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2009年07月30日

虫のにぎわい

帯留めには百足から蝉、玉虫、トンボ、蝶、テントウムシ、かぶと虫、蜻蛉、蛍、興梠(コオロギ)、蟷螂(カマキリ)、蜘蛛まであって、玉手箱の中はところ狭しとにぎわう。

池田重子さんのコーディネイトでは、蛍狩りには、趣向を凝らして、古来より高貴な色とされてきた紫を基調とした装いをしている。
濃色(こきいろ)・薄色(うすいろ)と言う時は、紫の濃淡のことを言うのだそうだ。
萩の地紋が透けて(浮き上がって)見える紫の着物。
紫の帯には、女人好みの蛍が、銀糸の薄の原に飛ぶ。
お尻を光らせ、羽を広げて飛ぶ蛍と、草にとまって光っていない蛍が、語り合うように刺繍されている。

夜風から身を守る羽織は、コーディネイトの中で一番濃い色の紫で、裾は浅黄色の地に流水と葦が描かれ、ホタル狩りの舞台を現わしている。
まだほのぼのと明るいが、刻々と暮れてゆく夕闇を思わせる。
羽織には紐が付いているのだが、ここでは紐の代わりに、透かし彫りの菊の中心に芥子真珠1粒がついた金色の細かい鎖が下げられている。

帯留めも蛍だと思うのが自然の流れだが、違うのだ。
ガラスの帯留めの内側には、彫金の柳が涼しげにゆれている。

一級の芸術品を普段の遊びに身につけ、優美に季節を楽しんでいることがうらやましい。
大股では走らず、そそそそと歩いたり、パタパタと美しい小走りをして、着物の裾や羽織の袖を、翻すのでしょうね。


参考本・「夏のおしゃれ」池田重子

投稿者 mari : 09:44

2009年07月29日

蜘蛛の巣の耽美

東映アニメの猿飛佐助に出て来る夜叉姫が着るような、黒地に蜘蛛の巣が描かれた絽縮緬の夏の着物。
こんな妖しい着物を、大正時代のどのような女人が着たのだろうか?
人に言えない仲の相手との大人の逢瀬の時に着たのか?
それとも政界やマフィアの示談の時に連れて行く情婦の着物?
着物を堪能している上流階級の粋な女人たちの集まりで着られたものか?

半えりも全体が、蜘蛛の巣の刺繍で、1匹の蜘蛛が、左前えりの下から黒い半身と黄色い眼玉をのぞかせている。
おまけに帯どめにも、彫金の菊の葉の上に、蜘蛛がとまっている。
蜘蛛の巣は、繊細な網が交差しているまだ熟れる前の、からすうりの中味と似ている。

中国では、蜘蛛は喜虫であり、願いが叶う予兆を告げる虫である。
日本では、このようなものを身につけるのは気味が悪く感じられ、尋常なものではない。

黒地の絽縮緬の着物の蜘蛛の巣の色は、東京の新橋の芸者さんたちが好んだ新橋色。
合成染料を用いた鮮やかな緑がかった青である。 
帯は、瓶(かめ)のぞきと言われている薄い水色地に秋草の織りである。
藍の染料を入れる瓶の中にちょっとだけ浸された淡い青色だ。
帯締は、3本の紐が1つになっていて、真ん中が黒、両端の2本が新橋色。
黒とさまざまな青。
背景が夜、そしていくつも架かる蜘蛛の巣の橋の中心の不夜城。
夜のしじまの中に浮かび上り、魔宮に続く迷路を思わせる。


参考本  「着物と日本の色」・弓岡勝美    「夏のおしゃれ」・池田重子

投稿者 mari : 08:38

2009年07月27日

よしなしことども

太宰府付近は、集中豪雨で外出できなかったので、体を休めていると、横たわっていないと思いだせないことが、川に浮かんで流れて来る丸太のように、はるか遠くから次々にやって来て流れ去って行った。

イタリアの明るさと、昭和初期の西洋館がミックスしたようなレストランが佐賀にある。
瀟洒な伊万里焼のコーヒー茶碗や焼酎用のカップが並べられているそばに、ずっと前から、ゴムの木が、窮屈そうに両手を広げていた。
ゴムの木を見ていると苦しくなるので、どうにかしたいと思っていた。
インテリアのセンスが抜群のお店の人に、ゴムの木の苦しがっている理由を説明するにしても、植物をいじめて平気な人だと説教しているようで角が立つ。
ずっとチャンスをうかがっていた。
ある時、ふとお店に入って見ると、お客は誰もいなくて、ゴムの木の横のテーブルが空いていたので、荷物を置くふりをして、左右両枝が壁に抑えつけられているゴムの木の鉢を少し前に動かした。
時々行って見て見るが、ゴムの木はずーっと気持ち良さそうである。

阿修羅展の時に、鎌倉時代の興福寺の康慶(運慶の父)の作の四天王(木像・1189年)も一緒に来ていた。
最初に見たのは、風に衣装の裾が巻き上げられ、顔の背後に火の輪がめらめらと燃えているエネルギッシュな持国天だ。
仏教と国を守る燃え盛る気迫があり、目をらんらんと輝かせている。
四天王の顔の後ろの輪の炎は、2人対2人で炎を燃やす風の向きが左右逆である。
四天王の持国天・増長天・広目天・多聞天は、四体とも槍や剣は左手に持っていて、邪鬼を足下に踏みつけ堂々としている。
気に入って見入ってしまったのは、広目天の兜の両横に付いている、鷹が翼を広げた様な羽飾りだ。
額から口までの範囲にあってかなり目立つ。
インドのハヌマンやイカロスのかかとについていそうなかっこいい羽飾りだ。

九州国立博物館の埴輪の小部屋で、再確認できたことがあった。
古墳時代の馬や船の埴輪が陳列されているのだが、死者の霊を馬に乗せて海辺まで行き、そこから天鳥船(あめのとりふね)に乗せて黄泉の国に送ろうとしているものがある。
船首には、水先案内人の1羽の鳥がいる。カラスなのか、鷽(ウソ)なのか、架空の鳥なのかよく分からない。
浮羽の珍敷塚古墳の壁画を見に行った時にたしか、馬や船の絵があった。
次回もっとしっかり確かめてくるつもりだ。


(投稿したあとに、誤字に気づくことがしょっちゅうある。
気づくが築くになっていることなどあって、3日がかりで気づくたびに手直ししている)

投稿者 mari : 09:59

2009年07月25日

阿修羅展・九州国立博物館(2)

明け方、読経の声がするので、目をつぶったままでいると、夢うつつの中、羽音がする。
まさかと思ったが、八部衆の迦楼羅が、台所に立っていた。
「うわ~っ どどうしたんですか」と聞いたら、「今日来てください」と言ったので、今朝までの嵐で、人の出足も少なかろうと思い、阿修羅展に出かけて見た。

待ち時間0分であった。
阿修羅像の周りにはすでに一円の人垣ができていた。
阿修羅の周りを7回まわってくまなく検証し、記憶にとどめ、8回目~10回目には正面の阿修羅の視線が落ちる3メートル下がった位置、5メートル下がった位置と、正面から真後ろに、順々に下がって見て見た。
阿修羅像は具体的にはどこも見ていないが、すべてを視野に入れている。
内面を見つめているとは、よく言われていることだ。
拝観する人間が自分の内面を見つめるのを、促してくれている。
彼ら(阿修羅像)は、正面の顔以外の、左右の顔の4つの目でも、正面の顔の目では見えない部分の見張りを割り当てられ、360度の警護をしている。
仏教を守護する立場にあるので、おとしめようとする敵が来れば、弓を射るか、追い払わなければならない。

阿修羅像のかかとは5センチ~10センチ離れ、足先は八の字に開かれ、安定している。
首や左胸には朱色がいい具合に残っている。
仏像が体に巻きつけている布や身につけている衣装の重なりや垂れ具合が、穏やかな永遠の時のウエーブをあらわしているように感じられる。
3回目を回っている時に、お香の香りが漂ってきた。
ゆうべのシャンプーの匂いでもないし、博物館の中ではお香は焚かれていないし、誰かの香水でもない。
だとしたらこれは、脳内記憶にもとずく何かなのだろうか?
立ち去るのが、悲しくてなごり惜しくてしょうがなかった。

館内を出ると、入口に猿回しの人が来ていて、お猿さんもいた。
その横に迦楼羅があの瞋目(しんもく・目頭の線が縦になっている)の異形の姿で立って、手を振っていた。

<2回目に阿修羅展に行くとしたら、秋口にするつもりだった。
昨日は朝から雨が降り始め、本降りになり、稲光と雷鳴と集中豪雨が明け方まで続いた。
人間界の水槽の波も大荒れして、轟音に次ぐ轟音に揺さぶられた。
朝から、フル回転で、市役所、郵便局、スーパー、中心街、駅とまわって帰る時には、豪雨に見舞われ、ぶつかる人たちが皆、八部衆の迦楼羅の集団のように見えた。>

投稿者 mari : 17:23

2009年07月23日

阿修羅像の口もと

ひげなのか、いれずみなのか、仏像に特殊な文様なのか、よく分からないが、阿修羅像の正面の顔の口もとには、墨筆を使用したような黒い流麗な線が描かれている。
上唇の黒い流麗線は、唇の2山をなぞって、両口角まで行き、両端でくねっている。
下唇も両端から黒い流麗線でなぞり、唇の真ん中で丸い輪になり、中心から流麗線が下に伸びている。
このひげのようなものは、正面の顔だけについている。
8部衆の中で、堂々としたひげとわかるものを蓄えているのは、大蛇を神格化した畢婆迦羅(ひばから)だけである。
阿修羅の美しいひげに気付いてから、他の仏像の口もともよく見るようになった。

調べて見ると、仏像の口もとのひげは、ほほえんでいる表情を現わしているとか、又は尊い話をしている時の口の動きをあらわしているとか、慈悲を説く時の様子をあらわしているなどと言われている。
こんな例えで恐縮するが、漫画で口を動かしている時に、口の周りに動きをあらわす線が描かれていることがあるが、これは人間界のことである。
確かにこの黒い流麗線は美しく、仏像独特のものだろう。

もう一つの考えは、仏教では、女性はそのままではなぜか成仏できないと言われており、一度ひげをつけて男性になろうとする為のものであると言うことがある。
阿修羅は少年か少女か、いや両性具有者であろう、また善神ではあるが邪神の部分も備えているとか、そのすべてを肯定し、その上でのひげである。
いれずみではないのであろうが、そうかもしれないとなると、部族をあらわすいれずみのことを調べなくてはならない。
わが祖先の琉球人も、アイヌのひともいれずみをしていたのだ。
でもこれは仏像のことではなく、人間たちのやっていたことである。
ガンダーラの仏、千手観音、不空羂索観音、十一面観音などなどひげを見つけるのが、楽しくなってきた。

投稿者 mari : 09:14

2009年07月22日

青海波(せいがいは)~出会った色と文様~

幼いころ絵を描く時に、左から右へ、弧形の半円をいくつも並べて行き、半円と半円が手をつないだところに上からまた同じような半円を描いてゆく文様を使っていた。
石垣にも屋根にも魚のうろこにも、スカートにも使っていたのを思い出す。
大きいの小さいの、大きいの小さいのと並べたり、だんだんに小さくしてみたり、色をかえたりして楽しかった。
弧の文様の中に中ぐらいの弧、その下中に小さい弧と並べると楽しく遊べる。
この文様は、子供のころ人が使っていたのを見て、自分もやってみていたのではないかと思う。
これは、青海波(せいがいは)と言い、ササン朝ペルシャから中国を経て日本に伝わった様式なのである。
シルクロードの交易って、今の自分の生活の中にもかなりの影響を及ぼしているのだ。

参考文献 文様の名の物語 木村孝  淡交社

投稿者 mari : 08:39

2009年07月21日

映画「築城せよ!」2009年・120分

現代人の肉体を借りて蘇った、黒髪、甲冑姿の戦国武将の、渋く闊達に響くあらぶる声の魅力にまいってしまった。
最近、男性のこのような、要所をきっかり決められる美しい声にお目にかかったことはない。
演じたのは上方歌舞伎界の片岡愛之助。
思いを告げたい時に節々にカツの入った謡を唄いきりりとした舞を舞う。
目つきも、身のこなしも意志的で力強く、現代人にはないものだったので、とても新鮮だった。

外国のテレビ番組の勝ち抜きで、オペラなどの、声が豊かで伸びやかな素晴らしい人物が出現して、それなりに驚きと感動は覚えるのだが、天然自然の美声だけでは3曲目くらいから飽きてしまう。
庶民性を超えた、壮絶な気も狂わんばかりの究極の美を内に秘めている声でなくては満足できないのだ。


時は2009年。あるさびれた町の公園にペットボトルの工場の誘致計画が持ち上がる。
その公園では、町民が町おこしのために、城の石垣が残っている場所に、城を建てる計画を練っていた。
ある晩、町役場の冴えない職員の男と大工の棟梁、ホームレスの男の3人が城跡の井戸に落ち込んで姿を消す。

陰険で粘液質の町長が、次の日に公園の城跡を訪れると、井戸に落ちていなくなった3人が戦国武将の甲冑姿で現れる。
冴えない職員が殿で、名前も恩大寺隼人将(おんだいじはやとのすけ)とそれらしい名前になり、あとの2人はその家臣である。
戦国時代、築城の折に、現在の町長の祖先の謀反により、焼き討ちにあって城建設を阻止されたので、その悲願を叶える為に3人は現代に蘇えって来たのだ。
恩大寺は「築城せよ!」と集まっていた町民の前で力強く叫ぶ。
3人の武将たちのあまりの命令的な態度に、町民たちはついてゆけなくなり、築城がはかどらず、やむなく中止の状態になる。
石垣から噴き出した冷水の霊力で武将だったホームレスの男がもとの現代人にもどる。
苦悩した恩大寺は、ホームレスの男にダンボールでできた家を見せられる。
武将の力は次の満月の日、つまり4日あとまでしか続かないので、ダンボールで築城することにする。
最終的には、町民の家を1軒1軒恩大寺が頭を下げてまわり、ダンボールを持ってきてくれるようにたのむ。
棟梁の娘で、大学で建築を専攻しているなつきが、その場を仕切ることになり、学生や町民たちが続々と手助けに集まり始め、城は完成する。
町長たちが黙っているはずはなく、ダンボールの城を崩して遊ぶ祭りを計画し、他の市や町から城愛好家団体を募集し、城完成の日に2つの団体をぶつけようとする。
恩大寺となつきが、城の屋根に鯱鉾を1つずつ設置して城が完成し、悲願は達成された。
完成した途端に城はパタパタとダンボールの音をさせて崩壊する。
あとかたずけで協力し合う町民の仲間たちの結束力はこれからの町のためにも有力に働くだろう。
またそこに残ったのは、家臣や庶民たちと交流して成長した思慮深くなった恩大寺と、築城で助けあった町民たちの皆で1つのことをやった達成感がもたらす喜びであった。
次期選挙に選ばれなくなることを、町長はすごく恐れているので、町の人々が意志表示をし、反対を唱えれば、工場誘致推進派町長にとってはそれが一番説得力を持つ。
工場建設は、白紙に戻った。

現代によみがえった武将、恩大寺隼人将(おんだいじはやとのすけ)を演じた、上方歌舞伎役者片岡愛之助の身のこなしや武将の言葉の色っぽさが、次は何をしゃべり何をするのだろうかと言う期待を抱かせてくれた。


監督・古波津 洋(こはつ・よう)

投稿者 mari : 07:44

2009年07月20日

糖鎖イメージのネックレスとアクセサリーショップの女店員さん

涼しいビーズでくるまれた36個の硬い房が豊穣に重なりあって並んだネックレス。
直径1・5センチと1センチの2種類の房が、たわわに実っている。
手元にある3種のネックレッスの色は、象牙、ブルー、真鍮色など。
細胞とその先についた、わが愛しの糖鎖を連想させてやまないので3種類購入したのだった。


登場するのはカラス菌と章魚菌と糖鎖君。
糖鎖君は、細胞の先に付いている何本もの鎖なんだけれども、今回のネックレスは36個の房だけで、そこから先には鎖ビーズはついていない。
実際には鎖は見えないが、見えているものとして書いているので、房の先に鎖ビーズがついていると想像してもらう以外にない。
房の先についた糖鎖君は、カラス菌が現われれば、ぼこぼこと大口で飲み込み羽根まで溶かしてしまう。
章魚菌が来れば串刺しにして息の根を止める。
2回目からは、カラス菌やタコ菌の手配写真(抗体)が刷り込まれているので、彼らの影が感じられるとすぐ、私庭の前でやっつける。決して庭には入りこませない。

糖鎖君が、章魚菌を串刺しにする時には、免疫力が働いて溶解液を出す。
戦闘態勢が解かれれば、普通、正常にもどるのが細胞の先の糖鎖君だ。
自力で正常に戻らなくなって溶解液が止まらなくなってしまったのが、アレルギー反応なんだけれども、これは慢性化する。

糖鎖君は、現地までスーッと流れて行き、全体の細胞諸君に意志疎通をはかってくれる大事な仲介役をこなす。
カラス菌や章魚菌を自力でやっつけて、自力で元に戻らなければ正常とはいえない。
対症療法の投薬で疲弊した臓器はだんだんに用をなさなくなる。あな恐ろしや。

中心街のアクセサリー店のきれいなおねーさん店員は、ツンツンとがった口先が、危ない魚っぽくて、親切心皆無の、やる気の失せたおねーさんたちだった。
「黒はもうないの?」と聞くと、厄介そうに「そこにあるだけ、どえ~~す」と言って、なければ注文できるはずなのに相手にしてくれない。
この不景気な世の中、1個だって2個だって売れるようにしなきゃ。
経営者さんが、自分の店のこんなおねーさんたちの大柄な対応を知れば、半泣きでしょうね。


博多駅のアクセサリーショップの女店員さんは、最初からにこにこしながら、ぶ厚いカタログを見せてくれて、すべて一緒に調べてくれた。
すぐに茶色と黄色のビーズが入り混じったネックレスと真黒のネックレスを注文した。
茶色と黄色の蛇目模様(2つの縞模様)は、ペルシャからやってきた、大好きな花のハルシャギクと同じ配色だ。
ミツバチやヒマワリを見ている時のような元気でコクのある印象を受ける。

投稿者 mari : 01:10

2009年07月18日

「深海蒐集人」・かまたきみこ コミック

肉体美を持つうら若き乙女のミミの仕事は、深海ダイバー。
美形の男女がどこから見ても素敵に見えるスタイルで動き回っている。
ミミは素潜りで、1時間も海中にいることができる特殊な能力の持ち主である。
近未来、地球温暖化で文明都市のほとんどが海中に沈んでしまっている。
ミミは図書館や美術館や個人からの依頼で、水没した貴重な本や絵を陸に引き揚げる仕事をしている。
何より毎回はつらつとしたミミの、しなやかな肉体が動くさまを見ているだけで、気持ちがよい。
貴重な本や絵、金属や木の製品などには、図書館や美術館が、海中に沈む前に海水と調和する防腐処理を施している。
ミミがモニターカメラをつけて海底都市に潜るので、船からも陸からも海底の様子は見てとれる。
ミミは海底の王の幽霊や絵描きに殺された女性の幽霊に呼ばれる。
人間ではない何者かによく命を助けられる。

漫画家のかまたきみこさんはダイビング経験が全くなく、強いて言えば子供のころ川遊びをしたくらい。
海を熟知し、船や、ページの扉を飾るギリシャの海の神々の研究も相当なものだと思っていた。
さらりと描いているようでもなかなか凝っている。
素晴らしい想像力だと思う。


投稿者 mari : 23:54

2009年07月17日

阿修羅展・九州国立博物館

阿修羅像の正面をめがけて、自分の足音を聞きながら、夢の中のもどかしい歩行のように、歩み寄って行った。
薄暗がりの中に、適量のライトを当てられた、この世の美しさとは思えない阿修羅像があった。
阿修羅像には、現在にありながら、どこか別次元の空中にあるような、浮遊感があった。
時間が1300年前の向こうへ巻きあがり、またこちらへ開かれてくるような錯覚に陥った。
阿修羅像が、掌を合わせているのが斜め左前から見える所から、最前列で時計回りに、360度、3回もまわって、どの部分も見逃さないように仰ぎ見た。
すべてを排除して、ただひたすら見ると言う行為をやり尽くした満足感を持つことができた。
正面から初めて見た時には、ツーンときたが、泣いている暇はないことを自分に言い聞かせると、涙は自分の内側にさざ波を立ててたまり始め、慈愛に満ちた湖に変化していった。
これは思いもよらぬことだが、阿修羅から漂ってくるものによって、変えられたのだと悟った。


3つある顔の正面の顔は、清浄感を漂わせる神秘的な表情である。
左真横から見ると唇を結んだ表情をしている2つ目の顔の下の肩あたりから3本の長い腕が伸びている。
腕の1本目(右端)は、合掌しているので、もう一本の腕と重なって見える。
真中の腕は、太陽か月をいただいている。
いちばん左にある腕は、弓を持っていたらしく、やや下にある。
真後ろは、左右を向いた顔の耳が、逆方向に真中に2つ付いていてかなり異様に感じられるのだが、しばらくすると、こちらの何かが阿修羅に感化されてしまい、すべてが調和して感じられる。
右真横から見る3つ目の顔は、正面の顔の弟のような安定した表情だ。
右肩からついている3本の腕の1本目(右端)は、矢を持っていたらしく少し上に掲げられている。
真中の腕は太陽か月を掲げ、3本目は合掌している。
たとえ何千何万の人間の猥雑な毒気にあてられようとも、たちまちのうちに周囲を純化してしまう。
心のみを重要視するのはお門違いで、物体に込められている祈りのパワーにもすごいものがあることを知った。

奈良から東京へ、東京から福岡へ、阿修羅展のために、仏像を運搬する高級技術はあっても、もう動かさずにいて欲しい。
こちらが出向きます。

天平時代は、赤く彩色されていたと言う、阿修羅像のレプリカ(1980年代作)も、常備展の会場に展示されてあった。
ネックレスやブレスレットのジュエリーは金色で、巻きスカートやたすきに、シルクロードを経て伝わった宝相華文(星と花が呼応し合って光となった文様)の鮮やかなデザインがほどこされている。

冬に阿修羅のことを30年ぶりくらいにすごく知りたくなって、ずっと調べてブログに投稿した。
夏に九州に初めて来てもらえるなんて本当にうれしい。

(余談)
あけっぴろげでかわいいんだけれどもね。もうあきらめてはいるが、2人組みや5人組みで来ている人は、おかまいなしにずーっと館内に響くノド声で仲間としゃべり続けていた。遠慮してひそひそしゃべるのでは決してない。
Tシャツの外国人の団体が、どやどやとのし歩く。
必ず仏像の前で、看板の説明書を大きな声で読むおばさん、おじさん、おばーさんがいる。
疲れる。
ここは公共の場なのでやめてね。どっちもどっちだが、化粧している娘さんは音は立てない。

投稿者 mari : 23:47

2009年07月16日

鱗(うろこ)文様

街の中や電車の中で、鱗(うろこ)文様のブラウスやワンピースを着た女性を見つけると、まじまじと見つめてしまう。
一面に並んだ、三角形の入れ替わり文様は蛇を思わせる。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼△△△△△△△△ →本物は左図と違っていて、上下接していて重なり合っている。
 この人分かっているのかなと思うし、無意識のうちに鱗文様が必要な人生を、着る服で現わしているのかなと思ってしまう。
鱗文様は、お伽草子の酒呑童子の渡辺綱(わたなべのつな)の乳母に化けた鬼婆や、道成寺の清姫の帯や着物にある恐ろしい文様だ。
能の衣装でも鱗文様は、龍の化身、鬼女、魔性のもの、六条の御息所の生き霊が身に纏っている。


弥生時代にも鋸歯文(きょしもん)と言われる三角形の文様が銅鏡や土器に使われている。
また古墳時代の埴輪の衣服や古墳の壁面、銅鐸にも同じ三角形の文様のものがある。
魔力的な力を持つと言う巫女のたすきにもこれがある。
だから現代の女性たちの衣服にもこの文様があると、驚かされるのだ。
もっとも、現代のミネラルもビタミンも失われ、力が薄められている食物しか摂取できない人間は、その呪力も力を失くしているだろう。
咀嚼する歯も筋肉も弱く、吸収する腸もお粗末になり、自己免疫力が低下しているので、自分で病を治す力もなくなり、違った形の影の薄い幽霊のような人間が出来上がってしまっている。
そちらの方が別の意味でとても怖い。

わたくし事ではあるが癌で狂い死にした父親は、吸収率の悪い腸で、親戚の勧めでほとんど吸収しない健康食品を山ほど買い込んでいた。
医者の権威を信じる父のような人間が、瀕死の状態のSOSの時、医者はしょっちゅう病院にはおらず、心のケアはほとんどなかった。
看護婦の中には家族の前で、今日明日にも亡くなる患者を叱責するやからのいる市民病院だった。
父の人格からしてよい死に方はするはずがないと思っていたが、そのとうりになってしまった。
三角文様をながめているうちに底に沈んでいた思いが浮上してきてしまった。
書くことによって客観視できることは、魔を明るみに出せることなので幸せなことだ。
昨年、癌で亡くなった親戚や、余命いくばくもない親戚もいる。
体質が似ていて他人ごとではないので、一応人間に必要な最良のイオン化された栄養素(吸収率100パーセント)と、病菌を感知して対処する8種の糖鎖が入ったサプリメントは常時携帯して愛飲している。

現代人の衣服の柄に、三角形の鱗文様をデザインした人の意識が問題になってくるが、アレルギー反応が出ないくらいの軽るーいおしゃれな文様として取り扱っているだけかもしれない。

三角形の入れ替わり文様は、女性の心の中の鬼を戒めるための魔除けに、着物の下につける小紋染めの長襦袢や帯揚げにも使われている。
自分の中の鬼とやりとりをし、とりひきをしなければならないのだ。


参考本 和の意匠による「文様の名の物語」 木村孝著

投稿者 mari : 09:32

2009年07月15日

「阿修羅のジュエリー(5)・奈良のテオドラ光明皇后」鶴岡真弓

テオドラと言う名前は、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝(在位527年~565年)の皇后の名前である。
なぜ200年後の日本の天平時代に、阿修羅を仏師の万福将軍に作らせた光明皇后(701年~760年)が、奈良のテオドラと言われのるのか。
2人の皇后には生い立ちこそ違え共通点がある。
テオドラ皇后と光明皇后は、2人とも宗教(キリスト教と仏教)を後ろ盾にして、飛ぶ鳥を落とす権勢をふるっていた。
しかしどちらも慈しみ深く、しっかり者で時には帝を勇気づけ、信仰心に篤く、美意識に優れていた。
大いなる宗教的な儀式に臨む時には、豪華絢爛な礼服とジュエリーを身につけた。
それは、国の母としての国家鎮護のためであり、宝石の神秘的な魔力をもって国を守る為、国の繁栄を祈る為、永遠の光を身に纏うことであった。
テオドラはユステイニアヌス帝と出会う前は、サーカスのクマ使いの娘として生まれ、娼婦であり、踊り子だった。
一方光明皇后は、藤原不比等と橘三千代の娘であり、恵まれていて書に秀でている。


ユスティニアヌス帝とテオドラ王妃が、圧倒的に豪華なジュエリーで飾られた姿は、イタリア北部のサン・ヴィターレ聖堂のモザイク画に残っている。
彼らを飾っている宝石のデザインは粒を雫のように垂れ下げており、仏教の菩薩を飾っている瓔珞(ようらく)とよく似ている。
また宝冠は二十に真珠で巻かれ、真珠の枠の中には、エメラルドやトパーズの宝石がはめこまれている。


光明皇后は、仏教に帰依し医療施設を作り慈善事業をやり、東大寺の大仏開眼会の時には、晴れの礼服と、冠をつけた。
冠の名は恭しくも「純金鳳併金銀葛形宝珠荘著白線組緒二條・じゅんきんほうならびにきんぎんかずらがたほうじゅそうちゃくはくせんくみおにじょう」と言う。
この冠は黄金でできていて花と星の光のデザインが一つになっている。
冠の一部が御冠残欠(おんかんむりざんけつ)として残っているのを写真で見ることができる。
花と星の光のデザインは阿修羅像のジュエリーと根源は同じである。
鶴岡真弓さんは「キラキラしいと」言う、はじめて聞く言葉をよく使われるが新鮮に聞こえる。
ご自分も額に宝石が垂れ下るインド風のジュエリーをつけて、まるで魔力を持った王妃のような雰囲気を漂わせ、ほりの深い容姿で写真に映っておられる。

2人の皇后は、王の権力と宗教を後ろ盾にして、シルクロードを介して伝わった異国の文化を取り入れた。
テオドラは宝石は勿論のこと養蚕を奨励し、光明皇后は夫の死後、東大寺に遺品を寄進し、その宝物を収納するために、正倉院が建てられている。

光明皇后は、天平時代の(734年)に、亡き母である橘三千代の一周忌のために建てた興福寺の西金堂に阿修羅を含めた8部衆を安置した。
帝や皇后の宗教や文化的なものに対する守護のおかげで、今日、目を奪うばかりの宝珠を見ることができる。

~続く~
参考文献  「阿修羅のジュエリー」鶴岡真弓

投稿者 mari : 00:38

2009年07月13日

米映画 「ノウイング・予知」2009

2009年に太陽の大爆発が起こり、その原子爆弾の何百万倍もある炎(フレア)のエネルギーで地球が壊滅すると言う予告があった。
そのことを50年前に予知した小学生の女の子がいた。
予知したことを数字の羅列(自動書記)で書き残し、50年後に開封する小学校のタイムカプセルの中に入れていた。

50年後、息子が小学校で、タイムカプセルの中の用紙を受け取り、宇宙物理学者の父がその数字を解読するが、50年間の間の大惨事のあった年と日にちが克明に書きこまれていた。
数字の意味を解いた宇宙物理学者は、個人の力でこれから起こる大惨事をくい止めようとするが、現場には行ったけれど、誰にも理解してもらえずに、すさまじい飛行機事故や地下鉄の事故に巻き込まれてしまう。
小学生の時に予知能力を持っていた女性は亡くなっていたが、娘がいて孫娘もいる。
この孫娘と宇宙物理学者の息子が、人間にそっくりな宇宙人によって、壊滅する地球から救い出される。
2人ともウサギを1匹ずつ抱えて宇宙船に乗る。
まるでノアの方舟にのったアダムとイブのようだ。
テンポも速く、惨劇に次ぐ惨劇の中、オカルト的な趣向も盛られていた。


一番の関心事は、地球壊滅の日が来るとわかった日に、宇宙物理学者がどうするのかということだった。
息子は宇宙人にあずけて安全だ。 
第2の地球でまた人類が復活するのだ。
宇宙物理学者は、息子と2人で「お前とは何があっても永遠にいっしょだ」と言うボデイタッチをして別れる。
彼の同僚には、妻と一緒にいてやれと言う。
宇宙物理学者はどうしたかと言うと、故郷の父母の元に戻った。
懐かしい家で、妹とも合流し、父母と妹と4人で抱き合って愛情を確かめ合い、太陽の爆発による炎が地球を襲うのを待っていた。
自分がこの世から地球と共にいなくなるまで、普通の生活の中で正気を保つことを選んだわけだ。
地球壊滅の映画や、原爆のシーンや災害で壊滅した土地を見た時には、私には必ず浮かんでくる詩がある。
この詩を書いた詩人は、キリスト教の雑誌の月刊キリスト(後にびーいんに改題)に私が詩を投稿していた時に、詩の選者をしておられた。


「世界がほろびる日に」 石原吉郎

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
8時に仕掛けておけ


投稿者 mari : 17:52

2009年07月11日

夏の婚礼用振袖(昭和初期の盛装)

自分では着られないのに、夏の花嫁衣装が一番気に入っていて、美しいものが必要な時に、写真集ではあるが、何かにつけて眺めて息を吹きかえしている。
黒地の(絽縮緬・ろちりめん)に金銀赤青の檜扇(ひおうぎ)のひもや、薬玉(くす玉)のひもが、すそや振袖の下から、重なりながら噴きあげ、そうめんが水に浮かんだようにそよいでいる。
夢見心地の風に吹かれて、こちらまで晴れやかになる。

土の吹奏楽器をやっていても、心に非日常的な美しい情感や意志を持たないと、楽器をやる人のどんばらこいた(いいかげんに居直ったやりっぱなし)のなま音が出て聞いていられない。
スケートの真央ちゃんがいいのは、運動選手とクラシックバレーの身のこなしが滑りに溶け込んでいて2重に美しいからだ。それにいつも最高の音楽を耳にしている。
体育会系の飲み会の「どすこい」の力づくの醜い踊りにはなっていない。
さりとて、脱力したまま、平坦にそつなくこなして、何の感動も呼ばないようなこととも無縁だ。

婚礼衣装の裾には赤い逆雲取り(さかぐもどり)の模様、ずっと上がってきて、牡丹、撫子、桔梗、萩、鉄線などの初夏から秋の花が調和しながら咲き乱れている。
帯揚げは赤の絞り、着物全体は朱赤が、ちょうどよいくらいの配色であでやかに場所をしめている。

えりが合わさる所に差し込まれている、装飾的な小物入れの筥迫(はこせこ)には、金襴緞子(きんらんどんす)の雌雄の鶴の刺繍がほどこされている。
中には懐紙、鏡、紅、お香、お守りなどが入れられている。
筥迫(はこせこ)の上側に、銀の細い鎖が12本ほど付いていて、帯揚げのあたりにまで垂れている。
鎖の先には鳳凰にも花にも見える銀の飾りがついていて、常にかんざしのように揺れる。
もう一つ筥迫(はこせこ)から、朱の中に白の混ざった房が、帯の下あたりまで下がっている。
これも揺れる。あまりの美しさ可憐さに言いようがない。

帯は絽で、赤白金の扇子の刺繍で、着物に引けを取らない気品と力強さがある。
半えりには、鳳凰が刺繍されている。
婚礼衣装には帯留めがないが、その代り帯締めは、2本取りの白の気品ある絽縮緬である。
細い草に玉の露。半円の水の流れ。東西の財と究極の美意識を結集したあつらえである。


〇絽とは、7月8月に着る透けた布


参考本  「夏のおしゃれ」・池田重子 実業の日本社

投稿者 mari : 13:40

2009年07月10日

阿修羅のジュエリー(4)  鶴岡真弓

阿修羅のジュエリーの生命力を備えた花と星のデザインは、仏教美術以前にさかのぼって考えなくてはならない。
奈良→朝鮮半島、中国、西域、中央アジア、インド、東南アジア、ペルシャ(イラン)、メソポタミア、トルコ、エジプト、ギリシア、イタリアにつながっている時間と空間の気の遠くなるような旅。奈良からの矢印は逆向きにイタリアからの←でもある。息切れしそうである。
鶴岡真弓さんの「阿修羅のジュエリー」と言う本は写真付きで言葉遣いもわかりやすく丁寧だ。
阿修羅と言う神は、インドにやってくる前は、ペルシャの太陽神だった。
7世紀のササン朝ペルシャの金貨に鋳造されている太陽神は、温顔で頭から光を放っている。
阿修羅はインドに来てどういう考えなのか鬼神になっている。

「アラジンと魔法のランプ」のアニメの中に出てきた鬼神とごっちゃにしてはならないが、宝物の番人をしている手が数本もある鬼神が、次々に幾本もの矢を射かけて来た異様な恐ろしさは忘れられない。
日本の阿修羅像を18歳のころはじめて見た時には、同じような恐れを感じた。

古代のメソポタミアやペルシャだけとは言わず、王の治めた国々では、豊穣への祈りと、国の人々の財産を守ること、その上に君臨する王の威光を現わすために、花と星のデザインを美術・工芸に使用している。
ケタ外れの金持ちや王の力を借りないとここまでのものはできなかっただろう。
彼らには、清く貧しくなんて、できない者の負け惜しみにしか感じられなかっただろう。


~続く~ 参考文献 「阿修羅のジュエリー」・鶴岡真弓

投稿者 mari : 10:54

2009年07月07日

阿修羅のジュエリー (3)鶴岡真弓

幼いころ絵日記やテストで、先生に赤い花丸をもらったことがある人も多い。
その花丸は、阿修羅の腰に巻いてあったり、肩からかけている布にある文様の宝相華(ほうそうげ)と同じ一族なのだ。
この宝相華とは、空想上の花である(中心部の4弁の花びらを白い円で囲み、外側に緑、赤、青の花びらが幾重にも重なっている・鶴岡真弓記)
全身、生命の色として朱色の阿修羅像の巻きスカート地も朱色であるが、そこに上から見たり横から見たりした宝相華が描かれている。(たすきの地は緑色)
宝相華は、仏の世界を象徴するありがたい花なので、花は光であり外側に放射している。
そして花のデザインは、花だけで成立したのではなく、その対応物である星と鏡になって相照らしあっている。
つまり、地上の花は天上の星とペアでありどちらも永遠の光とみなされている。
よく見る*(アステリスク)の記号も星の光(アステリズム)から来ていて、アステルはギリシャ語で星のことだそうだ。
少女マンガの瞳に宿っている星のアステル文様は、ペルシャのアフラ・マズダー神から日本の阿修羅にたどりついた花と光の文様の姉妹である。

~次回に続く~

参考文献 阿修羅のジュエリー・鶴岡真弓

投稿者 mari : 10:07

2009年07月05日

角川映画「いけちゃんとぼく」 2009・107分

最近見た映画では、現在から順序よく未来に向かい、時折過去の思い出を取り込むものは少ない。
いきなり未来から始まって切り替わり、現在になるか、現在の生活に未来からの訪問者があるかする。
現在からすると過去になるがそこへ未来からの訪問者が来ていて、現在進行形になっていたりもする。
未来からやってきたAが亡くなった地点をXとする。
その後30年経った現在からすると、亡くなったAのことは過去になっている。30年プラス10年経った40年後の未来からそのAが地点Xにやってきていたとしたら。40年間の間にAが亡くなると未来のAがいなくなることになる。過去の地点XからさかのぼってXがもし10か月以内に子供を持っていたりすると大変なことになる。亡くなってしまったAがもうけた子供は、どうなるのか、どうすればいいのか。

それはさておき、「いけちゃんとぼく」は、未来から始まる。
おじーいさんとおばーあさんが手をつないで、海辺に立っている。一緒に暮らした時間が短かったらしい。
いけちゃんと言うのは少年にだけに見える大小に変化自在の、色も感情で7色に変化する、しずく状のものに目と口がついた友だちである。
少年の日常や窮地の時などに現れて、助けはしないが話し相手になってくれる。
少年の父が亡くなり、ガキ大将から毎日のように殴られ、隣町のガキ大将がやって来て大騒動の結果少年の機転で野球で勝負をすることになる。
少年が自分で物事にぶつかっていき、周りの者たちとバランスを取って生きてゆけるようになり、たくましく成長していくと、いけちゃんは元の国へ帰ってゆく。
大人が大勢、映画館でオイオイ泣く映画だ。子供時代を思い出して泣けるなんて捨てたものではない。
少年はシャンプーで目をつぶる一瞬の暗闇が怖い。お化けや妖怪が風呂場にうようよいるのをつぶった目で見るのだ。
私も嵐の音を聞く日や雪の日にシャンプーすると今だに見る。
少年と同じでトイレに行く時通る夜中の廊下にもお化けがうようよいた。
現在はもっと怖くて暗がりは悪霊めいている。別に追っ払いもせず一瞥もせずにとうりすぎますけど。


未来からやってきたおばーさんがいけちゃんだった。あまりにも短い恋だったのであいてのおじーさんの子供時代に行って見守りたかったのだそうだ。
おじーさんは少年の未来の姿だった。
ほんとにこの頃は未来からやってくる人々が多い。


原作  漫画家 西原理恵子

投稿者 mari : 23:06

2009年07月04日

日本映画 「クローンは故郷をめざす」2008・110分

木々がぼんやりとした暗がりを作っている、靄のかかった川原の小石の上。
宇宙服を着た宇宙飛行士がポスター前面に大きく横たわり、後方15メートルから白い服の若い男性が近ずいて来ている。 この郷愁を漂わせるポスターに魅かれて観にいった映画。
故郷と孤独な宇宙飛行士と言うノスタルジーに首根っこをつかまれてしまった。
故郷を離れた人の多くには、何かにつけて帰巣本能が強く働くのではないだろうか。
家を転々としていた私には、幼い頃に住んだ1軒~4軒目までの家が懐かしい。しかしどの家に帰ればいいのだろうか。故郷の家を目指せる人がうらやましい。


双子のうちの1人ののぼるは、子供のころに水難事故で死んでしまうが、もう一人のこうへいは生き残って、宇宙飛行士になる。
こうへいは宇宙船外の作業中に事故で突然亡くなってしまうが、クローン人間として再生する。
なぜこうへいは、生前に遺伝子を残してクローンになることを承諾していたのかと言えば、双子ののぼるが、こうへいを助けようとした川で溺死し、母より早く死んでしまったので、母から「自分より早く死んでくれるな、のぼるちゃんの分まで生きて」と泣いてたのまれていたからだ。

こうへいのクローン1号は、子供の頃の記憶が強烈で、自分のわがままでのぼるを川で溺死させてしまったことを悔やんでやまず、苦悩し病室を抜け出す。
妻の顔を覚えていなかった彼は、こうへいの体は持っているものの、どこかかおかしく記憶障害に陥ってしまっている。
及川光博の表情の動かない気品のある悲しげな演技がよい。
クローン1号の足は故郷の田舎に向かう。
田舎の草地で宇宙服を着た人間のこうへいの死体を見つけるが、クローン1号はその死体をのぼるだと思いこんでしまう。  内容がとても複雑になって来る。
安達が原にそっくりなススキの原や世界の果ての荒野に続いているような原風景が身にしみる。


宇宙船の事故で亡くなったこうへいの死体が、宇宙服のまま故郷に帰っているのはおかしいと思っても、倒れているシーンが目の前にあるので受け入れるしかない。
クローン1号のこうへいが見ると、宇宙服の死体の顔はのぼるに見える。
農夫が見ると宇宙服の中身は空っぽである。驚愕の切なさが尾を引く。
これからも中嶋莞爾監督の映画が見逃せない。
宇宙飛行士が宇宙船の外に、大きな赤ん坊が浮かんでいるのを見つけるが、誰からも信用してもらえないタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」でも、同じ感覚にとらわれたことがある。
それにどんよりした水辺や廃屋や曇り空や雨に降りこめられたり濡れたりする場面が多発するのも共通している。


宇宙で亡くなった宇宙服を着た人間のこうへいを背負って、クローン1号のこうへいが、母親と双子が3人で暮らしていた家を目指して田舎道を歩く。
宇宙服の人間のこうへいには重さがあって、背負った重さに耐えて歩くクローン1号の長い道のりが見ている方にも辛い。


こうへいのクローン1号が行方不明になったので、クローン研究所ではこうへいのクローン2号を作り出す。
クローン2号は、妻にやさしい言葉をかけ、顔見知りとも冷静に話し、判断力も通常どうりに見えた。
ところが、クローン2号がクローン1号のことを知ると、吸い寄せられるように故郷に向かう。
途中で宇宙服姿の人間のこうへいが空に浮かんでいるのが見える。どうもついてきているらしい。やはりタルコフスキー似か。
普通のSF映画では考えられない心の奥にまで触れてくる。
空に浮かんでいる宇宙服のこうへいは、魂の像なのだ。急にオカルトっぽくなって来る。
この映画では老科学者がそのことを「共鳴」と呼んでいた。
孫娘をクローン実験で亡くしてから、彼はたびたび孫娘の魂を感じ、映画にはコップの水が揺れた後、孫娘の映像が現れる。
身近なものの魂が親しい者に寄り添うと言うのだ。
魂の像があらわれる直前に前知らせのようにグラスハープの音が聞こえ始める。 
宇宙空間などには、大気の音のような無音が鳴っていた。音楽のないのも良かった。


クローン2号は故郷の雨に降りこめられた廃屋で、クローン1号の亡骸を見つけて土葬する。
クローン1号にはなかった左手の傷がクローン2号にはある。
その傷は子供のころの水難事故の時にこうへいが負った傷である。

初めのシーンと終わり頃のシーンに母と双子が硝子戸を閉めて中に入る時に「オカアサン」と呼びとめる子供の声と、若い男性の姿があった。
青年は未来から来ていたこうへいの姿だった。
このように不思議な現象が、現世に生きる人間と亡くなった人間と、クローンに起こるのだ。
父親は出てこなかったが、クローン研究所の署長が父親の権力的な部分を、老科学者が父親の博愛的な部分を担っていた。

妻役に黒豆ぴかりのような永作博美。クローン研究所の強気なハードスモーカーに怪異な嶋田久作。よかった。
羊や牛のクローンを人間が食料にするために作って食べても、大丈夫なはずはない気がする。

投稿者 mari : 11:57

2009年07月01日

「おやおや」   の中には(やおや・八百屋が入っている)

下りのエスカレーターで2人の女の子がおしゃべりしていた。
星笛館主は女の子たちの前側に乗り合わせた。
女の子のおしゃべりの内容と、星笛館主の解釈の食い違いあり。

〇女の子A 「何か買いたい?」
☆星笛館主 「何人か解体?」 館主内声・こりゃ大変だ!

〇女の子B 「うん。まだなんか買いたりない」
☆星笛館主 「まだ解体足りない」「まだ貝足りない?貝掘りにでも行ったのか?」それとも「掻き足りない?」

〇女の子A 「今から行って目ぼしつけとく?」
☆星笛館主 「今から行って梅干し漬けとく?それとも、お洒落で、目の上かまつ毛に、星でもつけるのかな。それとも目帽子かな?目のとこだけ開いてる帽子とか。目の周りに何かできてかゆくて掻いたので隠すのかな」

〇女の子B 「梅干し漬けると?」  館主内声・出たあー博多弁
〇女の子A 「梅干しじゃなくて、目ぼしつけとくとよ」 
〇女の子A・B 「キャーハハハハ」
☆星笛館主 「ホッホッ」


投稿者 mari : 15:15