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2005年12月28日

来年 少しは世界が明るくなりますように

禍々しい事が多かった今年の、最後の一撃というような強い寒波の襲来。異常なほどの大雪と、なんて痛ましい羽越線の事故! 猛吹雪の中、救助する方も大変だなあと、青空の下で思うだけですけれど。

このところ私の毎朝は、鳥の水飲み場(浅い皿と鉢)の氷を割ることから始まります。5ミリほどの氷を砕いて捨て、水を湛えておくのですが、陽がささないうちにまたうっすらミルクの膜のような氷が出来ていたりします。12月からこんな寒さがやって来るなんて初めてだと、灯油を届けてくれた人が驚いていました。
それでも鳥たちは水浴びにいつもより多いくらいやって来るようで、いつの間にか水は底に近いほどに減っていて、それを見ると嬉しくて、また新しい水を張ってやったりしています。

年末から年始にかけて、新潟の鄙びた温泉にグループで行くようになってもう20年にもなりますが、去年は大地震でダメかと思いましたが、何とか復旧して出かけたのですが、今年はまたこの大雪で、どうなることやらと少々心配しています。

このようなわけでこのブログも今年は最後にいたします。
このようなぶつぶつした呟きをご覧くださった方々に、お礼を申し上げると同時に、皆様どうか良いお年をお迎えくださいますように、お祈りしております。
では、また来年もよろしくお願いします。

投稿者 kinu : 16:09 | コメント (0)

2005年12月25日

新潟の「大停電」から「マッチ」を思う

日本海側が依然として異常な大雪に見舞われているのに、今日もここは、からからの晴天続きである。
なんと自然は不公平なものだろう。大変だろうなと思ってもどうすることも出来ない。
先日新潟で雪による大停電が起こった。一番長くて31時間、65万戸に至ったという。

さっきFMの「日曜喫茶室」(今日はクリスマス特別番組で、常連4人からの贈りものと題した雑談)で安野光雅さんがその停電に触れ、そうなったらこの寒さの中どういう風に暖を取ったらいいか考えてしまったという。懐中電灯、マッチでさえ手元になくて・・・・という言葉に触発されて、「マッチ」についてここに書きたくなった。

寒中の暖について言えば、いまやガスストーブは少ないのではないだろうか。石油は私も使っているが考えてみれば温風式なので、発火には電気を使っているのでダメである。湯たんぽは、最近になって重宝なことが分り一昨年まで使っていたが、羊毛シーツにしたのでやめてしまった。残るのは木炭、炭である、幸い最近火鉢に炭の生活を愉しんでみようと思って、しばらく楽しんだが、やはり風流には余裕と忍耐が必要で、元の簡便な暮らしに戻ってしまった。しかしまだ炭は残っているので、電気もガスも止まってしまってもそれで一応は煮炊きもでき暖もとれる・・などと思ったりした。

ここで「マッチ」に戻るのだが、今私はマッチが買えないでいる。スーパーには確かにあるにはあったが、大箱しかなく、いわゆるマッチ箱のようなという比喩にも使われる小箱のがないので、コンビニのほうが置いているかと思ったが、2、3軒入ってみたが置いていない。線香や小さな蝋燭は置いてあるのに、なぜ、と問いただしたのであるけれど・・・。ライターで火を・・ということだろうが、仏壇や神棚の前でライターは似合わないだけでなく、それは丸々燃えないごみになる。
折りしもクリスマス、その蝋燭にはやはりマッチが似合うはずだ。「マッチ売りの少女」などはファンタジーの中だけだけれど、ライターでは幸福な幻などは見られない。ライターは点火という一瞬の機能だけを果たすが、マッチは燃え上がり、炎が揺らめき、それが次第に燃え尽き、黒く灰になって残骸になって横たわるドラマがある。
うちにはマッチは置いていませんよ、と何でもなく言い放つコンビニの店主に、心のうちで腹を立てながら帰ってきたのであった。

投稿者 kinu : 15:05 | コメント (0)

2005年12月23日

「Little Biredsーイラク 戦火の家族たちー」を観る

鎌倉・九条の会主催の「十二月に語る平和」でこのドキュメンタリー映画(綿井健陽監督)を観る。

第一部は、朗読と歌。
朗読:原田 静
    「野ばら」小川未明作。   「はなのすきなうし」マンロー・リーフ作
歌:新谷のり子・有澤 猛(ギター演奏)
    「花はどこへいった」ピート・シーガー作詞・作曲
    「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎作詞 武満徹作曲
*いずれも決してスローガン的なものではなく、やさしくしみじみとしたもので、演出・演技もよく心に平和への思いが伝わってきた。

第二部が、映画である。これは副題にあるように、2003年3月、アメリカによるバクダット空爆に始まるイラク戦争を、その爆撃を受ける側からその現状を報じたドキュメンタリーである。空爆前の市民の姿や市場の賑わい、「最後通告」が始まっての市民の声や動きがとらえられ、そしてあの空爆・・・・。そしてその後が、語られる。
そこで破壊され殺され傷ついたものの多くは無辜の市民たちであり、特に子どもたちである。その現場の姿をカメラは平静に、しかし彼らに寄り添うように記録して行く。民家の破壊の様子や病院の内部、学校。さまざまな破壊現場や傷つき苦しむ人々、肉親を失って悲しく人々が映されるが、特にイ・イ戦争で2人の兄を失い、今度の空爆でまだ幼い子を3人もなくした一家には、家庭の中、心の内まで踏み込んだ形でその悲しみを描き、それを克服して行こうとする様子をとらえている。

イラク人は概して日本人に対して好意的である。インタビューにも日本は好き、日本人も好きと答える。しかしブッシュと組んで(アメリカに原爆を2つも落とされたのに・・)イラクを攻撃したのはなぜか、許せないというのだ。
日本の自衛隊が到着した時の映像もある。隊員が悪いわけではないが、まさに漫画チックであった。
市民たちは日本人が来ること、援助してくれることは歓迎しているが、それは自衛隊や軍隊としてではないことが、よく分るのである。
バクダットが制圧されて、米軍の戦車が入ってくるのだが、サダムが倒されたことは喜んでいても、それ以上に多くの市民、特に子どもたちが殺され被害が拡大して行くことで、フセイン政権下以上の憎しみも募って行く。銃を構え、決して手放さない米軍の無表情な顔と、異口同音に「自分たちはイラクを解放に来た」、そして「彼らは自由を得て皆喜んでいるはずだ」としか答えないロボットのような姿がとても印象的だ。確かに兵として戦うことは誰もがロボットとならねばできないことだ。故郷にいれば溌剌としていたにちがいない青年も、そこでは無表情で銃を突きつけるロボットにならねばならない米兵が、哀れでもある。そのことをカメラも感じるのか、質問に「自分になぜ聞いてくるのか。答えることはできない」といって去っていく、悄然とした後姿を暫く追っているシーンもあった。
終わってからは、しばらく何もいえない気持ちになってしまった。

この映画の詳細は同監督の著書によって知ることができる。多くの写真もあって読みやすい。関心のある方は、お読みになってください。
『リトルバーズ 戦火のバクダッドから』綿井健陽 晶文社 1600円

投稿者 kinu : 15:05 | コメント (0)

2005年12月18日

師走の台峯

日曜日の今日は台峯を歩く日である。
日本海側は記録的な大雪で大変な様子なのに、ここ関東は雲一つない青空。しかし寒気はきびしく、シバレルような寒さ。それでも奮い立って防寒を十分にして出かけた。
太陽のありがたみを感じる。陽射しが暖かい。そして日陰に入ると急に寒くなる。

今年は一体にもみじが遅く、まだこのあたりは多く残って、冬枯れに彩を与えている。
花はなく、赤い実の季節である。ビナンカズラ、ツルウメモドキ、千両、万両、ヤブコウジなど。
なぜこの季節赤い実なのか、というと鳥は犬などと違って人間と同じ色彩感覚を持っているので、やはり赤という色は、枯れ草や雪などの中で目立つから(というのが有力な説)らしい。

富士が見えるところに来た時、箱根連山への山並みがくっきりと眺められた。東京都内からでも遠望できるこの季節が一番よく富士の勇姿が望めるのである。暫く立ち止まって山の名前を教わりながら眺める。雪もかなり裾野まで広がっていた。
都内からやってきた人がこの大きな富士を見ながら、やっぱり富士山はりっぱですね・・・と声を上げた。

一ヶ月ぶりだがやはりまた開発の手が伸びてきていることを知る。2番目の田んぼの隣の草地が整地され、土手が大きく削られ、行く手は工事の為通行禁止になっている。しかし日曜日で工事がないため、張られている鉄条網の端をくぐって前進することにした。このあたりも車が通るようにするのかもしれない。そうすると田んぼの命脈もあと少しということだろうか。
今のところ残されることになった台峯自体はまだ手がつけられていないけれど、その残し方がこれから大いに問題になってくる。それについても話が出たが、それはまた書くことにします。ただその区画の周辺が次々に動き出した感がある。出口に当る場所、先月美しい荻の原であったところがすっかり刈り取られ、駐車場のようになっているようであった。

今年はなぜか鳥の姿がほとんど見られないと言っていました。シベリアからまだ渡ってこないのだろうかと。それでも天空を行くノスリ、2羽が見えたのは嬉しかった。トビも一羽(これは江ノ島などではもう嫌われ者になっているようだが)、コゲラも見えたというが私の目には留まらなかった。

投稿者 kinu : 17:08 | コメント (0)

2005年12月17日

やっと「李禹煥」を見にいく

横浜に出ることがあって、やっと横浜美術館に行くことができた。プーシキン展も行きたかったけれど、とうとう行けそうもない。しかしこれだけはぜひ見たかったのである。
クリスマスと年末を控えて、横浜駅周辺の人ごみにうんざりしながら、泉の水を求めるような気持ちで辿りついたのだった。

思ったとおり入場者は少なく、広々とした空間にゆったりと身をゆだねる事ができた。
まさに鋼鉄そのものといったような鉄の屏風とその前におかれた採石場から今持ってきたかと思われるような角ばった白い大石たちに迎えられる。
内部もたくさんのこれは見事に長い歳月によって造形されたさまざまな形と色をした大きな石、この自然の造形に対する人工でしかもそれに対決できるものとしては鋼鉄しかないだろう。それが常に形を変え、位置を変え、互いに呼応するように置かれている。その中の一つの石だけを眺めていたとしても飽きないだろうと思われるほどの素晴らしい大きな石たち・・・。それと同じくらいに人の手による技術によって磨き上げられた鉄の板や棒との組み合わせ。
そういう不動のものに対して、白い大きなパネルに平たい刷毛で墨色をわずかにのせたばかりの作品の数々は、まさに余白の芸術といってよいだろう。

鋼鉄と石の作品が関係項と名づけられ、それが確たる物の存在を示しているとすれば(それぞれ照応、安らぎ、過剰、張り合い、彼と彼女などと名付けられている)、こちらの方は、その間を吹き抜ける風のようにも私には感じられた。その風が、余白が、ずしりとした存在を輝かせ、呼吸させる。

白いカンバスに筆を下ろすグレーの色について、次のような言葉が書かれていたのでそれを記したい。
 「複雑な現実に近づきたい人は
  多くの色の配合を、
  厳密な観念を表したい人は 
  明確な単色を好む。
  私の発想に中間者的なところがあるせいか、
  用いる色が次第に曖昧なものに限定され、 
  グレーのバリエーションが多くなった。
  筆で白いカンバスに
  グレーのわずかなタッチを施すと、
  画面がどこか陰影を伴い漠とした明るさに満ちる。
  グレーは自己主張が弱く概念性に欠けてはいるが、 
  限りない含みと暗示性に富んで、
  現実と観念を共に浄化してくれるのである。」

人間は、純粋に現実だけでもまた観念だけでも生きられない。ここにあるグレー、墨色、また鋼鉄という技術のきわみと石という自然そのものとの照応、この微妙な釣り合いが、人の心をなごめ、またゆったりとそれらに包まれる感じを与えるのではないだろうか。

投稿者 kinu : 20:54 | コメント (0)

2005年12月14日

「第九」を聴きに行く

今朝は冷え込んで、鳥の水のみ場に薄く氷が張っていた。
屋根に霜が下りるのはもう何日も前からだが・・・。

12日の宵、上野の東京文化会館に早々と『第九』を聴きに行った。
Tさんが、このブログでも前に紹介した合唱団「東京コール・フリーデ」に属しているので、そのお蔭で最近は毎年愉しんでいる。(東京シティ・フィルハーモニック 指揮:北原幸男)
こんな風に第九がもてはやされるのは日本だけだそうだが、やはりベートーベンは年末に合う気がする。寒風に落ち葉が(所によっては雪が)舞う中、一年の間にたまった塵や埃、悩みや苦しみ、不愉快なことを、オーケストラの管弦楽器、打楽器の力強い響きが背をたたいて押し出してくれ、元気が取り戻せるような感じになるのでは・・・と思ったりする。
いつものように第一部はソリストたちの「珠玉のオペラ・アリア集」で、「鳥の歌」や「オレンジの花咲く国・・」・・・など。第二部が、いよいよお待ちかねの合唱つきの第九。
ここの公演の歴史は古く、今年は28年目のようである。第一回のオケの指揮者は渡辺暁雄でその後大町陽一郎、石丸寛など私も知っている名前がある。しかし最近は合唱団員不足で、この練習に向かっての結団式があった9月には60名しか集まらなかったそうで、しかしその後の実行委員たちの尽力もあって、最終的には160名以上になったとの事。それでも少数精鋭で頑張ったと、最後の挨拶で合唱指揮の伊佐治邦治氏が述べていたが、確かに合唱もオーケストラもしっかりした音色で熱気が感じられた。今年は一度も眠らなかった、と共に聴いた友達の一人が笑いながら感想を述べていた。
Tさんも実行委員の一人である。

投稿者 kinu : 15:42 | コメント (0)

2005年12月11日

上原綾子 ピアノ・リサイタル

この辺りは、いま、もみじが最も美しい。風と雨が来ると一度に散ってしまいそうな気配を持つもみじである。その下に立つと怪しげな感じさえして、昔の人が猩々やら何やらが表れ出ると感じたのも分る気がする。紅葉狩りなどといって・・・。
昨日、芸術館のピアノ・リサイタルを聴きに行った。曲は前半はモーツアルト(ソナタ第4番)シューマン(クライスレアーナ)、後半はスクリャービンの曲が多く、最後はラフマニノフ(ソナタ第2番)だった。スクリャービンを私はほとんど知らなかった。ラフマニノフは有名なピアノ協奏曲などでなじみだが、同年代のロシア人だというけれど、不思議な感じがする曲だった。ピアニストも高い技術と理解力が要るのではないかと思われる抽象性を持った曲のような気がした。音楽鑑賞としても初歩である私だから当っているかどうか分らないが、とにかくそういう思いを抱きつつ、白いコスチューム姿の、清楚で若い上原さんの流れるように情熱的な演奏に耳を澄ませた。

投稿者 kinu : 17:36 | コメント (0)

2005年12月07日

庭に来る鳥(アオジ)

今朝も落ち葉かきをしたが、それを裏に運んで振り返った時、アオジと出会ってしまった。
箒を置いたままにしていたが、鳥がいるので近づけず、「達磨さんが転んだ」の鬼に見つめられている時のように動けなくなってしまった。
この庭に、昔はもっとたくさん鳥が訪れていたが、今は少なくなった。メジロ、シジュウカラ、時々ウグイス、冬場はヒヨドリ、ひまわりの種を出している時はカワラヒワが大勢で来ていた。訪れる鳥について書くと長くなるので止めるが、アオジは変わった鳥である。私とぶつかってもすぐには逃げないのである。
鳥たちはたいていお喋りしながらやってくる。声高ではなくても、チッチッという風に・・・。ところがこの鳥はほとんど声を出さず、しかも鶏のように地面を啄ばんでいるのである。
ホホジロ科というので確かにホホジロに似ていて、お腹の方は黄緑色、背中はそれに雀色がまじったようで、縞々の感じがする。人を恐れない感じで、なかなか逃げない。多分樹上の木の実ではなく、地面に落ちているものを啄ばんで食べているのだ。だからというわけではないのだが、庭をあまり綺麗にしない方が、自然になるべく任せたようにするのが良いと、怠け者の口実にしている。
戸をあけて出ると、アオジがいたりすると、ゴメンゴメンといって、顔を引っ込め、暫く経ってから出たりする。
今日も、暫く動かないままにしていたが、彼(彼女)はなかなか立ち去らず、水を二口ほど飲み、叉地面に降りて、私の方にやって来るのだった。寒いので早く行ってしまいなさいと思いつつ、じっとしていたのだが、近所のシャッターの音がして、やっと飛び立ってくれた。
ペットを飼うと、ご主人様になるというより、召使になるというのが普通のようだが、この場合もそうだなあ・・・・と笑っている。
本によれば、アオジは繁殖期には枝先や草にとまって、ゆっくりしたテンポでうつくしい囀りをするとあった。声を聞いてみたいものだ。これらから考えても、のんびりした鳥のようだ。

投稿者 kinu : 10:39 | コメント (0)

2005年12月04日

隣組について

今日は2ヶ月に1度の町内会クリーン・デイであった。
でも朝8時に清掃の準備をしていくのは、ちょっときびしい。
今のところ私は毎朝のように道路の落ち葉を集めているのだけれど、これは自分のペースに合わせてやっている。しかも今朝は一番の寒さになった。どうしても皆より遅れてしまう。
次回は冬場の2月だけれど、厳寒の時期、そのときはもう冬枯れで落ち葉もないわけだから、必要ないのではないかと、大きな声で言ってしまった。
もちろんこれは自主参加で、都合があれば出なくてもいいし、ぜんぜん出なくてもかまわないのだ。しかしそういうわけには行かない。また出ないとちょっと言い訳をする。
確かに共同で作業をするのはいいことだ。私など植木を切ってもらったりして助けられるし、近隣の助け合いにもなる。
しかし「隣組」について、戦時下を少し知っている私には警戒心がある。

昨夜テレビで山田太一のドラマ「終わりに見た夢」を見た。現在を生きる平均的な家族4人と友人親子2人が、タイムスリップして昭和19年に移されてしまい、そこで生きるという設定である。終戦間近の餓死寸前の物不足の生活、その日常や不便さは、多少はその頃のことを知っている私にも到底耐えられないだろうと思った。しかしもっとも耐えられないであろうと思ったのは、そういう物質的なことより、人間一人一人に覆いかぶさる監視の目である。それは隣組という、細胞のいたるところに張り巡らされている毛細血管のような役目を果たしている存在があるためである。それをバックアップしたのが軍である。
それゆえに、いろいろ生きる知恵をしぼって何とか一家で暮らせると思ったとたん、その網にかかって逃げ出さねばならなくなり、転々とする。


今無残な児童の殺害事件などがあって、近隣の目や協力が必要になっているけれど、それが必要以上に、異分子を排斥する形で行われると危ないなあと思う。犯罪のためならば有効であるにしても、思想の取締りというようなことにも、すぐ当局はその網を使ってくるのだから。

戦時中、「とんとんとんからりと 隣組・・・♪」という歌がありましたよね。

でも今日は寒いので、そそくさと作業を終えて、一時間もしないうちに皆引き上げてしまいました。
めでたし めでたし。

投稿者 kinu : 17:36 | コメント (0)

2005年12月02日

映画「春の雪」を観る

藤沢の東急ハンズに行ったついでに「春の雪」を観た。
これは三島由紀夫の晩年の長編連作小説全4巻の第1巻目に当たるが、全体を貫くテーマはここに出ている。
三島の作品については、通り一遍の知識しかないが、惹かれる面と反発したい面を持っている。禁断の恋(これは東西共通で、日本でも「伊勢物語」から「源氏物語」、姿は変わっても近松の心中物に引き継がれた恋愛の本筋である)と転生がテーマである。
私はそれらの内容よりも大正という時代をタイムスリップして味わいたい、特にここでは上流階級(文化の贅が尽くされている)の住まいや日常生活が映し出されるはずであり、それらに対する興味の方が強かった。若い監督とそのスタッフによる美術や衣装やセットによって、一応満足が得られた。
大正時代は、急激な近代化を押し進めた明治時代がやっとある成果を上げてほっとした時代、日清日露で戦勝国となり自信も金も何とか潤ってきて、文化的にも一種の爛熟期、デカダンの時代でもある。しかしそれもわずかの間で、次には昭和という戦争の時代に突入するのである。
この映画でも重要視されているのは夢日記である。夢日記で始まり、叉それで終わる。人と人の結びつき、その究極である愛も、その夢の中で果たされるしかないのであろうか。この世に生まれ変わり生き返って、転生はするが、それもまた夢であり幻視であり、現世はやはり荒野、砂漠であるのだろうか・・・・。

今原宿の若者たちの間で、ファッションとしての着物が流行っているという。羽織1000円、着物も5000円くらいで手に入れられ、ブーツをはいたまま着物を着たり、勝手な愉しみ方をしているという。
竹下夢二などで象徴されるように、大正時代は庶民も爛熟した文化の香りを愉しんだ。しかし軍靴の足音はひしひしと近づいていたのである。その大正時代に似た雰囲気を若者たちは好んでいるようだ。もちろん私もまたデカダンには魅力を感じる。だが今この国には、ヒルズ族と言う成金の上流社会が形成されていると同時に、下流という言葉が流行りだした。社会や政治も変になってきている。何か大きな恐ろしいものが近づいてこなければいいのだが・・・。

投稿者 kinu : 10:46 | コメント (0)