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2007年10月11日

このごろちょくちょく考える(6)

映画「ミス・ポター」
映画「エデイット・ピアフ 愛の賛歌」
を同じ日に見た。
彼女達は、見方によってはどちらも、いや見方によらずともどちらも、男性によっ
て育てられ、男性の後押しによって世に出ている。
父親やその道の関係者の男性の援助がなければ彼女達は、世間に知られる
ことはなかっただろう。
店の経営者であったりオーナであったり同時に恋人であったりする男性に道を
開いてもらっている。
こんな世の仕組みにあらためて気づきたくなかったが、よい協力者を得てよかっ
たと拍手をおくりたい。

聞きづらいかも知れないが、私、全部問題にならないくらい勝ったけれどアマチ
ュアのおっさん連中と肺活量を競争させられたり(負けないので可愛くないらしい)
後から気付いたのだが、別ものの売り上げ(食べ物・本・絵・CDなど)に演奏曲を
何の説明もなく利用されたりしたことがけっこうあった。
真新しいものを追いかける地方のテレビ・ラジオのプロデューサーによるこなし仕
事やイベント広場で昼夜に開かれる人寄せ、客寄せの数々のただ働きを思い出
すと脱力感が湧く。
そして人々は表面をかすっただけで、旨味を味わおうとしていないのですぐ飽きが
来て別のものに関心が移ってゆく。
これ以後の文を最初に書いていたのだが、私の書き方がまともすぎて面白味がな
い。
せっかくだから残しておくことにして、この辺で早々に引き上げることにする。

以後の文
(始めに書いた文をあとにもってきた)
映画「ミス・ポター」の方は、お馴染みのロングセラー絵本「ピーター・ラビット」の
原作者ビアトリクス・ポターの絵本出版と恋と自然保護の半生の物語。
彼女は、原画を2人の厳格な男性が経営している出版社に持ち込み絵本を出版
させてもらえることになる。
何か仕事をやってみたいと申し出ていた経営者の弟ノーマンが、絵本がきっと売
れないだろうと思われているポターの担当になり、絵本の売れ行きは順調で、2
人は恋に落ちる。
ポターは、上流階級で絵描きになれなかった父親の保護と理解、絵本の出版を
大成功に導いてくれた婚約者ノーマン(婚約期間中に他界)、自然保護の共感者
で幼馴染みの弁護士の3人の男性に助けられて、世界中から愛される絵本を世
に出すことができた。


映画「エデイット・ピアフ 愛の賛歌」の方は、大道芸人(アクロバット)の父と場末
の歌手の母の間に生まれ、母親には見捨てられ、幼少の頃は、父方の祖母が経
営している売春宿に預けられていた。 
3歳〜7歳までは目が見えなかった。
10歳のころから父といっしょに街頭に立ち歌を歌ってお金を得ていた。
父と別れてからは、相棒の女の子といっしょにパリの街頭に立っていた。
1回目の結婚をして生まれた女の子を2歳で亡くす。
キャバレーを経営するルイ・ルプレに見出されレコードデビユーを果たし、彼の死後
には、雑で乱暴な歌い方を指摘してくれたアッソに見出され、映画出演も果たした。
ピアフは、イブ・モンタン、ジャン・コクトーとも交友し確かマレーネ・デートリッヒとも親
交を深め、その他シャンソン歌手も沢山世に出している。
ボクサーの恋人は飛行機事故で亡くなり、若い恋人はピアフの借金をピアフの死後
も返済し続けてくれた。
モルヒネ中毒、後には癌を患い亡くなった。

投稿者 mari : 23:19 | トラックバック

2007年10月04日

萩上直子監督の映画「めがね」 NO64

映画「めがね」は主な出演者の男女(女3人、男2人)がめがねをかけている。
タエコ(小林聡美)は、一時的に喧騒の場を逃れ、世界のどこかにある南の島
の海辺の宿にやっくる ( と言っても日本語圏内の沖縄のふしぎ空間 )。
全くもって、災害保険の必要性を度外視したのんびりとしたスローライフのオシ
ャレ空間だ。

<たそがれる>
そこに集まる人たちは、ゆっくりと流れる時間の中で、たそがれる時間を持つ。
たそがれると言う言葉が幾度も口にのぼる。
なかなかいい。

次回の映画はエジプトでとか、中国の雲南、またはラスベガスでとか出演者た
ちが楽しんで予告している (チラシに掲載)
わざわざ、よさそうな外国の土地を選ぶのは「かもめ食堂」の時と同じく、関係
者のセンスだが、商売は資本と才覚がないとやれないので、ここに登場してく
る人たちは、損をしてもまた次の生活が出来るくらい融通のきく小金持ち階層
の人で、お金の苦労をそうとう知らない人たちだ。
外国で救急車を呼ぶ時も、使い慣れないシャワーを使って階下に水が漏れた
時も、迷ってタクシーを使う時も毎回のチップもお金が必要だ。
ましてや居を構え、商売をするとなると大変だ。

タエコを追って学生風の青年ヨモギもやってきて、いつも美味しそうにビールを
飲んでいるが、2人の関係は説明されていない。
察するところタエコはどこかの学校の講師で、ヨモギは生徒のようだ。


客の入りなど全く意に解さない商売気のない一人暮らしの宿の主人ユージ。
ユージの家族は見うけられず、コージと言う名の犬と暮らしている。
分かる人にはわかるが、彼は女性に対しては「両手に花」の嗜好を持っている。
言葉に敏感な潔癖詩人の方々には、軽く受け流すことが出来ず、頭から湯気
を立てて怒り、侮辱されたと思い込む方々もおられるだろう。
そんな非難は酸いも甘いも噛み分けられる体験を舐めてから判断して言わない
限り躾のよい優等生のひとりよがりで、説得力なしだ。
宿の土地は親から譲り受けたものか、管理して給料をもらっているだけなのか、
格安で購入した土地なのか、全く分からないがこぎれいにしてのんびり暮らして
いる。 そんなことどうでもいいことのような映画。
彼は料理上手 (こっちのお手並みの方がよほど大事のように映画は撮られて
いる)
朝食のベーコンや目玉焼きや梅干や焼き魚がふっくらしていて美味しそう。
皆で山盛りの伊勢海老 (島で獲れるうちわ海老か?)の丸ゆでをバリバリむし
って、豪快に食べるところがいい。


夏のシーズンだけどこからともなくやって来て海岸の真新しい小屋(撮影のため
に急遽建てられたからか?)で氷あずきをつくるサクラ(もたいまさこ)。
もたいまさこがやっている氷あずきは、物々交換で、お代はその人が持っている
ものや、出来ること何でもいいので、女の子の折り紙や氷屋の氷、マンドリンの
演奏が登場する。
もたいまさこは、いつものようにとても風変わりで、彼女はどんな映画に出ても、
もたいまさこ以外の何者でもない。
毎朝、体を奇妙に揺らし震わせるメルシー体操と言うふしぎな体操をみんなと海
岸でやっている。
もたいは、チベットでヨガを教えているらしいとか、プラハで音楽教師をしているら
しいとか、いかにものうわさがたっている。
どうして日本の団地の掃除婦とか、道路工事の測量技師、ハン場のまかない婦
とかではないのか?
奥様や自然派の女たち、その恋人たちのオシャレな夢を崩すからか。
高校で生物の教師をしているらしい若い女性教師(若い層に人気のある市川実日
子)もたびたび学校をさぼって宿に逃げ込み、疲れを癒し朝食を客と共にする。

タエコと女教師の2女優が素の状態で単刀直入にそっけなく会話を交わすのを聞
いているとまるで喧嘩を売りあっているように聞こえる。
ぶっきらぼうな情緒のないしゃべり方で、一人でつぶやき、相手に言葉を投げつ
ける (自由だが小生意気)
自分の言いたいことを言うのが先で、相手に対する配慮はあまり感じられない。

この島はちょっと一休みするところ。外世界がほとんど流れ込んで来ない。
ここの人間関係では職業もお金も意味がない。
宿の主人、高校女教師以外、お金を得るための仕事は、ここ以外のところでや
っている。 生活感がない。 たいしたドラマがない。人間臭い関係がない(露わに
されない)。 とうりすがりのちょっとした自由な関係。 ある一方的な見方だけをす
るとがっくりしてしまうが、よく言えば趣味の違いだろうから怒る気にもなれない。


新興宗教めいた畑仕事(無農薬)集団の宿泊する、スローライフを奨める別宿の
真実一路のおかみになって薬師丸ひろ子が登場する。
いろんな意味で笑えた。
元美少女が可愛いちょっと変わった好感の持てる中年女性になっていた。

投稿者 mari : 23:19 | トラックバック