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2009年09月29日

徒歩の散歩は多面体

厚い雲が垂れこめた暗い朝、山の峰の中腹には、ドラキュラ城に似た鋭い牙のような城の影がうかがい知れる。
城を住み処とする者は命を長らえるために吸血をなす。
松葉ぼうきを持ってうつむきながら林の中の落ち葉を掃いているおばあさんは、不穏な城からやってきた見張りである。
「今日は犬が来ないね~ほほほほ」と言って半分透けた体を元に戻そうとしている。
空を蔽い尽くしながら、風に乗って浮遊している蜘蛛の糸が腕や顔にまとわりつく。
カリカリと言う音は、ショッキングピンクと紫と黄色を連想させるが、蜘蛛の姿がない。
こんな時には通り過ぎて行った変質者のおじさんさえ、人間側にいるただの変なおじさんにしか見えない。
確かにいつもと同じ散歩道を通っているのだが。
偽の鶏の声を聞いて朝が来たのだと勘違いし、扉を開けてしまい、幽霊に連れて行かれた男のような気分だ。
陽の光で浄化された朝のはずなのに。
川の中の三角州に生えた恐竜の形の草の茂みは、濃さを増しながら暗黒の卵を生み出している。
ヘモグロビンを呼び寄せる磁石は、卵の中で成長している。

「短歌と言う爆弾」穂村弘著の中にあった初心者のためのレッスンのことが思い浮かぶ。
「善意や好意や明るさの領域だけで書かれた歌には本当の力は宿らない」(著者)とか「小さな器に凝縮させたら一滴で何かに効くような貴重な液体になった」(初心者)とか。
本当の力とは? 心に響いても響くだけでは1秒後には忘れ去られる。
人を揺り動かし、行動を促すことはできない。
力にも段階があるし。
分からないからと言ってその無力感に浸り込むわけにはゆかない。
とは言えただの普通の善意の微笑には、ふるさと効果があるのではないか。
それさえ一時の飲み物として欲しい時代だ。

投稿者 mari : 08:28

2009年09月27日

おぼろげな喪失感

遠縁の3人の子持ちの男性Qが、一昨日首つり自殺した。
そのことを昨日知った。
不意に鋭く冷たい刀で切りつけられたような気がしたが、それは一瞬だけで、その衝撃はなまくらな木刀がめり込んでゆく重さに変わり、人型の木刀のカビが私の中で増殖している。
このまま、まともな衝撃を受け続ければ大変なことになるので、自己保存のために、感じる力をストップさせたと思う。
おぼろげな不確かな喪失感しか湧いて来ないことが、私が一人前の人間ではないことの証拠のように感じられる。
「生きて行く仲間を取り去られたことが無念で残念で悔しくてたまらない」と言えるぐらいの水準にまで持ちあげて来ないと生きている方が沈み込んで耐えられなくなってしまう重圧感に襲われる。

3年前に義弟が、自己破産した。
自殺したQは義弟の妻の弟である。
Qが両親と一緒に住んでいた家と土地も、義弟の抵当に入っていた。
Qの妻が工面して住んでいた家を買い戻した。
義弟はQの妻から憎まれている。
義弟は癌になったが、退院して仕事に戻っている。
義弟もその妻(Qは実弟)も通夜の席にも家に上げてもらえず、関係のない一般人として取り扱われている。

私もすぐもどすからと義弟に嘘をつかれてお金を貸してしまったので義弟を憐れみながらも軽蔑している。
嘘をつかれると言うことは、突き落されて殺そうとされたり、殴られたりするのといっしょだ。

なんとなく美しく生命を尊重し合うだけではどうにもならない現実がある。
お金や、その他の貸し借りを除いた上で結べる交流の方がいいに決まっているが、そうなるとそっけなく感じることの方が多い。
皆同じ程度の生活水準でなければ、そんな交流は無理であろう。
お金や地位や名誉を持っている人が、お金や地位や名誉を手放さずに、世の中お金や地位や名誉じゃないよときれいごと言っても説得力がない。
世の中をあきらめた人にしかそれは通じない。
お金は命の重みと同じである。

投稿者 mari : 10:01

2009年09月25日

おじさんランナー再び出現

口からありがたい念仏の教えが物体化して飛びだしている空也とは、根本的には違うのだが、口からエロいアヒルや毛むくじゃらな体器を吐き出して走っているおじさんが再度出現した。
下品極まりないメタボ、40代だろうか、手足が太く、狂った雰囲気を持ち、体を左右に揺さぶりながら厭らしいことを叫んでいた。
奇異な感じがして気持ち悪く、可愛く面白ければ許すのだが、面白くもなんともない。
顔も体も警察に届けられる程度にはっきりと記憶した。
写真や録音を証拠として、現場を押さえなければならないのかもしれない。
向かい側から歩いてきた別のおじさんにわけを話すと「その男は、おはようって言ったんじゃないの~?」と信じてもらえない。
想像力が枯渇し、本当にあった出来事を話す相手から、緊迫感を感じとることができない人は、いつもこの調子だ。
席を立ちたい映画の残念な気分とそっくりだ。
まっさらな時間を返してくれと言いたい。


一生懸命作った映画なのだから付き合いたいのは山々だが、あまりにも退屈で苦しくなったので劇場を後にした映画が思い出された。
好きなガルシア(男優)の主演で題名にも魅かれたのだが、「恋愛睡眠のすすめ」は、塩と砂糖を入れ間違えた冷えたお子様ランチだった。
もう一つは「リミッツ・オブ・コントロール」。
マッチ箱に入ったメモを色んな人から受け取りながら行動する男性がいて、必ず「スペイン語はできますか?」と聞かれる。
意外性を突きたかったのかもしれないが、つまらない夢の羅列で、こちらが眠り呆けて涎までたらしそうな映画だった。
「人生は無意味だ何の価値もない」と言うせりふがいたるところでばらまかれ、人を信じることもない緩慢な行動があり、最後にはなりゆきで殺人を犯すところまで行く空虚感が全体を覆っていた。
引き続いて、素人さんのテンポのよくない腹立たしくなるほど長いパントマイムを見て、腐ったことも思い出した。

良かったことは、今更ながら自分の好みがはっきりとわかったことだ。
そしてそれは、大部分の人とも共感できるに違いなかった。
エロいおじさんランナーを好きな人は変質者を除いて皆無であろう。
私だけでなく何人かが居眠りをし、退屈でため息をつきながら首や腕を回し、トイレのためや携帯をかけるために席を立ちはじめ、途中から抜けて2度と帰ってこない人もいた映画もあるのだ。

投稿者 mari : 08:24

2009年09月24日

東京から帰還

なり行き上20歳も30歳も年下の人たちと、自由が丘で酒宴を囲んだ。
お肌つるつる、髪の毛しっとりふさふさの若いサプリ仲間たちは、こう言う添加物食品しかない世の中だからこそ、20歳代から毒消しにもなるサプリが必要だったのだそうだ。
味噌や納豆や韓国のキムチなどの発酵食品ぐらいしかまともな食べ物はないし、マー〇リ〇が食べるプラスチック、それを吸収しようとする腸が宿便まみれだとしたら、もう限りなくぞっとして嫌悪感が走るばかりだ。
どのようなことでもすべてそうだが、サプリを飲むか飲まないかは自分で、ある程度強制的に選択しなければならない。
自分の命がいとおしいと感じられるためには、それなりの身にしみる体験が必要で、他の人の命を顧みることができるようになるためには、まず自分の命を抱きしめるような体験が必要だ。
体感がない人には、信じることができないのは当然だ。
インシュリンが出始めたとか、ヒアルロンサンで膝によい体感が出たと言っても、自分で具体的に体験しないと、他人の情報を信じて聞くようになる耳は生えてこない。
それはさておき手拍子、握手、指笛、話声の轟音の熱風の中で心地よく充電できた。
愛宕山では、神社の祭りばやしを聞き、銀座では福岡と同じくらい新鮮な寿司を大衆価格で食べられた。
埼玉では人参畑を、日比谷では見事な大木を何本も見ることができた。
他人に無関心な人ばかりだと思っていたがそうでもなく、やたら狂気じみた関わり方をしてくる人にも出くわした。
浅草やお台場、六本木なとも歩いて見た。
風景はどの街も似ているが、東京の方が人間密度が高い。
20歳代のテンポに歩調を合わせた私はそれなりにくたびれ、宿泊場所に設置されていたマッサージ機には重宝した。この頃のマッサージ機は性能が高い。


帰途、羽田に向かう途中、山手線の人身事故で電車がストップした。
電車内で羽田行きの人たちを何人も見かけたが、タクシーに相乗りしませんかと声をかける余裕がなかった。
停車したのがどこの駅かもわからず、とにかくあわてて走りながら地上に出て、タクシーを拾い羽田まで向かった。
咄嗟に地上に飛び出したので、まだ空港に向かうタクシーもほとんどなく、普段は渋滞するトンネルあたりもスムースに行けた。
無残な人身事故は辛く影を曳く。


歌人の穂村弘さんの歌が脳裏をよぎった。
●サバンナの象のうんこよ聞いてくれ だるい切ないこわいさびしい


歌人の笹井宏之さんの歌もやってきた。
●上空のコンビニエンスストアから 木の葉のように降ってくる遺書

投稿者 mari : 23:07

2009年09月20日

若き歌人・笹井宏之(2)

歌人の笹井宏之さんは、今年の1月24日に亡くなられた。
あとで知ったことだが、笹井さんはフルートも吹く人だった。
身体表現性障害を抱え、短歌を佐賀新聞に投稿はされていたようだが、亡くなる前の5年間は、ネット短歌界にも投稿して類いまれな透明度のある短歌を生み出していた。
笹井さんの歌を読んでいると、しらずしらずのうちに彼の無垢に触れて、さみしくて温かいエキスがにじんだ涙に浸される。
亡くなられた今、笹井さんそちらはどうですかと気さくに聞けそうだ。

1975年生まれの若き歌人の笹公人さんの第1歌集「念力家族」を読んでから、彼の面白さに注目していたが、次々に出版された本の中の「念力短歌トレーニング」に掲載された笹井宏之さんの短歌を読むことができた。


●葉桜を愛でゆく母がほんのりと少女を生きるひとときがある(佐賀新聞・平成20年最優秀賞)
  
●いのちあるものに等しくおとずれる白い砂嵐の時間帯

●廃品になってはじめて本当の空を映せるのだねテレビは

●鰯雲のうろこのなかへ釣り針のように突っ込んでゆく旅客機

●やどかりは潮騒を聴くためにだけに貝殻を背負っているらしい

「妖怪人間ベム」
●人間になれますように 廃駅のいたるところで雨、ひかりだす

●道場にあやめのような人がきてしばし花瓶となる師範代

「90年代北朝鮮大飢饉」
●かろうじてその生きものはひとでした 火にも水にもなれないままの

「平原綾香・ジュピター」
●歌声のひらはらとふる冬の世に私は少し木星でした

「中島美嘉・雪の華」
●簡潔な情事ののちをうっすらとカーテン越しにふる雪の華

「Sarah Brightman」
●そしてサラ・ブライトマンの声帯をふるわせている黄昏の風

~つづく~

投稿者 mari : 21:27

若き天才歌人・笹井宏之(1)

今年の1月に心臓麻痺で26歳の若さで亡くなった歌人・笹井宏之さんの歌に出会ったのは、昨年出版された歌人・笹公人の「念力短歌トレーニング」の中の投稿短歌だった。
ハッとする無垢のさみしさと明るさがあった。

  
● ひとしれず海の底へとおとされた大王烏賊のなみだを思う

● マンボウのようにヨーロッパの人が長椅子を立ちあがって消えた

● グリズリーに跳ね上げられた紅鮭の片方の眼に映る夕虹 


笹井宏之さんは、2004年から作歌をインターネットの短歌サイトで始めていた。
重い自立神経の失調で高校を中退、佐賀県有田の自宅で闘病生活をしていた。
歌集「ひとさらい」が歌壇でも注目された。 その中から抜粋、好きな歌だけに割愛させてもらった。

 
● えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

● ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす

● 天井と私のあいだを一本の各駅停車が往復する夜

● スライスチーズスライスチーズになる前の話をぼくにきかせておくれ

● 内臓のひとつが桃であることのかなしみを抱いて一夜をあかす

● 愛します 眼鏡 くつひも ネクターの桃味 死んだあとのくるぶし

● 拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

● 滝までの獣の道を走りぬけあの子は歌手になるのでしょうね

● この森で軍手を売って暮らしたいまちがえて図書館を建てたい

● それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした

● わたがしであったことなど知る由もなく海岸に流れつく棒

● からっぽのうつわみちているうつわそれから、その途中のうつわ

● 二十日まえ茜野原を吹いていた風の兄さん風の母さん

● 何もない机で老いてもち米を丸める人になっていた夢

  

投稿者 mari : 07:37

2009年09月19日

ああ コスモス なのか

森の中で植物の二人静に出会った時も、別名ユウレイタケと言われている銀竜草が栄養をもらっているキノコ類(菌根菌)が栄養にしている土中に埋まった生物の死体を探した時も、南蛮ぎせるを踏みそうになった時も、こんな風ではなかった。
同じような興味深いものに出会えてわくわくしていたのに、いったいどうしてなのか?
以前と今回はどこがどう違っているのか。
朝歩きの時に、見たこともないオレンジ色の一重の花が、空中を際立たせて咲いていた。


二人静、銀竜草、南蛮ぎせるの時は、見つけた時に大声で感想をしゃべって、どたついていた。
自分の声を聞きながら、雑に盛り上がって、感覚がばらついていた。
かすかで繊細なものがかき消されてしまって、何も見えていない状態だった。
自分の声に振り回されることなく、自分を鎮めなくてはならない。

オレンジのコスモスを見つめる時は、じーっと黙って、花が生息している圏内に入って呼吸していられた。
ひとりでにほほえんでいるなんて、帯どめの写真集に出会って笑った時よりも、まだ密かであり、これは新しい体験だ。
まさに呼びかける花。
花に呼び寄せられるのは、花が散らす匂いのリズムと共鳴しあうことができたからなのか。
この世の花に初めて出会った時のような、何十年振りかの、そよそよとした幸福感が再び味わえるなんて。どうしたことだろう。
薔薇の花びらやマリーゴールド、松樹皮の抽出物、すいかずらや熊笹の入ったサプリを飲んでいるからなのか。
神秘的で本質的な花体験は、子供のころの、泰山木の白い花、れんぎょう、お茶の花しかない。

植物図鑑の説明を横滑りさせるだけのようで、つまらないが一応オレンジ色の花の名前を調べて見た。
メキシコのオレンジフレア(コスモスの仲間)だった。
南蛮ぎせるはススキやさとうきびなどのイネ科やみょうが、スゲなどに寄生する。

投稿者 mari : 11:35

2009年09月18日

「交渉人」 ウサギ・レイコ 連続ドラマ(09再)

特殊犯捜査係(通称SIT)の5係(交渉斑)に所属している宇佐木玲子は、ウサギと呼ばれている。
トレーニングで筋肉質な体格を維持させ、短いストレートヘアー、シャープな顔立ちをしている。
役職は主任、階級は警部補。31歳。
犯人と交渉するために現場に乗り込み、犯人との会話のやり取りで犯人の自暴自棄や暴走を治め、犯人の命と人質の命を守ることが任務だ。
人質も犯人も死なせず事件を解決させることが与えられた使命。

父を殺した宿敵の真里谷恭介からも、たった一人の理解者として受け入れられている。
真里谷から、「君は死にたがる人間を、理解できている」とまで言われる。

1対1で犯人と対峙するときは、相手の機嫌を損ねないように、慎重に言葉を選んで呼びかける。
なおかつ、自分に装着した無線マイクを通して、作戦指揮本部に、現場の状況が解かるように、犯人に悟られずに、しやべらなくてはならない。
今回は工場の事務所内で犯人と対峙している。

★はウサギが犯人と会話しながら、指揮本部に伝えたいメッセージ。
♡ウサギ「怪我人はいないようね」 ★全員無事
♡ウサギ「その銃、弾は何発入っている? 7発?」 ★人質は7人
♡ウサギ「5発かな?」 ★内男5人、女2人
♡ウサギ「その拳銃、トカレフよね。歌舞伎町あたりで5万から6万てとこかな。トカレフには気をつけて安全装置がないから」 ★拳銃の入手ルートから犯人を割り出し、暴力団担当刑事に応援要請をたのんで欲しい。

〇2人のやり取りは、随時録音され、声紋照合にかけるために、対策本部へと送信されている。
〇マイクが拾う声の大きさや反響で両者の距離がおおよそ推察できる。

♡ウサギ「さっき2発撃ったんだっけ、ジャムらなかった?(からの薬きょうが飛びださず、次の弾が打てなくなること)」 ★会話が通じていると言うことは、犯人がガンマニアの可能性がある。銃器マニアの前歴者リストを調べてください。


ウサギは犯人と会話しながらも、窓際に寄って指先でブラインドの隙間を開ける。
窓の外のハイバースコープが、室内の映像を捉え、モニターが犯人の姿を映し出す。
犯人の顔がファイル保存され、データは本庁に転送され身元照会にかけられ、犯歴を調べられる。
報告によって、刻々と状況が把握される。
立てこもり犯人に自殺願望があるのかないのかがわかってくる。
目的も、犯歴を調べるとわかる場合がある。
今回の犯人は、陸上自衛隊を懲戒免職させられている。
そのためか銃の扱いに慣れており、専門用語も理解できていた。
郵便局現金強奪事件で1億2千万円を奪っている疑いがあり、重要参考人として任意同行されている。
案の定、立てこもった工場内に現金入りのケースを隠していた。
仲間がいないとこのような行動は難しいとされ、ウサギの勘が当たって、人質の中に共犯者の女がいた。
ウサギの現場での鋭い体感や、学んだ知識や経験からくる、言動や勘が素晴らしい。


08年テレビ朝日連続ドラマ8回
09年再放送
脚本 寺田敏雄
ノベライズ  稲元おさむ


投稿者 mari : 08:45

2009年09月16日

若い女性あれこれ

20代の女性たち3人とサプリともだちになることができた。
電話やメールで情報交換していると、言葉の合間から新風が吹きこんできて楽しい。
窓際に置いていた水晶がプリズムになって、部屋中に小さな虹がいくつもできた時のようだ。
未だに化粧の仕方を知らなかったので、ほんとに女ですかあ~と言われてしまったがうれしい。
生き生きとした夢があって、その水準の言葉で若返らせてくれる。
この人たちは、こんな風に感じているのだと言うこともわかって、お化粧の仕方も習うことになった。
シミも取りたい、ブライトアップもしたい意欲がわいてきた。
フランスでワインを、シシリー島で魚介類を食べる旅、いずれご一緒したい。

最近、かっこいいと思っている女性は、米倉涼子がテレビ番組「交渉人」で演じている女性初の交渉人宇佐木玲子である。
父が殉職してから、母方の苗字ウサギを名乗っている。
父を入れて3人の命を奪った愉快犯の真里谷恭介(マリヤ)に週1回面会に行っている。
何の反省もなく、終身刑や死刑になってもらうのは困るのだ。
ウサギはマリヤに「あなたが犯した罪を悔いて、泣きながら命乞いをして、跪いた時、初めて死なせてやる」と言う激しい言葉を、首だけ振り返って冷静に告げる。

ウサギは、警視庁・刑事部・捜査一課・特殊犯捜査係(SIT)・5係交渉斑という肩書。
週1回の番組が1度終了したので、DVDを借りて来て最初からじっくり見ていた矢先に、また番組が開始された。
交渉人と犯人とのやり取り、仲間の警部や警部補、警視や警視正とののっぴきならない、息づまる会話に興味がある。
上司の警視にウサギが言われる「どう言う正義感をお持ちか存じませんが、人質も犯人も死なせず、怪我もさせず、事件を解決させる―  そんなものは、理想論だ」
ウサギが答える「人質も犯人も死なせず、事件を解決させる。それが任務ですから」
それをほんとうにじわじわと実感させてくれる。
人質の命が、ウサギの交渉(言葉のやり取りで)左右されるすごさがある。

投稿者 mari : 08:29

2009年09月15日

故郷の声

父の3回忌の法事の後のおとぎ(食事会)のために、田舎町の旅館に電話予約を入れた。
昭和初期の旅館で、10年ほど前に同級会があったノスタルジックな宿である。
真ん中にある庭を中心に周りを廊下が囲んでいて、階段がいくつもあり、暗がりも多い。
亡くなったはずの友人たちの横顔や後ろ姿が闇に浮かぶので、1人では泊まれない。
亡くなって間もない人に対しては、まだ心の準備ができていないので、変容した姿を現わして、ゾッとさせないで欲しい。
突然出くわしたヤモリのように言ってごめん。そのうちに慣れますから。

電話に出たおかみさんは75歳くらいだろうか、万人にすみずみにまで親切が行き届くような対応をなさる。
父の死を知らなかったことをまず詫びられ、自然に世間話の花を咲かせ、汲むめども尽きぬ温泉のごとき豊かな話題の中に、ふるさとの大地をしっかり踏みしめる気丈さがあって気持ちいい。
旅館の女将さんは、世間のお母さん的な存在である。
この人の前ではゆっくりと手足が伸ばせると感じさせる。
成長したプロは素晴らしい。
知人の紹介だと言うこともあってか、久しぶりに前むきな女性の心地よさを味わうことができた。
旅館ではどのような人が宿泊しても、どんなことがあっても、まずはその人に敬意を払う。
着る物や、履くもの、背中に背負った社会的な後ろ盾を見て、あからさまに態度を変えるのは素人のおかみさんである。
「高野聖」の、言葉つきがしっかりし、身のこなしのしなやかな女人の血は、ここら辺でも受け継がれている。と言うより昔の働く女性はこのようなものであったのだ。
旅館の岩風呂に入り、1週間ばかり山間の霊気にあたってゆっくりしたい。
同年代の気の置けない連れが欲しい。暗闇やそれらしい言葉から湧いてくる今は亡き人や地霊たちの姿や心情など、何も見えない友人がいると助かる。
もう少し山奥に池の美しい、土壁に丸い飾り窓のある小さな旅館があったが、今はやっていないと言う。

昔の庄屋の家柄や神社仏閣に所属する者たちで、自分たちは格が高いと言って己を誇る者たちが宗教行事に携わると、ろくなことはない。
俗情の上に俗事の柱を建てて威嚇しているようで居心地がよくない。

投稿者 mari : 01:14

2009年09月14日

再び朝の散歩

時々、強歩をやめて周囲を味わってみている。
朝はヤマバトや鷺が鳴いている。
低音のヤマバトの鳴き声は、森の中を清浄にしながらゆっくり近ずいて来るかんじがする。
鷺はギャーと一声二声で、姿に似合わないハスキーさ。
もちろん小型の鳥々の声も空間に網目を描いて入り乱れる。
小さいので木々に隠れて姿がよく見えない。
カラスが愉快なアクセントをつける。
何千匹かのコオロギが鳴くと、クツワムシやマツムシの声がかき消される。
卑猥な言語を発しグリコ走りをするオヤジにも、マスコット犬おばさんたちとも出くわさなくなった。
相変わらず毎回道にできている黒いシミは、犬の尿である。
犬の尿だけをみつけるロボットの視界を借りれば、道には10年来の犬の尿のシミがいたる所に見つけ出せるだろう。
自分の子供の尿やよだれが汚くな思えないのは親だけで、他人様にはちょっと迷惑。
こんな平穏な朝にも、米軍のリクルート(新人募集)作戦は、行われている。
アメリカの傘下にいる我が国は、アメリカの青年たちにお金を払って命を提供してもらい、武力で守ってもらっている。
これもいざと言う時には、撤退するかもしれないのであてにならない。
政権交代で、土下座外交はもっとひどくなるだろう。
国旗や国家が悪いのではないので、国旗や国歌を妙な模様のものや、お花畑らんらんのような大衆歌に変えようとしないでもらいたい。

投稿者 mari : 07:26

2009年09月12日

お天気(晴れたり曇ったり)白昼夢

東から灰色の厚い雲が移動してきて、晴れていた朝空が一面にかき曇り、芥子粒ほどに飛び散った雨煙に混じって、どんぐり大の雨粒が頬を打ち始めた。
日記につける気象情報の類ではなく、あいさつ代わりや文の前置きに使われて終わる空模様でもない、心の内部に直に影響を及ぼす天気がある。
思いもよらぬ内的な風景を呼び覚ます。
川下を見れば、一艘の船の上に島流しになった男が役人と共に乗っており、もっと川下を見れば、ゴリラに船を漕がせて荒波の大海へ向かおうとしている少女がいる。
ズームインすれば彼らの表情の細かいところまで見えて来て美しさに胸打たれる。
これからの彼らの行く末が見てとれる。
刻々と行き来する時を、今に戻すのは、数を増したどんぐり大の雨粒が目を直撃した時だ。
靄の立ち込めた川は山へと逆流し、神話の山にぶつかって霧を8つに分けたかと思うと、八岐大蛇と化して今にも踊り出さんばかり。
老松神社のあたりからわいた雲に乗った菅原道真公が、雷神を連れて空を走りまわっている。
新聞社のヘリコプターが、老松神社の稲田のあたりに潜んだ誘拐犯を捜索している。
帽子をかぶって立ったりしゃがんだりしている10人の案山子の中の1人が犯人である可能性がある。
ここらあたりは防人や山姥が今もうろついている場所で天気の変わり目のほころびをくぐって見え隠れし、立ち話をしてゆくので面白い。
彼らにはどっちつかずの生ぬるさはなく、気持ちがいいほど一徹で幼児のかわいさを持つ。

投稿者 mari : 09:13

2009年09月09日

ランナー君発見か

朝の気分を台無しにしてくれていた卑猥な言葉を発するランナー君は、よく見ると40代~50代のランナーオヤジだった。
ほぼ見当をつけただけだが、最初の全体的な印象と今朝のランナーオヤジは1人に重なった。
観察すると、ためこんだ厭らしさがねちつくようにランナーオヤジの顔を取り巻いていた。
魂胆が今にも発動しそうな、外側へ押し出された無表情。
しかしもう1回、卑猥な言動をする場面に出くわして確かめてみないと断定できない。
私がラジオを左手に持ってイヤーホーンをつけ、いかにもラジオ聞いている風にしていたので、ランナーオヤジは、しゃべらなかったのではないだろうか。
それに私は、目印の下駄はやめ、運動靴をはき、サングラスをかけていた。
下駄はかなり目立ち、みんなが下駄に注目するのはよく分かるので、ランナーオヤジも私ではなく下駄をはいた女に目をつけていたのかも知れない。
私は、見かけからかパワハラ・オヤジやセクハラ・オヤジたちから、よくまともに彼らの力を行使される。
私も彼らをひそかに人間扱いせず、軽蔑しながらかわしている。
オヤジたちから溢れている攻撃性と殺意はよくない。


ランナーオヤジを通報するかどうかは、証拠が私の記憶だけにしかないので、まだ決定していない。
私本人にその強い意思が確立されてこないと通報実行には持ってゆけないのだ。
耐えられるだけの意志力とさける時間が必要なのだ。

以前ある文学系の団体の知人が、賞にからんだとばっちりを受けて、殺傷未遂事件に巻き込まれ、カッターナイフで斬りつけられて腕に傷を負ったことがあった。
知人とは関係ない、師匠である男詩人をめぐる女性同士の嫉妬から来るものから起こった事件だと言われていた。
団体内で署名と手術費用を集め、その内容を団体全員に配布される通信に掲載するので、それを読んだ犯人から、知人が「もう事件のことは忘れろ、昨日の何時頃には、どこそこに行って〇〇をしていたね」と言う何通もの脅しの手紙をもらい、知人は精神的に参ってしまった。
さらに応援する方が、知人の記憶を掘り返し、知人を傷つけることになってしまった。
犯人のたび重なるいやがらせの手紙で、知人は二重三重に傷ついた。
事件を明るみに出し事実を知ろうとする者たちに、知人からもう何もしないでくれと言う手紙がとどいた。耐えられなくなったのだ。
団体からも団体全員でどうにかしたいので何もしないでくれと言うおふれがでた。
こうなると案の定、何の進展もなく事件はお蔵入り。
犯人にとっては、もう忘れ去って欲しいことなので、団体の生ぬるい反応に歓喜したに違いない。
見当がついている犯人をかばう者さえあらわれ、とうとう事実を知ることができなくなってしまった。
テレビの特捜班の敏腕刑事や闇の仕置き人を望みたくなるのは、無理もあるまい。

投稿者 mari : 07:48

日本映画「BALLAD 名もなき恋のうた」

またもやタイムスリップして現代人が戦国時代の人々と交流する物語である。
現代人が頻繁に戦国時代に行くものや、塚や墓の封印が解かれて戦国時代から現代に蘇ってくる姫や武将たちが出てくるような映画が多い。
外国のSFものを入れると今年6本もタイムスリップものを観た。もっとあったかもしれない。
このところしきりにタイムスリップものが作られ始めている。
知識でしか知らない時代へタイムスリップすると言うことは、驚きをともない、忘れていたわくわく感や意外性に新鮮味が加わる。
「戦国自衛隊」あたりからタイムスリップものは面白くなって来ている。
木の色をとどめた木造りの城の内部や城を囲む村の自然に癒される。
広々とした戦場の場面を阿蘇で撮影し、スタジオのセットや古い城を借りての撮影の場面をつなぎ合わせたものであっても、ほのぼのとした雰囲気は立ち登ってくる。

小学生の少年が毎朝、湖の前に佇んで祈る戦国時代のお姫様の夢を見続ける。
少年は、大きなくぬぎの木の根元に埋められている漆の箱に入った巻物を発見する。
それは、少年が戦国時代にタイムスリップした後に現代の父母に安否を知らせるために書いた手紙だった。
戦国時代には、大くぬぎの木はなく、現代のくぬぎの大木は、少年が戦国時代に行った時にどんぐりを植えたものが成長したものだった。
自分の書いた手紙を読んだ途端に少年は意識を失い、戦国時代の武将たちが集合して戦術を鍛えている場に出くわす。
敵の足軽が火縄銃で、無敵で鬼の井尻と言われている又兵衛を狙って発砲した時に、鉄砲玉は又兵衛をそれたかに見えた。
結局この井尻又兵衛が火縄銃でやられそうになる場面が、重要な生死を分かつ2つの岐路を設定する場面になっている。
火縄銃の弾が心臓にあたってすぐに亡くなってしまう場面か、弾が心臓のあたりの鎧をかすめて逸れるかの2つの場面が作られている。
戦いの時代考証も面白く、生き死にを毎日肌で感じていた時代の美しさや切なさに、単純に惹きつけられる。
廉姫は隣国の武将に見初められ結婚を申し込まれるが、それを殿様が断ったために、2つの国が戦うことになった。
殿様が廉姫を両国の繁栄、自国の安泰の道具に使わなかったのは、少年の父母が少年を探してタイムスリップして来た時に、現代の歴史書には、殿さまが所有している春日国も、隣国も載っていないことを聞いたからだ。
「すべて虚しい、廉姫と井尻又兵衛には好きなようにさせる」と悟った殿様は穏やかに決断した。
何よりも廉姫と井尻又兵衛の悲恋には、命をかけた必死な対話の切なさが込められていて、胸に痛みが走る。
廉姫が井尻又兵衛に投げかけた名台詞「お前が生きて帰ってくれば、自由に生きよう。 お前と!」
ものすごく燃焼した熱い場面である。
何もかもが適当にあしらわれ、自分の命さえも他人事のように、うすぼんやりとしか実感できない現代人。
病の痛みや痒みは肉体の感覚を唯一取り戻させてくれるが、そんなことで感覚を取り戻すことは御免こうむりたいとほとんどの人間は思う。
痛みは魂を悪魔(ルシフアーやアーリマン)から守る唯一の救いであると言ったのはドイツのシュタイナーだった。
それはさておき、
廉姫の祈りを真剣に受けた井尻又兵衛は唸り声を発して、大切な廉姫と春日国を守り抜くために戦いに挑んで勝ち抜く。
人と人との交流が希薄になったこの時代、胸が打ち震える感覚を取り戻すための大衆芸術は、今や映画と言う身近な娯楽にしか見当たらない。
年齢からくる衰えを落ち着いた優雅さに変えた香川京子が乳母役で、ほっこりほかほかが衰えていない斎藤由貴が武士の妻役で出演。
最高に旬の女優夏川結衣もよかった。この人の切れの良い美しい語り口は場を立てなくする。


公開2009・9・5
監督山崎貴 武士役・草なぎ剛  廉姫役・新垣結衣

投稿者 mari : 00:16

2009年09月08日

朝歩き続行

4日に、またあの卑猥な言葉を発しまき散らすランナー君に出会ってしまった。
3回目であろう。
1回目はまさかランナー君がしゃべるとは思っていなかったので、うろ覚えで記憶が定かではない。
体格のいい、声も男らしい男である。
よい声も使いようによっては魅力があるのに、卑怯なことに使って惜しい男である。
もともとあまり通りすがりの男などに興味がないので瞬間の印象しか覚えていない。
1日中気持ち悪かった。
毒消しは自力で作り上げる免疫しかない。
朝歩いているほとんどの人に情報提供をした。
半数の人に「そんな人間が近くにいたら子供にも悪影響を及ぼすし、事件に巻き込まれるかもしれないので警察に届けるように」と言われた。
ランナー君は、短パンと運動靴をはいた大きい男で、年齢は30歳前後~40歳くらいだが、顔がはっきりと思い出せない。
昔のキヤラメルのグリコのお兄さんを太らせたかんじで、学校の教師タイプ。

次の日から朝歩きにはサングラスをかけ、帽子を深くかぶってランナー君が現れたら、顔を覚えることにした。
通報するとなると、顔くらい覚えていたい。
女性たちの意見では、驚いたりして見せると愉快犯は喜ぶのでそうしない方がいいだろうと言うことだ。
ランナー君が走りながら人に浴びせる「〇ン〇にウ〇〇だな」などの滑稽な短い言葉。
走って活気ずくためか、毒ずく言葉は結構明るい。
人を巻きこみ、瞬時にドキッとさせる。
人に届けばそりゃあ愉快だろう。
目的が違うので感心はしないが、言葉には関心がある。
下手なもの書きのお説教よりもカビ臭くなくて楽しいかもしれない。
しかし異臭がするのでどっちも苦手だ。
「ランナー君あんたの言葉は聞こえないよ」と言うことを分からせるために、ラジオを持って歩くことにした。
イヤーホーンで聞いているのが人目にも分かるようにしたのだ。
2日~3日して、それらしい男が2人~3人ほど走っていたのでサングラスの奥で、しっかり顔を見たが、今、思い出せと言われても顔を思い出せない。
もともと感動させてくれない顔だったので覚える気が起こって来なかったからだろうか。
下駄が目立つので、靴に履き替えて見たが、ランナー君は現れなかった。
せっかく月のきれいな晩が続いているのに、おばさん達が「夜は危ないよ」と言うのでまだ夜歩きは始めていない。
夜歩きする時は、前を歩いている女性について行くのがよい。
背後の感覚も敏感に鍛えられそうだ。

犬ずれのおばさんでもう6年間歩いている人がいたが、ランナー君には出会ったことがないと言っている。
おばさんは、何事につけても、喉の奥から不服そうな声を出していた。
信じられるのはマスコット犬のかわいさだけですか。
自分が出会ったことのない人や物を、なかなかこの世の中にあるものとは信じられない人がいる。
鱈おさ料理(お盆に食べる魚の干物・タラの胃とえらの料理)の時もそうだった。
このように信念の固い方を、たらおさおばさん、たらおさおじさんと呼ぶことにしている。
自分が思いも及ばないことは、この世にないとまで言うその確信は一体どこから来るのであろうか。

投稿者 mari : 07:15

2009年09月03日

朝の強歩・散策・それから・・

月の美しい頃から、夜型の強歩に変えて見ることにしたので、まだ今は朝歩きだ。
様々な人に出会うが、車の流れのようにすれ違う人もいれば、声をかけ合う人どうしもいるようだ。
私はすごく早く通り過ぎることにしている。
ずーっと前方から、こちらが近ずいて来るのを眺めて、懐かしそうに一礼してくれる、おばあさんにはご挨拶をする。
おばあさん同士がよく3人で話している。
「なーんもできんごとなりよるけん、出てきたとよ」「うんうん歩いた方がいい」「こげん太ってから ばあはっはっはっは」。敬意を表して2礼して通過。
芝生の上を50羽ばかりのセキレイが群れて前後左右に1つの魂のように動いていた。
早朝から、中年男性と若い女性が寄り添ってベンチに腰かけている。
恋人どうしと見た!何か事情がありそうだ。ふむふむ。
人気のない木の下ですれ違いざまいやらしいことを言って通りすぎるお兄ちゃん!
スポーツマンシップにのっとって試合をする体育会系にも、こんな卑怯なことするやつがいるなんて。
体力があまっていますね。重いものをかたずける時にその腕力が欲しい!
朝日が山の端から射して来てから、帰ることにしているが、重装備をしていても紫外線は怖い。

めんどくさがりなので、骨粗鬆症の予防のためによいマグネシウムやビタミンD、カルシュウムの入った液体サプリメントを飲んでいる。
そのサプリメントは糖鎖も入れて100種類以上のイオン化された栄養素が入っているので重宝している。
勿論、糖鎖は癌やインフルエンザ予防、免疫力回復などやってくれる。
サプリメントに対する無知、無理解、無関心、無反応の人には勧めにくく、偏見や反感を説得するつもりなど毛頭ない。
駅まで通勤4分の自転車で太陽も満喫。楽しい。仕事も1つ増やした。
ビタミンA・B・C・Eや亜鉛、カルシュウムの錠剤やカプセルを1日に何錠も飲んでいる時には、胃がごろごろしてきつかった。
煎じて飲む漢方薬などめんどくさい。

月の美しい晩に出会いたいのは、この世のものではない者たちだ。
フアンタジーの世界や霊的な出会いがないといきいきしてこない。

投稿者 mari : 08:04