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2010年08月20日

映画「キャタピラー」 (2)挿入歌 ふうけもん

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妻役の寺島しのぶのとってもいい笑顔。撮影中血尿が出たりじんましんになったりしたそうだ。
女優さん業って膀胱炎を持病にかかえていそうなくらい過酷な仕事でしょう。15人のスタッフで、12日間で撮った映画。寺島しのぶがもらったベルリン映画祭の銀熊賞は関係者にはとてもありがたかったそうだ。この世の中、賞があると押しが利いたり、何かとスムーズにいくことが沢山あるものです。作品の完成度よりも賞のあるなしでものごとは進んでいきますものね。


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ふうけもん(お馬鹿さん・あほう)は、シーンの真ん中にいてもいつも深刻な場面の外側にいる。笑いながら通り過ぎたり、いつものほほんとして花を食べたりしている。ふうけもんを地で行っているのは現代彫刻(鉄)を溶接するゲージツ家の熊さんこと篠原勝之。風に吹かれてどこ吹く風ふうだが、よく太って目方があるので戦時中の役には向かない・・と思うが。

エンデイングの挿入歌「死んだ女の子」は、この時ばかりは帰ろうとしている人々の耳を釘づけにしてしまう歌手、元ちとせが歌っている。御神楽と歌舞伎とモダンダンスが溶け合ったような振りで、哀しく、しだくように振り絞るように歌う。そのストレートさに参ってしまった。座ってじっくり聞いた。作詞ナジム・ヒクメット 作曲外山雄三 編曲坂本龍一

「死んだ女の子」
あけてちょうだい たたくのはあたし あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたくの
こわがらないで 見えないあたしを 誰にも見えない死んだ女の子を
あたしは死んだの あのヒロシマで あのヒロシマで 夏の朝に
あのときも七つ いまでも七つ 死んだ子はけっして大きくならないの
炎がのんだの あたしの髪の毛を あたしの両手を あたしのひとみを
あたしの体はひとつかみの灰 冷たい風にさらわれていった灰
あなたにお願い だけどわたしは パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの 紙きれみたいにもえたあたしは
戸をたたくのは あたし あたし 平和な世界に どうかしてちょうだい 
炎が子どもを焼かないように あまいあめ玉がしゃぶれるように 
炎が子どもを焼かないように あまいあめ玉がしゃぶれるように 


戦争以外にも、飛行機や船の事故やもろもろの火事や交通事故や爆弾や地雷で、子供だけではなく大人も炎にまかれ焼かれます。争いを企てる人々の中に存在するものは、どんな小さな影のようなものであっても自分の中にもあるので、つきとめるためには、さぐって仕留めて、白日のもとに露わにしなければなりません。常にそうしていないと自分とは関係ない他人事のように見えるわけです。現状では、話し合いで国際紛争が解決するわけはない。こちらに侵略の意図がなければ、相手から侵略されないわけではないし、平和をただ唱えて威しに堪えていれば平和が保たれるわけでもない。戦争をしたら自国が有利になることを見込んだ国が、相手国から戦争を仕掛けてくるように仕組んだりした過去の戦争を思い出すだけで腹が立つ。チャーチルなんて有色人種への人種差別がひどかった人物だ。過去イギリスもオランダもフランス、ロシア、スペイン、ポルトガル、ベルギー、ドイツ、アメリカ、南アフリカ連邦も植民地支配をやったが、心から謝ったことがありますか。勝てば官軍とはよく言ったものだ。
当時の日本人は、マッカーサーに感謝さえしたそうだ。自虐的な土下座人間たちの住む国体や如何に。

*考え方の相違で難癖つけて来るコメントは受け付けていません。

投稿者 mari : 2010年08月20日 22:42