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2010年07月23日

ああ 引越し(2)

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四王寺山(しおうじさん)・手前にある礎石は高床式倉庫跡で米や武器を収納していた

いよいよ頼んだ業者が来て賑わう引っ越しが迫っている。
引っ越し先の住居は現在の場所と70メートルほど離れている6階にあり、見晴らしがよく、空や峰々や川や花火がよく見える。
冷蔵庫の中味を今日明日で使い切るつもりだ。

峰々と反対側の東には四王寺山が空を覆い、飛鳥時代の日本最古の朝鮮式の山城跡(大野山)がある。
四王寺山と言う名の由来は、大野山・水瓶山・大原山・岩屋山の4つの山があることからきている。
四王寺山は入道雲を従えてくっきりと姿をあらわしたり、流動するもやに取り巻かれたり、四季折々の存在感で楽しませてくれる。

663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで、朝鮮の百済復興を目指した大和朝廷は、新羅と唐の連合軍に敗れ去った。
すぐさま664年に大和朝廷は、朝鮮に近い大野城に亡命してきた百済人たちを集めて城を築かせ防備を固めた。
ここ四王寺山は、太宰府の北にあり、筑紫と呼ばれ、対馬・壱岐と共にのろし台が残っている。
新羅と唐の軍勢が船で押し寄せてきた場合、対馬・壱岐から次々にのろしがリレーされ敵の侵入を知らせていたのだ。
四王寺山には、8200メートルにわたって土塁があり、谷には石垣が築かれ、高床式の防人たちの駐屯地跡が残っている。
木イチゴのなる場所を見つけているので、秋には黄色い実を摘みに行く。
交通の要所で敵を防ぎやすい狭くなった場所には、四王寺山から伸びて下った水城の堤防と呼ばれている4メートルの深さがある水をたたえた濠も作られていた。
濠の幅は60メートルもあったので博多湾からの敵の侵入を防ぐには十分だった。
大和朝廷がいかに外敵の侵入を恐れていたかと言うことがことが分かる。
今は水城の高さ13メートル、全長1.2キロある小高い堤防には木が茂り、秋にはお月見も催される。
今年、水城の堤防横に畑を持っている知人からの依頼で、飛鳥時代の工事に関わった農民たちや防人たちのためにローソクを点し、石笛で招魂し弥生土笛で鎮魂し、オカリナで楽しむお月見をすることになった。
この土地にしばらく住みつくとなると地霊とのかかわりも深まるだろう。

投稿者 mari : 2010年07月23日 22:20