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2010年08月08日

その日

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雲のスクリーンに映る丸い虹


1945年8月9日9時44分。新型爆弾ファットマンを搭載したB29ボックスカー号は、北九州の小倉上空に到着した。
8月9日朝の小倉は、前日の8月8日、製鉄所のある八幡への爆撃による火災よって、濃いもやと煙に隠されていた。
爆撃部隊は、爆弾搭載機と、写真撮影機、気象観測機の3機で構成されていた。
気象観測機が1時間前に、目標の上空で観測し、情報を爆弾搭載機に報告していた。
写真撮影も克明な記録として残しているので計画的である。
爆撃手は、貴重な新型爆弾ファットマン投下で絶対に失敗のないように、投下目標地点を目視確認してから投弾する様に命令されていた。
1度目の投下は、もやと煙の影響で、目視確認ができず失敗に終わった。
機長は、進入角度を変えれば、照準点を捉えられると判断し、2度3度と爆撃航程をやり直したが、3回とも失敗に終わり、小倉への投下を断念した。
10時30分ころに機長はマリアナのテニアン基地に戻らず、第2目標の長崎へ向かった。
小倉からすぐになぜ長崎になったのか、福岡とか佐世保とかは候補に挙がらなかったのだろうか。

ある機長は京都の爆撃(原爆ではない)を執拗にルーズベルト大統領(1945・4・12没)に頼み込んだ。
しかし雲がかかっていた京都は爆撃されず、尼ヶ﨑に変更になった。

1945年新任のトルーマン大統領(就任期間1945・4・12~19531・20)の命令下、とっさに新型爆弾ファットマンを落とす都市を選択するに当たって、機長の心の底には、どのような理由があったのであろうか。
ただ単純に雲の影響のないいくつかの近隣の都市の候補地の中から事務的に仕事として選んだのか、日本とナチスドイツを1つと見る考えでただただ憎くてどの都市でもよかったのか、東洋人に対する差別、個人的な何かの怨念があったので長崎を選んだのか。なぜ長崎だったのか。

B29ボックスカー号の機長は、このまま基地に帰れば、新型爆弾ファットマンを積んだまま着陸することになるので、どのような不具合が起こるか分からないと考えた。海に投棄することも選択できたのにそうしなかった。
小倉上空で、目視確認の命令を厳守し、1時間近く時間をかけて3回も確かめた爆撃手は新型爆弾ファットマン投下を断念、10時50分には長崎上空に接近した。
長崎ではわずか1回のみ20秒間雲間から現れた工場地帯を確かめただけで新型爆弾ファットマンを投下した。
プルトニュウム爆弾ファットマンが11時2分に炸裂した。
周囲の体気は瞬間的に膨張し、爆風は音速を超えた。衝撃は新幹線にぶち当たったくらいか。
爆心地にいた人は一瞬で蒸発し影だけを残した。
超高温の熱線と衝撃波に飲まれた人間は、内臓組織の水分が全て蒸発し炭化した。
鉄やガラスは溶け、建物は倒壊。
世界で唯一の被爆国が日本である。


投稿者 mari : 2010年08月08日 11:05