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2010年07月29日

空に近くなった部屋

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地球の引力が働いているらしく、体はずっしりと重いので飛んで行かないが、6階に寝泊まりしていると、180度の視野内の空を飛んでいるものに視線が惹きつけられ、驚きでめまいを起こしそうだ。
踊るような雲の状態や太陽や月に憧れ、必要とする気持ちがあったことに気づく。
住む場所がこんなにも影響していたのだ。
朝の白い月が優しい。
見とうしがきくって素晴らしい。

投稿者 mari : 08:43

2010年07月27日

ああ!引越し(3)

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蝶 浅黄まだら(アサギマダラ)の飛行

引っ越しの前日、梱包に来た業者派遣の20代のお姉さんたちのエネルギーに引っ張り込まれ、同等に働いてもいないのに、若々しい人いきれに触れてくたくたになった。
若い恋人を持ったマダムってきっと無理して疲れているに違いない。
彼女たちに、別の部屋で休んでおくように言われたのだが、何を梱包しているのかわかる音が左右から聞こえてくるので、神経がそちらにぞぞぞぞっと向いて、働いてる人の横で何もしないで何かに耐えている気持になった。
梱包が終わった次の日はいよいよ引っ越しで、今度から住む部屋に、今までの荷物のどれを運び、どう配置するか、今度は青年たちの総指揮をとらなければならず、捨てるものと持ってゆくものに目を光らせ、その間に食事をとり、限りのない階段を上り下りする運動競技を1日中やっているようだったが、終わりは日暮れとともにやってきた。
暑い夏の真っ盛り、若い者に混じって、頼まれもしないのに勢いで荷物をかかえて一緒に笑っている時はよかったが、次の日は節々が痛くなっていた。

よれよれのカーテンは全部捨て、様々な色のワンピースを大きな窓にかけた。
光がさすと白、赤、ピンク、ブルー、混合色のワンピースから色が床に落ちた。

光ファイバーや電話やテレビの設定、部屋の内装、水回り関係は、このひどすぎる暑さの中、全部プロのおじさんたちがやってくれていた。
働きぶりに感動し褒めたり、なだめたり、すかしたり、時には威したりもして、くたくただった。
おじさんたちは、こちらがちゃんとしていないとなめてかかってくる。
違反ではないのに、引越しの車の駐車を目ざとく見つけては文句をつけるので有名なおじいさんが岩に隠れていたハブのごとく現れ、あっちとこっちで2名もいて胸ぐらつかんでおおにぎわい、ここはイタリアかと思った。
金曜日からずっと、口にゴム紐をくわえてマラソンをしている状態、ゴムが伸びきった5日目の今日夕方から眠気に襲われ、伸びたゴムがバチンと元に戻った。

ああ美しいものを見たいと心の中で叫んでいた。
しあわせに眠って夢の中で蝶になって、花にとまりたい、空に吸い込まれたい。
蝶の浅黄まだらが林の中で木に沿って上へ上へと舞い上り消えて行く映像を思い出して呼吸を整え、休憩をとった。
6階の窓からは今まで見たこともなかった入道雲の間を飛び交う赤とんぼが50匹ばかり、学校が鳴らすチャイムと川の流れ、夕陽を背に遠くから時間をかけて歩いてくる人がいる。

投稿者 mari : 22:50

2010年07月24日

管制室の御札  宇宙航空研究開発機構 

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管制室
向かって左、コンピュータのさらに上に御札らしきものが置かれている


小惑星探査機のはやぶさくんが、今年の6月13日夜オーストラリアのウ―メラ砂漠にカプセルを落とし、夜空に燃え尽きた映像は記憶に新しい。
燃え尽きる前に、地球を撮影した少しかすれた画像を送ってきたことも健気によくやったとほめたい。
プロジェクトマネージャーの川口淳一郎さんは「ありがとう はやぶさ君は日本国民の心に残る不死鳥となってくれた」と言っている。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の管制室には、神社の御札がある。
飛不動(とびふどう・東京)・飛行神社(京都府)・電波神社(京都市)・中和神社(ちゅうか・岡山県)の4種類もある。
科学者たちは、神頼みや御神託を受けて一喜一憂しているわけではない。
夢や希望や根性を持ち続けていることの証として、管制室に御札を置いているそうだ。
神社には、半休をとって行く場合と休日に行く場合があり、いずれも交通費や祈祷料、御札の料金は自腹を切っているそうだ。
科学者の皆さんと神社は結びつけにくいが、そう言うこともあるのだと驚いたり妙に納得したりしている。


*引っ越しでしばらく投稿はお休みするかもしれません。糖鎖サプリで快調。

投稿者 mari : 08:35

2010年07月23日

ああ 引越し(2)

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四王寺山(しおうじさん)・手前にある礎石は高床式倉庫跡で米や武器を収納していた

いよいよ頼んだ業者が来て賑わう引っ越しが迫っている。
引っ越し先の住居は現在の場所と70メートルほど離れている6階にあり、見晴らしがよく、空や峰々や川や花火がよく見える。
冷蔵庫の中味を今日明日で使い切るつもりだ。

峰々と反対側の東には四王寺山が空を覆い、飛鳥時代の日本最古の朝鮮式の山城跡(大野山)がある。
四王寺山と言う名の由来は、大野山・水瓶山・大原山・岩屋山の4つの山があることからきている。
四王寺山は入道雲を従えてくっきりと姿をあらわしたり、流動するもやに取り巻かれたり、四季折々の存在感で楽しませてくれる。

663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで、朝鮮の百済復興を目指した大和朝廷は、新羅と唐の連合軍に敗れ去った。
すぐさま664年に大和朝廷は、朝鮮に近い大野城に亡命してきた百済人たちを集めて城を築かせ防備を固めた。
ここ四王寺山は、太宰府の北にあり、筑紫と呼ばれ、対馬・壱岐と共にのろし台が残っている。
新羅と唐の軍勢が船で押し寄せてきた場合、対馬・壱岐から次々にのろしがリレーされ敵の侵入を知らせていたのだ。
四王寺山には、8200メートルにわたって土塁があり、谷には石垣が築かれ、高床式の防人たちの駐屯地跡が残っている。
木イチゴのなる場所を見つけているので、秋には黄色い実を摘みに行く。
交通の要所で敵を防ぎやすい狭くなった場所には、四王寺山から伸びて下った水城の堤防と呼ばれている4メートルの深さがある水をたたえた濠も作られていた。
濠の幅は60メートルもあったので博多湾からの敵の侵入を防ぐには十分だった。
大和朝廷がいかに外敵の侵入を恐れていたかと言うことがことが分かる。
今は水城の高さ13メートル、全長1.2キロある小高い堤防には木が茂り、秋にはお月見も催される。
今年、水城の堤防横に畑を持っている知人からの依頼で、飛鳥時代の工事に関わった農民たちや防人たちのためにローソクを点し、石笛で招魂し弥生土笛で鎮魂し、オカリナで楽しむお月見をすることになった。
この土地にしばらく住みつくとなると地霊とのかかわりも深まるだろう。

投稿者 mari : 22:20

「借りぐらしのアリエッティ」日本 アニメ

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草や木々が自然に茂り、花が咲き乱れている森の中の道を行くと、古い洋館がある。
柱やドアに装飾を施された洋館の中には、調度品や食器が本物とそっくりに作られているイギリス製のドールハウスがある。
住人の祖父が幼いころに、小人を見たことがあって、その人たちに住んでもらうために作ったものだった。

心臓の手術を1週間後にひかえた12歳の少年翔(しょう)が、親戚の上品なお婆さんがお手伝いさんと2人だけで住んでいる洋館に預けられる。
第1日目に、庭の草の中にアリエッティを見つける。
身長10センチのアリエッティは、洋館の床下の調度の美しい部屋で父と母の3人暮らしをしていて、床上の人間の部屋から、角砂糖1個やティシュ1枚など生活必需品を借りて借りぐらしをしている。
鼠やカラス、コオロギやアリや猫などは彼らにとっては猛獣となる。
人間にひとたび見つかれば、彼らは住居を他に移さなければならないと言う掟がある。
イギリスの児童文学「床下の小人たち」メアリー・ノートン作が原作である。
生き残りの小人は各地に散らばっていて、家族を道案内をしてくれるスピラ―という顔に原始的な絵を描いた少年も新鮮だった。
夜、父と2人でさっそうと床上に行くアリエッティの濃いバラ色(アニメでは小豆色に近く見える)の短めのワンピースや拾ったピンの武器は美しく素晴らしかった。


アリエッティたちは、お手伝いに住居を暴かれ鼠駆除の業者に見つけられそうになるが、翔少年に助けられて危く命拾いをする。
翔少年は底の丸いヤカンの船に乗って他の土地に移ろうとするアリエッティを見送りに来る。
「君は僕の心臓の一部になった」
と心臓病の手術を受ける少年は明るい声でアリエッティに言う。
この言葉を聞いて、美しいドールハウスを見た時とは違う驚きと感動がこみあげて来て胸に迫るものが涙と共に遅い嵐のようにやってきた。

投稿者 mari : 21:18

2010年07月17日

ああ 引っ越し(1)

思い切って捨てるものと使い続けるものを選び分けていると、そのことが精神面にも影響を及ぼしてくる。
表向きは捨てることのできない姻戚関係とか友人関係とかにも波及してきている。
比重をかけずに気持ちの整理ができてくるので、いままでのように執拗に気にとどめて重くなることがなくなった。
何処かで一度捨て去って切り替え、相手との関係をずらすか、別の引き出しに押しやった。
そう言う人間関係では、理解しあう希望はなくなったが、人類愛的な距離感を保つことはできるようになった。

こちらに悪影響を及ぼす事件が起こった時に、相手がこちらに向けて発した言葉は新鮮に突き刺さる。
石牟礼道子さんが言っているアニミズムの神さまに、何も助けられないけれど、悲しんでいたり苦しんでいる相手と一緒にもだえる「もだえ神さん」と言うのがある。
被害者には、「もだえ神」のまなざしを持っている人と、自分の欲望の思い入れのために哂いながらおべっかをつかって感想を述べているだけの人、ただ無関心でいる人が感覚的にもすぐにわかる。
もだえ神さん以外の人々との自然な別れが、人知れず仕掛けられたスクリーンに次々に浮かび、1度確かめられて消えて行く。
その霧のような場面でしかとらえらない悲しみをしっかり感じて自分のものにしようと思う。

衣類や食器、家具については、いつかは使うものだと思ってとっておいたものが多いが、新しく買わなくてはならないものもある。
その選択の仕方が問題となってくる。
余計なものは買わないが、たとえば蛍篭とか、音の出る茶碗とかは買うだろう。
世の中の人はそれをガラクタと呼んでいる。

投稿者 mari : 08:36

2010年07月15日

ゲリラ豪雨 JRの中の3時間半 

昨日は待ち時間も入れるとトータルで8時間もJR、地下鉄、私鉄、自転車などの乗り物の中とその周辺をうろついていた。
仕事には間に合わなくなったので、大分には行かず小倉駅から博多に引き返した。
小倉で下車して旦過市場に行こうと思っていたが、途中下車すると事故扱いにされず往復の運賃が全額戻らないのでやめた。
月2回仕事先に向かうために通る旦過市場は、早朝から紫川から水が来て浸水したと、買い物の時によく見るおじさんおばさんがテレビのニュースに出て話していた。


家から博多に着くまでも2倍の時間がかかり、超満員電車で、ぎゅうぎゅう詰めの野菜籠の中のジャガイモや玉ネギやごぼうやキューリめいた人々が押しつぶされそうになりながらも、女性たちは、励ましあい、背の高いおじさんが途中で降りる人に対して「降りるってよー降ろして降ろして」と駅員さんの助手を務めたりして、まだ人心に余裕のあることが分かった。
しかしひとたび殺伐としたパニックが起こると、人間どうなるか分からない。


博多から40分で到着するところを、3時間半もかかって小倉駅に到着した車中では、アニメソング「君をのせて」(天空の城ラピュタ)の上下パートを楽しく小声で歌ったり、たまっている事務をこなす時間が取れた。
「地平線が輝き、沢山の灯が懐かしいのは、そこに隠されている君がいるから、いつかきっと出会うに違いない」と言う陸を空から見ながら出会いを予言しているロマンチックな宮崎駿の歌詞である。
歌詞として歌うには少し無理のある2拍の3連符や、メロデーと予想外の言葉をあわせている覚えにくいところを8分音符でやってみて成功した。
歌に夢中になり歌詞の情景や美しいメロデイーの肌触りを楽しんでいると、何処か無垢な世界へ向かって空中を進んでいる気がして1~2時間はすぐたってしまった。
横の席の大きなおなかを抱えた白人のおじさんは、座席に沈んでウォークマンを聞き、指定席と自由席の意味が分からないおばさんは学習しない人で、人が来るたびに注意を受けて他の空席に移ることを繰り返し、私は電車の端から端まで公衆電話を探して3往復した。
携帯で話しながら歩いている人が何人もいて車中の散歩がまかり通っていた。
公衆電話が取りつけられていないことがわかり、柔らかなムードを持っている2人連れの女性を選んで携帯を借りた。
自分のことにしか興味のない若者や説教好きのおじさんは、知らんぷりをするか嫌味を言ってこちらを無視することが多いので絶対に相手にしない。
電車の両側に並んだ家や木の葉の細部まではっきり見えるノロノロ運転や信号待ちで、おおげさにいえば駅馬車気分を味わった。

投稿者 mari : 08:12

2010年07月13日

日本映画「恐怖」  監督  高橋 洋

昔ながらの幽霊は出て来ない映画だったが、日本的な陰鬱さが漂い、眠っているのか目が覚めているのか分からない無表情な幽霊めいた人々が空間に落とす影が、濃くなったり薄くなったりする薄暗い映画だった。
脳科学研究者の悦子(片平なぎさ)は、連れて来た人間の頭を開いて、非合法の脳手術を行い、脳のシルビウス裂を刺激する実験を行っていた。
脳のシルビウス裂に電極で刺激を与えると、普段では見えないものが見える。
俗に言う幽体離脱や空中遊泳は、脳が作りだすものだと言いたいのだろうと思った。
みんなに見えていない映像を1人だけが見ていても、その映像はその人の脳がそうさせているだけなので怖がらなくてもよいということなのだろうか、それとも怖がれと言っているのかよく分かりにくい映画だった。

車を密封して集団練炭自殺した若者たちが、悦子の研究所に送りこまれ、シルビウス裂に刺激を与えられると、自分が空中に浮いた姿や棺桶に入っている姿を眺めたりした。
死んだように見えていても死んでいなかったのだ。
じめついた日本的などんよりしめった感じは気持ちまで狭くさせるので好きになれなかった。
片平なぎさの何処か狂った異様な表情と怪音波の怪声が、目ざまし時計になってこちらを威していた。

脳科学研究者の悦子(片平なぎさ)が実験を行うことになったもともとの原因は、娘たちが幼かった頃、夫と娘たちと一緒に、戦前の満州で脳の人体実験をしているフイルムを見ている時にスクリーンの中から現れた白い光だった。
夫は自殺し、長女も練炭自殺に加わった。
白い光がどのように家族に影響して人格が変わって行ったのか、そもそも満州の白い光は何だったのか、観客には分かるような終わり方をして欲しかった。
白い光はその土地の鉱物から発する電磁波なのか、宇宙から来た何かなのか、オ―ソドックスな地縛霊なのかよくわからない。
最高に怖かったのは、目に色のついたコンタクトを入れた、魔女や化け猫とも違う長女の青白い狂気じみた顔の存在感だった。
ほんとに得体の知れない恐怖の長女だった。
高橋洋監督は、怪奇小説家アーサー・マッケンの小説を子供のころから読んでいるそうだ。
科学でもない怪奇ものでもないどっちつかずの、どちらともとれる映画だった。
博多駅の映画館は怪奇ものやゾンビものの映画をよくやるが、お客は少ない。

投稿者 mari : 19:29

2010年07月12日

映画「プレデターズ」 2010アメリカ

誰も気遣ってくれる人のいない友人知人たちは、自分にご褒美を与えるために、欲しかったものを手に入れたり、旅行に行ったり、食事に行ったりして元気を取り戻す。
その延長線上に映画もあるようだが、昔はこれが少年少女漫画だったり、テレビだったりした。読書とかの芸術鑑賞と言うのもある。
灰色人間の教師たちのつまらないことと言ったら、教科書を教科書どうりに面白みもなく説明しようとして失敗しているだけだった。
嫌いにさせてどうするんだと思ったが、少なくとも私が出会った連中はそうだった。
何の自主性も育たない押し付けられた退屈な授業に苦しめられてきた。
昔の教師たちは、大勢いすぎる生徒を愛したいと思うのではなく、その日を無事に過ごすことと老後の安全を意図して学校と言うところに現われていたとしか思えない。
無欲になることを押し付けられる善良な人間(生徒)が、無気力な従業員として働きつつ色褪せて行く道が待っていた。
世の中で苦しくて恐ろしいことは退屈だということだ。
映画がなくならないのは、いい意味で生命をいきいきと活性化してくれる娯楽が必要だからだ。


犯罪者が生まれるのには、または生まれながらの要因が刺激されて現れるのには、原因となるものが必要となる。
連中の生い立ちは描かれていないので全く分からないが、映画「プレデターズ」に出てくる地球人の7人の男たちと1人の女性の職業は、傭兵や、用心棒、殺し屋、軍人、指名手配されている犯罪者、服役中の囚人ばかりで、世の人に白眼視されている連中ばかりだ。
狩りを快楽とする恐るべきエイリアンのプレデターズによって、人間狩りを目的として、未知の惑星に連れて来られたのである。
逃げ惑う人々は異様な光景を垣間見た。
空には、木星のような星が、ま近に3個~4個浮かんでいたのだ。
画面はずっと死体の肉片が飛び散ったジャングルか廃屋。
そこでは汗をかきっぱなしのぬめぬめした人間たちが逃げ惑っている。
なぜプレデターズに人間の中から彼らが選ばれたかと言うと、抗戦能力が高いからだ。
ラグビーの選手のような体躯に、昆虫とライオンが合わさったような顔、冷酷な目を持った異様なプレデターの身体能力は抜群で、空間に溶け込んだカモフラージュ移動、鉤爪、プラズマ砲など人間が叶うはずはない。
8人の人間たちは次々に倒されていくが、生き残るために人の面倒は一切見ない孤独な傭兵と殺し屋の女性が生き残る。
プレデターズの宇宙船をのっとろうとしている男女が、初めてお互いの名前を明かすところが感動的だった。名前とはこんなにも大切なものなのだと言うことが伝わってきた。
地球で異常な殺人を犯して楽しんでいた人間が、医者と名乗って8人の中に混じっていたので、劇中の人々も映画観賞者たちもむやみやたらと緊張していなければならなかった。
穏やかで友好的なエイリアンもいるが、地球征服には興味を示さず、人間をいたぶって狩りをして楽しむ残忍極まりないエイリアンもいるのだ。
常日頃のほんわかムードもいいが、「プレデターズ」のような違う観点が持てる映画も変に納得するものがある。
ま逆の、穏やかで荘厳、かぐわしく静謐なもののありがたみがやっと分かってくる。

投稿者 mari : 06:32

2010年07月10日

絵本「おふとんかけたら」 かがくい ひろし

疲れたらなにはともあれ眠るのが一番だ。
さて、浮世絵も含めてタコ(蛸)の絵が大好きである。
「おふとんかけたら」も漫画的なピンクのタコが、胸の前で2本の足を合わせて、布団の上で寝ている。
勿論、科学的な研究のための絵ではないので、頭の部分に眉と閉じた目が書かれている。

たこさん たこさん
おふとん かけたら
くーるくる

くーるくるのところで、タコが8本の足で掛布団を足に巻きつけるので、布団は巻かれてしまう。
おふとんかけたら、ソフトクリームは「とーろとろ」となる。
アリもトイレットペーパーも出てくるが、最後の豆の種が面白い。
おふとんかけたら、「すーくすく」と芽が出てくるのである。
敷布団とまくらに掛布団をかけると「ぬーくぬく」となって「おやすみなさい」で終わる。
世の中の温かな愛情に包まれて子供が眠りにつくための絵本だ。たまには大人もいるけれどね。

似たようなタコの絵で、大道あやさんが絵を描いている絵本「あたごの浦」がある。
表紙は鯛とタコが話している絵。(脇和子・脇明子 再話)
1ページ目は、タコが足をからませ、細長い頭を上にして、狭い穴に入る途中の絵だ。
きっと次の動作で足を下にし頭を上にするだろう。
讃岐に語り継がれている話で、海の生き物たちが月夜の晩に浜に上がり、演芸会で隠し芸を見せる。
タコがお月さんの光に浮かれて、ゆらーりゆーらり浮いて来て、おなすびをちぎって食べだす。
海の生き物たちが浜で、みんなで歌ったり、踊ったりして宴会もたけなわ、隠し芸が始まる。
タコはまとめ役兼引き締め役、鯛はアクセント、月の光はますます降り注ぐ。
鯛は松の木にするするっと登って「松にお日さん これどうじゃ」と言う。
「明るいお月さんの光に、赤いうろこがきらきらして、ええながめだ」
みんなは、感心して「妙々々々々々・みょうみょうみょう・・・・・」とはやし立てた。
ふぐや鰈も出て来てとぼけた隠し芸をする。
わがタコくんは、8本の足を小枝の間からたら―リとたらして、「松に下がり藤これどうじゃ」と言った。
みんなは「妙々々々々々・みょうみょうみょう・・・・・」とはやし立てた。


引越しはうずもれていた絵本に出会う時でもあるようだ。はかどりません。

投稿者 mari : 09:15

2010年07月09日

絵本「ちか100かいだてのいえ」 いわいとしお

今度の引っ越しで移る部屋は、今までのところよりましだが、何といってもまだ狭い。
せめて10部屋あるともっとのびのびできる。

「ちか100かいだてのいえ」と言う絵本が棚の上から落ちて来たので目にとまった。
絵本の右側を上に向けて、縦に読んでいく長い絵の本なので、気を長く保っていないと読めない。こちらの呼吸の幅が変化する。タヌキからキリンになった気分だ。
絵本の帯には、「じめんのしたのふしぎないえ。ちきゅうのなかにはなにがある?」と誘うような文字が踊っている。
なにやかやと俗世間の疲れが取れない時は、絵本が作ってくれるにこやかで単純でまあるいクッションのような世界に、めり込むように座ってみたい。

1人でおふろに入っているクウちゃんと言う女の子が「わたしのいえのちか100かいでこれからパーティがあるであそびにこない?」と言う誰かの声を聞く。
みずうみのむこうの、かざんのふもとにあるちか100かいだての家の入口を探して歩き回っていて、突然、地面の下へ滑り落ちてしまう。
日本昔話の「おむすびころりん」も「不思議の国のアリス」も穴へ落ち込み別の世界へ行ってしまうお話だ。
クウちゃんはちか100かいにある部屋を目指して階段を下りて行く。
想像上の珍しい動物がいるのではなく、自給自足の生活をしているウサギ、アライグマ、セミのようちゅう、ダンゴムシ、アリ、ミミズ、ハリネズミ、キョウリュウ、モグラ、カメなどの既存の動物たちが住んでいて、挨拶してくれる。
珍獣を期待していただけに拍子抜けしてしまったが、平凡だと安心でもあるし、人間だれしも面白がることは異なるので、いまさら驚きはしない。
特異なものへ興味があると、そのことについて誰とも共感を持って話せないことは多いのだ。

クウちゃんを待っていたのは100歳になったカメのお婆さんだった。
「疲れたでしょ さあ おんせんへどうぞ」と言ってくれる。
「疲れたでしょ」の声音には、策略も欲望もおべっかも入りこんでいない。
このお婆さんの一言が読者の私に染みいる。
クウちゃんは、パーティの前にゆっくりおんせんに入った。
帰りはおばあさんのこうらに乗せてもらってしがみつき、おんせんのおゆがふきだすトンネルをぬけて、みずうみの上に勢いよく飛び出す。
最近見た映画の「アデル・ファラオ復活の秘薬」も主人公のジャーナリストの女性がミイラの石棺の中に入って地下水を通って川の中から勢いよく飛び出す。
古代ローマの男シリウスが、ローマの風呂の排水溝や穴から、現代の日本の銭湯や観光地の岩風呂へタイムスリップするコミック「テルマエ・ロマエ」(2010手塚治虫文化賞・漫画大賞)も最近楽しく読んだ。
彼は日本の温泉文化を学んで帰り、ローマの浴場の現地で生かす。
温泉や地下水の話は疲れをいやしてくれる。

最近もう1つ私を楽しく元気にしてくれたことは、JRの指定切符をパソコンで作る若い女性の指技だ。
右手の指技のすごいことと言ったら、指が見えないくらいに動きが速いのだ。
速いだけではなく優雅で美しい。
左手は静かな動きで、3テンポ遅れて軽やかで、パソコンが楽器になってしまっていた。
両手に百合やハープを抱く代わりに、パソコンを抱いている妙齢の女性だ。
「がんばります」と高らかに言っていた。
この言葉を嫌いで、がんばりますと言わないでくれと言って、話をさえぎる人がいるが、使う人によってはいいものだ。
自分が頑張れないからと言って、他の人に「がんばります」を使うことを制限するなんて行きすぎだろう。

投稿者 mari : 13:46

2010年07月07日

引越しの怪 階段が怪を呼ぶ痒いかい後悔かい

手狭になったので少し広いところに引越すことになった。
見晴らしの良い6階にあるその部屋へは、7階にしかエレベーターが止まらないので、1階ほど階段を降りて行かなければならない。
7階から6階へ降りて行く時のむき出しの階段の浮遊感は、度が過ぎるほど空間へ持ちあげられるような気がする。
降りているのに、飛び上がる準備をしているような、奇妙な軽さを感じる。
人の声のような向かい風が鼓膜を震わせる時はなおさらである。
まだ何も起ってはいないが、何処か奇妙な場所から階段が伸びて来て川に沿ってふっと消えて行くように感じられる。階段の怪である。

内装をしてくれる大工さんが仕事に入る前に、3人で浴室を一緒に見た時には、浴槽の水はからっぽだった。
まだ水道の手続きはしていないので水は止まったままなのだが、行って見ると浴槽に水がたまっている。
鍵を渡している大工さんに聞いてみると浴槽に水をためた覚えはないそうだ。
何かのはずみに浴槽に水がたまることがないとは限らない。
しかし2回も同じことが起きるのは変である。
これは配管関係のくしゃみ現象か武者震い現象と言っておこう。歓迎されているのだ。

引越しの荷造りで疲れたので夜の9時ごろからうとうとしていた。
大きなクッションをこの日だけなぜだかお腹の上で抱えて寝ていた。
がたんと言う音がするので急に眼が覚めた。
お腹のあたりが煙たいような気がするのでもそもそと起きて見た。
立ち登っていたのは煙ではなく埃だった。
部屋に1つだけ掛けていた額縁が、10年ぶりにお腹の上に落ちて来ていた。
紐が切れたから落下したと言ってしまえば簡単だが、なぜこの日を選んでお腹のクッションの上に落ちなければならないのか。

この日に限ってと言うのはよくある話だ。
仕事で泊ったホテルの日本風の部屋で、夜中に水音が響く。
音が止まらないので、フロントの人に来てもらい一緒に調べると、押し入れの布団の上にかなりの水が落ちて来ているのが分かった。
水漏れだと言ってしまえばそれでおしまいだが、なぜこの日に限ってこんなことがと思うわけである。
夜遅く帰って寝ようとしてホテルの天井を見ると真っ黒だった。
よく見ると虫が天井一面びっしりはりついている。
翌朝ホテルのおかみさんが「大丈夫ですよ偉い坊さんのお札が貼ってあるから」と言った言葉の裏にはいったい何が隠されていたのか。

母と一緒に寝るととっても怖い思いをする。
この人は小さいころ、人の見えないものが見えていた人である。
母が眠った後、母の顔の表情が色々な人物に変化し、ものすごい声を出すのである。
まだまだ話は尽きないがこのあたりにしておこう。

投稿者 mari : 07:22

2010年07月06日

ど真ん中は真空

自分のブログを読み返す機会があって、最高に面白かった事については、もうその場で事足りてしまったのか、自分の1部になって見分けがつかなくなったのか、わざわざ書いていないことを発見した。
たとえば、前回の映画「アデル ファラオと復活の秘薬」を例にとれば、ジャーナりストのアデル嬢が、翼竜に乗ってきもちよくパリの空を飛ぶ場面。
この肉食の翼竜はなぜかアデル嬢の言うことだけはよく聞くのである。
飛翔力も強く強烈な眼が美しい翼竜が背中に乗せてくれるなんてすごい体験だ。

アデル嬢がピラミッドの石棺の中に出入り口を見つけ、石棺に飛び込んだ拍子に石棺がすべり始めて、はじめ石棺は橇になり、川に落ちれば船にもなり、地下水脈を流れて、渦に飲み込まれ回転しながら、川の中からボーンと石棺にのったアデル嬢と共に、ピラミットの埃を舞いあがらせながら飛び出てくる場面は最高だった。
こう石棺、石棺と言い続けることでわかったのだが、どうやら私は石棺にまつわる雰囲気が大好きなようだ。
川底から飛び出したアデル嬢は釣り人に聞くのであった「ナイル川はどっち?」釣り人はナイル川を指さして答える「あっち!」
地球の懐に入れた感じがしてこれもいい。

なぜかそんな満足度の高いことは書こうとしても思い出せないのである。
大変気に入って満足してしまったシーンでは、一緒に燃焼してしまうのか、しばらくは意識にものぼってこないので、文字にもならない。
燃え尽きた嬉しいようなものの輪郭だけが、幸せそうに残っているのである。
と言うことは私が文字にすることは、何かしら強い悔いが尾を引いていることのようだ。
今回は無理やりに思い出しているのだが、面白そうだから満足だったことを思い出して書くことをやり続けて見たい気もする。
しあわせなだけだったことは、ともすると退屈かも知れない。
退屈ではなかった、しあわせなことを思い出す癖も付けて見たい。

投稿者 mari : 18:44

2010年07月05日

映画「アデル ファラオと復活の秘薬」 フランス

20世紀の若い女性のジャーナリストを主人公にしたフランスの人気コミックを映画化したもの。
柔らかなよい声で歯切れのよいユーモアたっぷりの台詞を連発する女優ルイーズ・ブルワゴンは、新人女優を何人も見出してきたリュック・ベンソン監督に抜擢されたシンデレラガールである。
監督は「一番いいのは、自分の才能にまだ気づいていない人。自分は演技がうまいとか、スターになれると思っている人は選ばなかった」と言っている。
なるほど現代性と昔の大女優を彷彿とさせる気品と優雅さを併せ持っていていきいきとしていて魅力的だ。
彼女は、フランスのお天気お姉さんとしてテレビで活躍、毎回奇抜なコスチュームを身にまとい、彼女しか言えないユーモラスなお天気情報で人気者だった。
この映画でも、牢獄に入れられた友人の科学者を助けようとして、食事係の太ったおばさん、弁護士、尼さんなどと次々に変装して牢獄の鍵を手に入れようとするので、可笑しくてたまらない。


テニスをしていてころび、頭の後ろから額にかけてピンが刺さったままベットに寝かされている妹を救うために、アデル(主人公・女優ルイーズ・ブルワゴン)が、ファラオの復活の秘薬を求めてエジプトに渡る。
ラムセス2世の墓のピラミットの財宝を探し当て、盗賊や陳腐な科学者から石棺に閉じ込められ、たまたまピラミッドの中に湧いていた石油に火をつけ、出入り口になっていた石棺に飛び乗って脱出。
渦巻く地下水脈に運ばれてナイル川にたどりつきやっとフランスに帰りつく。
危機一髪の離れ業は、彼女が演じると、とっても優雅でコミカルで心がなごむ。

パリでは、アデルの友人の怪老科学者が、博物館に展示されているジュラ紀に絶滅した翼竜の卵を孵化させている。
アデルのフアンで行きがかり上、翼竜の飼育係になった若い科学者や警官、魔法使い的な友人の科学者、ハンターや政治家はへまばっかりして奇妙で可笑しくて冴えない。
美男子が1人も登場しないこんなところも面白くてしょうがないところだ。

最終的にはルーブル美術館の蘇ったミイラの医師が作った秘薬でアデルの妹は助かる。
蘇った王のミイラのパリの文明肯定や登場人物たちの自己なりの好き勝手な言い分はユーモアたっぷりで面白かった。
極端におじさんたちを罵倒する追いつめられたアデルの言葉は、言いたいことの的を突いていてよかった。
ハチャメチャに進行するかに見えるなり行きの中の小道具や風景は美しく、テンポは速いが、気分はゆっくりして次のハップニングを期待するゆとりが持てた。


最後の字幕が流れ、映画が終わりそうになってから、途中で説明しきれなかった部分の画面が取ってつけたように現れ、どこまで行っても奇想天外をやり抜いて大変面白かった。

投稿者 mari : 08:54

2010年07月04日

映画「レポゼッションヨン・メン」 アメリカ

いい男の中のやさ男として、恋人役が固定された男優のジュード・ロウしか知らなかったので、今回の切れのいいアクション、闘う意志を持った逃亡者の汚れ役は新鮮だった。いい男性が苦悩しながら自分を取り戻そうとして駆け回るのを見るのは何と言っても楽しい。
これもまた、戦争が続く中、政府が財政破綻を宣告した近未来の出来事である。
レポゼッションヨン・メン(回収屋)とは、高利ローンで人体の各部分の人工臓器を移植した人が、支払いを怠った場合、情け容赦なく人工臓器を回収する職業である。
逃げ惑う責務者を追い回し、スタンガンで気絶させ、メスで人工臓器を切り取ってユニオン社に持ち帰る。
勿論臓器を切り取られた人はその場で死ぬ。
初めは何が起こっているのか分からなかったが、何度も出てくるメリメリと人工臓器を切り取る残酷なシーンでは脂汗が出て来て、目をつぶりっぱなしで耐えられなかった。
ただむやみに明るく騒ぐだけの映画にあたってしまった場合だとすぐに厭きるので映画館を出るが、どう言う展開で問題が進み、解決策はあるのかどうかを知りたかったので、問題が問題なだけに立ち去れなかった。
R15+(15歳以下は禁止)の映画である。

絶好調の回収屋レミーは、妻から販売の仕事に変わるように頼まれ、それができなかったので、家を追い出される。
人工臓器の回収に直接手を下さず、販売の仕事をしても、ユニオン社にいれば、会社の収入から給料をもらうので、同罪になるのではないだろうか。
直接手を下すものだけを罪人と言ってはばからないのなら、では聞きますが分け前をもらっている奥さんも、間接的にほんとは罪人と同じではありませんか。
むかしむかし、自分もその肉を食っているのに牛や豚やヤギやニワトリをさばく人を悪く言う人がいた。
自分もその肉の分け前にあずかっているのに、動物に手を下していないから、きれいな身なのだとは言えないでしょう。
資本主義の資金は社会をめぐりめぐっていて、汚れている、汚れていないと勝手に言っていても、運賃や病院代を始めとして、誰も金の縛りから逃れられている人はいないのではないだろうか。
それを理屈としてだけでも知っているのなら、お花畑も輝きを増し精神の陰影が深さを作ってくれるでしょうね。

仕事とは言え、ローンを払えない人を殺して、人工臓器を回収する冷徹な作業は事務的な理屈としては成立するだろうが、人心の荒廃の上に成り立っている職業で、関わっている人間は、異常な状態に追い込まれていて、気が狂う一歩手前にいるか気が狂っている。
ある時、回収屋のレミーが、責務者の人工心臓を回収しようとした時、電気ショック装置がショートして気絶する。
病院に運ばれたレミーは、それだけ身体を痛めつけていたのだろうか、知らないうちに自社の人工心臓を埋め込まれ、責務者にされてしまっている。
それ以来レミーは、回収屋の仕事に戻っても、生きている人間の人工臓器を嬉々として切り取って回収することが、できなくなってしまっている。
ローンが払えなくなりそうな不安の中、人工臓器や耳や膝などを10種類も移植しローンが払えなくて逃亡している歌手の女と出会い一緒に逃げる。
レミーには仕事の相棒の親友が1人いる。
人工臓器回収のために親友に追われるはめになってしまうが、親友はきわどいところで味方にかわり、助ける側に回る。
レミーと女と親友の3人で、ユニオン社の登録を消し、南の島の楽園に遁走して楽しく暮らしている。


ところが、どんでん返しの映画でこれから先はその内容に入ることになる。
レミーは、病院に運ばれた時からずーっとベットに寝ていて、ユニオン社の、楽しいだけの夢を見させる装置につながれていた。
ユニオン社の連中とのスピード感のある格闘や、コンピュータ室を破壊するための知的な判断と行動も、女と親友との人間的な触れ合いも、全部レミーの脳内だけの出来事だったのである。
頭に何本もコードを埋め込まれた状態で、南の島での幸福な暮らしを脳で体験して、幸せそうにほほ笑んでいるレミーの姿は、恐怖そのものだった。
錯覚がもたらす感覚に違和感を持つ力を失ないたくないものだ。

投稿者 mari : 12:10

2010年07月03日

映画「ザ・ウオーカー」 2010アメリカ

文明が、戦争や核兵器や自然破壊で破壊されてから30年経った近未来、ウオーカーと呼ばれる男(アフリカ系)が西へ向かってほとんど瓦礫と化した荒野を歩き続けている。
ウオーカーは、リュックに、世界でたった1冊残った本を背負っていて、毎日のようにその本を読んでいる。
本を運ぶ目的も理由も一切知らないままでいられるのは、本を読んで内容に惹きつけられ感服しているからだろう。しかし30年もよく続いたものだ。
都市は崩壊し、水脈はほとんど枯れ、安物のシャンプーやウエットティッシュが珍重され、いわゆるお花畑や虹や透き通った風に象徴されるメルヘンチックなものもなく、ほとんど黒か茶か灰色の独特なガッンとした世界である。
ウオーカーは、本を盗もうとする権力を持ったならず者や、単なる盗賊を短刀とショットガンで正当防衛だとは言え容赦なく素早く殺す。
小動物はウオーカーにとっては、弓矢で射て食べる食料である。
本に書かれている内容を理解し力にすれば、どんな敵が来てもその場を安全に切り抜けられる様子である。
ある街で権力者でならず者のカーネギーに捕えられ、盲目の情婦とその娘ソラ―ラに出会う。
情婦に娘ソラ―ラを託されたウオーカーは、世界で唯一の本を権力者カーネギーの手下に奪われる。
権力者カーネギーが手に入れた本を開いてみると点字の本であった。
盲目の情婦に点字の本を読まそうとするのだが、もう点字は忘れてしまったので読めないと断られる。
本当は読めるのではないか、そうであれば、物語が終了しても予感された部分どうしがつながって、再び物語が生まれて行く希望は残されている。

ウオーカーがたどりついたところは、昔まだ文明がちゃんと受け継がれていた時代の大切な美術品や本などを収集している場所だった。
館長さんの落ち着いた態度や聡明な考え方が現れた表情に安心できるものを見出すことができた。

ウオーカーが30年間も荒野を運んでいた本は聖書(旧約と新約)だった。
しかも点字の本で、ウオーカー自身も盲目だった。
館長に盲目のウオーカーがそらんじている聖書の内容を聞き書きしてもらい、ついに文字であらわされた聖書が完成した後ウォーカーは亡くなる。
情婦の娘のソラ―ラは以前のようにおどおどするのではなく、襲われた時のための武器を身につけ、母の住む町へさっそうと帰って行く。

点字の聖書を守るために、奪おうとする者はお構いなく殺す。
誰もが聖書の内容と殺しを結び付けることができず、疑問を抱いたままだろう。
30年間持ち歩いた聖書を読んで丸暗記してしまったので、ウオーカー自身が生きていれば本人が生きた聖書になる。
彼が殺されればもう何もかもなくなってしまうわけだが、ひょっとしたら盲目の情婦が、奪われた点字の聖書を読めて、信者になる人々が彼女の周りに集まるかもしれない。
聖書が力のあるものとして描かれていた。

投稿者 mari : 08:53