが、ソ連(ロシア)だというドキュメンタリーを先日テレビで見た。自分で作り出した鬼っ子に、手を焼いているのである。

しかしこの裁判をまやかしだと言ってしまうわけには行かない。そう言って、あの戦争を正当化する動きも強くなっているからである。裁判そのものはたくさんの問題があるけれど、日本が行った侵略や不当な行為、残虐行為がそれで消えるわけではないということである。
そして「東京裁判とはなんであったか」・・・
それは日本人の手によらず、全て「あちらさん」任せにしたのである。それを木下順二は言っている。もちろんそういう裁きも当然あるが、今、靖国神社が問題になっているのも「自らの手で戦争責任を追及しなかったこと」にあると、木下氏はあの世で言っているような気がする。その点ドイツは違っていたという。もちろんナチという大掛かりなものではなかったからかもしれないけれど、自国の問題としては、それをやってこなかったツケが今来ているのだろう。

細かいことはもう疲れたのでやめるけれど、一つだけ、パンフレッドによって知ったことをここに書いておくことにします。「戦争犯罪には時効を適用しない」という条約が国連第23回総会で成立して1970年に発効したのに、日本政府はこれに批准していない、とのこと。しかしこの文章は1976年なので、今は知りません。でもそれに批准しているとすると、靖国問題にも関係しますね。

投稿者 kinu : 15:37 | コメント (0)

2006年04月08日

「かもめ食堂」とレシピ詩集

今日は春の嵐の一日。晴れた空が一瞬曇り、雨が降り、突風が吹く。雹が降ったところがあるかもしれない。「花に嵐」のたとえ通り、歩けば花吹雪である。このような中で映画「かもめ食堂」のことを書くのはすこし難しい。場所はフィンランドのヘルシンキ、気候風土がまったく違う感じだからである。だからこの日本の現実から離れて、映画の世界に、一気に飛び込むことにしよう。

これを見たのは、すこし話題になりかけた頃だが、書く機会をなぜか逸してしまっていた。なぜなら美味しいものを食べた後の満足感のようなものがあって、あれこれ喋る必要がないように感じたからである。とにかく気持ちがよく、気分がさわやかになり、豊かな森とカモメの舞う港町と青い空、すがすがしい大気の中でのんびり暮らす人々、その日常を感じるだけで十分な気がしたのであった。

日本女性のサチエが、なぜか一人で「かもめ食堂」を新規開店する。ガラス張りのシンプルで清潔な店構えだが、メインが3種のおにぎりというのが面白い(おにぎりは確かに美味しいですよね!)。もちろん他の料理もあるのだが、鮭の網焼き、豚のショウガ焼き、とんかつなど、日本の家庭料理である。それらが目の前で料理されるが、とにかく美味しそうで食べたくなる。
最初は訪れる人は誰もいない。しかし少しずつ興味を持って眺めて行く町の人も出て、また日本が好きな青年の登場など、ちょっとしたエピソードもあって、最後は満席になるという、その過程を淡々と描いただけのものであるが、そういう日常が、ゆったりとした時間の流れの中で豊かに暮らしているヘルシンキという町の人々生活とその空気を鏡となって写し出す。
女店主の小林聡美の他、片桐はいり、もたいまさこ、それぞれ個性的な俳優の組み合わせもよく、笑ってしまうシーンもあって、楽しい。女性3人だけの店というのも、今日の女性の生き方それぞれが背後に想像できて、これにも共鳴させられる。
「どうしてこの町の人は、ゆったりとした生活が送れるのでしょうか」というようなことをサチエが、青年に聞いた時、彼は言うのだった。「それは森があるからでしょう」と。それが心に残った。

それを見た頃、羽生槙子さんから『想像』112号が届いた。羽生さんは野菜作りを通して、環境問題から社会問題まで視野を延ばし、また実際の活動も地道になさって、いつも感服し、また畑の詩も楽しく読んでいるのだが、そこに友田美保さんが最近レシピ詩集といってレシピを詩にしたものをのせている。その一つをここに紹介する。

         酢みそ和え

  あたたかくなってくると
  ひんやりした 酢みそ和えが 食べたくなる。
  ちょうど わけぎが 畑で 育っている。

  わけぎをゆでて ワカメをもどし
  あおやぎを 魚屋で 買って来たら
  みそ さとう 酢 からしを ほどよくまぜ。
  わけぎとワカメとあおやぎを 和える。

  それに サワラの塩やきと
  菜の花のおひたしと
  フキノトウと入れた トウフのみそ汁。

  春の香りが するでしょう。

この詩も、読むと酢みそ和えが食べたくなる詩です。

投稿者 kinu : 17:24 | コメント (0)

2006年04月02日

このあたりの桜たち

東京・横浜のソメイヨシノは満開とか、昨日はお花日和ということなので、この辺りの桜たちに会いに行くことにした。向かいの雑木林も、仄かな芽吹きにほんのりと薄紅色が混じるようになってきた。

六国見山から明月谷に抜けるコース。4時を過ぎてからなので人もほとんどいない。
このあたりの桜は山桜と大島桜が多い。ヤマザクラはえび茶色の葉といっしょに花が咲く。オオシマザクラは花の色は白に近く、葉は緑色でやはり花と共に芽吹くようだ。だからソメイヨシノのような華やかさはない。染井吉野は染井という江戸の町に由来することからでも分るが江戸時代に品種改良されたもので新しい。
今のお花見の形も、庶民が享楽できるようになった江戸時代、特に江戸の庶民の習慣から来たのかもしれない。昔は、というよりこの辺のお花見は、花の下でというのではなく、丘陵の緑の中に点在する桜を遠くから眺めて楽しむものだったと、これは「台峯歩きの会」で聞いたことである。

頂上の桜は、まだ蕾が多かった。だがその花を見上げるよりも前方の丘陵の重なりの、あちこちが桜色に染まっているのを眺めるのが快い。ああ今年もまた春がきたのだなあ・・・と。そしてこういう感慨はこれから年を重ねるにつれ多くなっていくのだろうとも思うのだった。
そこから尾根伝いに明月谷へと下りて行く。そして明月谷に至ろうとする途中の眺望が、私のお気に入りだ。深い谷のこちらと向かいの、まだ幼い芽吹きの、微妙な濃淡をした緑の中に桜色が刷毛で描いたようににじんでいる・・・。このあたりはソメイヨシノも結構あるようだ。
この谷の喫茶店「笛」で休んでいこうとしたら、3月末頃から4月2日まで春休みをしますと書かれてあった。この間は木曜日だったので休業日、どうもこの店とはタイミングが良くないようで残念。
明月院に来るとすでに閉門しているが観光客の姿もあって、いっしょにぶらぶらと、ほぼ満開のソメイヨシノを見上げながら駅まで歩いた。それから雲頂庵への階段を上り、また線路の向こうの丘陵を眺めながら帰途についた。その丘陵の向こうが台峯の谷戸である。

投稿者 kinu : 15:33 | コメント (0)