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2010年08月14日

お盆の始まり 血族顛末記(1)

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琥珀 樹液(脂)に閉じ込められた虫


野菜作りが上手かった叔母(叔父の妻)が7月末に亡くなった。
急な訃報でお葬式には出られなかったので、お盆に標高400メートルの山の上の涼しい家に母と共にお参りに行った。
叔父と従弟が2人で住むことになった家のいたるところの暗がりは白茶けて力なく淀み、戸の節穴から射す光の先に映った風景が逆さまであるように、家の中心部がひっくり返って頼りなかった。
仏壇の上の先祖の写真だけが黒光りして存在を知らしめていた。
この人たちも父のように様々な点でDVだったのだろうか。
交わされる会話は、何十年も前の力関係のままに一挙に逆戻りし、かみしめると苦汁が滲む押しつけがましい親孝行譚めいていた。
どうもここいらでは、肉体的な特徴や因習がお構いなく話題にされ、どちらかが我慢して生まれつきの特徴や、家父長制度的な習わしから、追い立てられるようなことによってしか触れあえない。
母は、相手に世話をかけたどんなに大変なことに対しても、何処か自分のこととして受け取っていない苦労知らずな逃げ言葉の「ああっ そおう」の常習者だ。
この素知らぬふりをする生臭い言い回しの連発に憎悪を覚える。
何十年目かに襲ってきた母の薄ら汚い傲慢な化粧用品を粉々にしたい気持ちをぐっと抑えた。
情けない。血縁地獄。だが母にこんなにも優しい娘がいるだろうか。母の重みでひしゃげる。
彼らが寝静まってからでなくては、自分の気配の自由な音が聞こえて来なかった。
母の家は猫の事情最優先で事が運んでいる。
それも野良猫の都合でこちらがやりくりした時間を屈辱的に持って行かれる。
自分の火の粉ぐらい自覚し、相手によって火の粉が防げたらそれを理解するようにならないものか。
それが裏切りであっても、見て見ぬふりであっても、その時の情勢により、意見はいつでもくるくると変わり、その場限りの優勢に加担してついていく。
産んでおいて、迂闊にまたは故意に踏みつぶす鈍感さと無関心。
母の魔力(さびしいので周りを情でおびき寄せ、自分では何もせずに、おかまいなしに相手にたよりきるおんぶお化け)のテリトリーに近づきたくない。


縁者から受けた御愛を、憐みを持って慈しむと言うことに、たどりつきたいのだが、相手を意識し配慮すれば、出せないはずの棘に刺されながら、それらしい御愛を無理に捜さなければならない。
今年のお盆は、禅(臨済宗)の「仏殺・・・」が浮かぶ。

投稿者 mari : 2010年08月14日 01:36