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2009年07月17日

阿修羅展・九州国立博物館

阿修羅像の正面をめがけて、自分の足音を聞きながら、夢の中のもどかしい歩行のように、歩み寄って行った。
薄暗がりの中に、適量のライトを当てられた、この世の美しさとは思えない阿修羅像があった。
阿修羅像には、現在にありながら、どこか別次元の空中にあるような、浮遊感があった。
時間が1300年前の向こうへ巻きあがり、またこちらへ開かれてくるような錯覚に陥った。
阿修羅像が、掌を合わせているのが斜め左前から見える所から、最前列で時計回りに、360度、3回もまわって、どの部分も見逃さないように仰ぎ見た。
すべてを排除して、ただひたすら見ると言う行為をやり尽くした満足感を持つことができた。
正面から初めて見た時には、ツーンときたが、泣いている暇はないことを自分に言い聞かせると、涙は自分の内側にさざ波を立ててたまり始め、慈愛に満ちた湖に変化していった。
これは思いもよらぬことだが、阿修羅から漂ってくるものによって、変えられたのだと悟った。


3つある顔の正面の顔は、清浄感を漂わせる神秘的な表情である。
左真横から見ると唇を結んだ表情をしている2つ目の顔の下の肩あたりから3本の長い腕が伸びている。
腕の1本目(右端)は、合掌しているので、もう一本の腕と重なって見える。
真中の腕は、太陽か月をいただいている。
いちばん左にある腕は、弓を持っていたらしく、やや下にある。
真後ろは、左右を向いた顔の耳が、逆方向に真中に2つ付いていてかなり異様に感じられるのだが、しばらくすると、こちらの何かが阿修羅に感化されてしまい、すべてが調和して感じられる。
右真横から見る3つ目の顔は、正面の顔の弟のような安定した表情だ。
右肩からついている3本の腕の1本目(右端)は、矢を持っていたらしく少し上に掲げられている。
真中の腕は太陽か月を掲げ、3本目は合掌している。
たとえ何千何万の人間の猥雑な毒気にあてられようとも、たちまちのうちに周囲を純化してしまう。
心のみを重要視するのはお門違いで、物体に込められている祈りのパワーにもすごいものがあることを知った。

奈良から東京へ、東京から福岡へ、阿修羅展のために、仏像を運搬する高級技術はあっても、もう動かさずにいて欲しい。
こちらが出向きます。

天平時代は、赤く彩色されていたと言う、阿修羅像のレプリカ(1980年代作)も、常備展の会場に展示されてあった。
ネックレスやブレスレットのジュエリーは金色で、巻きスカートやたすきに、シルクロードを経て伝わった宝相華文(星と花が呼応し合って光となった文様)の鮮やかなデザインがほどこされている。

冬に阿修羅のことを30年ぶりくらいにすごく知りたくなって、ずっと調べてブログに投稿した。
夏に九州に初めて来てもらえるなんて本当にうれしい。

(余談)
あけっぴろげでかわいいんだけれどもね。もうあきらめてはいるが、2人組みや5人組みで来ている人は、おかまいなしにずーっと館内に響くノド声で仲間としゃべり続けていた。遠慮してひそひそしゃべるのでは決してない。
Tシャツの外国人の団体が、どやどやとのし歩く。
必ず仏像の前で、看板の説明書を大きな声で読むおばさん、おじさん、おばーさんがいる。
疲れる。
ここは公共の場なのでやめてね。どっちもどっちだが、化粧している娘さんは音は立てない。

投稿者 mari : 2009年07月17日 23:47