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2007年07月28日

ペネロペ・クルスの「ボルベール・帰郷」 NO60

2006 スペイン 121分 
監督ペドロ・アルモドバル 他の作品「オール・アバウト・マイ・マザー」「トーク・トゥ・ハー」
(起こってはならないことが次々に起こるこの監督の人生讃歌の映画は、内奥の
情動がマグマのように移動する最高に見ごたえがある作品)

ペネロペ・クルスがライムンダ役で付け尻をしたのは、子供を産んだ体
型にしたかったからで 「ピッタリの靴をはいたようだった」そうだ
小気味よく包丁を使う指や、上から撮った胸の谷間、全体から来るおお
らかで断定的なエネルギーは見る者を力づける
ソフイア・ローレンの再来を思わせる
トイレシーンでは便器に座ったペネロペが排泄音を響かせる
女性のこういう場面は、アダルトものではうんざりだが、ペネロペのこの
意外なシーンを見た驚きは親しみに変化した
しかしここら辺でとどめておいて欲しい

歌も歌う
さすがに吹き替えなんだけれども、成功している
数ヶ月も口パクと身振り手振りを練習してとてもペネロペが歌っていない
ようには見えない
吹き替えをしたのは、ペネロペの役柄がプロのオーデションを受けに行け
るほど歌がうまい設定になっているから
プロのフラメンコ歌手の声の節回しの張りと枯れが現わす哀愁、隅々にま
で行き届いたテクニック (これがないと野暮ったく、がさつになる)と声の
深みと情感が、周囲を魅了させる力量に敬意を払ってのことだろう
元歌を歌うフラメンコ歌手のエストラージャ・モレンテは魅力のすべてを兼
ね備えていて聞く者のハートを打ち振るわせる
映画の中の曲はアルゼンチンのタンゴの名曲「ボルベール(帰郷)」
餅は餅屋に、適材適所を心得れば、梅雨時の納豆を踏んづけたような
傍迷惑は起こらない
ブリジット・バルドーやマリリンの歌並みかどうか知らないけれどペネロペ
の歌なら聴きたかった


ネタバレしますので嫌な人は引き返してください


ライムンダ(ペネロペ・クルス)は10代で実父の子を身篭り家出をする
実母はそのことを知っていた?
実父は隣家の未亡人と密会中に妻(ライムンダの実母)から家に火を
つけられる
世間には実父と実母が焼死し、燐家の未亡人は行方不明だと見られ
ている
実にすごい背景であるが、まだまだ序の口である
美しく強い女のペネロペは、これまでよりも一段と人生の陰影の奥か
ら射す光に映し出されてくっきりと魅力的
この映画「ボルベール・帰郷」に出演した6人の女性たちがカンヌ国
際映画祭の女優賞をそれぞもらっている
賞の関係者の人間讃歌の共感度に拍手


ライムンダの留守に、同居中の夫がライムンダの娘(連れ子)を襲い、
娘は父をナイフで刺し殺す
母娘ともども、父と名の付く2人の男のコントロールできない欲望に蹂
躙される
ライムンダは夫の死体を冷凍庫に保管する
わけを聞かず、たくましく生きる女性が埋葬の穴掘りを手伝う
彼女たちの仕事は娼婦


ライムンダは売りに出された知人のレストランの管理を頼まれるが、映画
撮影のスタッフたちの30人分の食事を、知人に無断で請け負う
彼女が、力強く魅力的だったのが、食事のまかないを頼まれた時に、ドン
と胸を打って承知し、食料を買い込みに行き、道端で会う顔見知りの女性
たちに家に買い込んでいるハムやケーキを融通してもらい、料理も手伝っ
てもらい、お給金をてきぱきと多めに出すところ
それも夫の後始末をして首や手の血がまだ乾ききらないうちにである
貧しさや悲劇的な現状をおっとり悲しんだり戸惑ったりする暇もなく、今を
切り抜けて生きてゆかなければならない強さは母になるとまた増してくる

映画は、肉体労働をしているライムンダと隠れ美容院を自室でやっている妹
が病気がちの叔母を郷里に訪ねて帰郷するところから始まる
叔母はすぐ亡くなる
こっそり叔母の面倒を見てきた実母は、妹の家で暮らすようになり、やがて
彼女はライムンダと再会する
ライムンダの傷ついた娘としての涙は、母との再会で和解の涙に変わる

投稿者 mari : 13:06 | トラックバック

2007年07月15日

「おばさんのデッドヒート」その2

「レディースフアッシヨンの店で」


相手の非に遠慮なく突っ込みを入れるおばさん店員と
折り目正しい言葉さわやかな男性店長
10分前に購入した洋服を取替えに来た言葉少なな御夫人
筆者も含めたその他大勢の見守るおばさんたちで
展開されたデットヒート

おばさん店員と男性店長は
長年名コンビを組んでいるベテラン
おばさん店員がむき出しの感情で客を攻め立て
男性店長が丸く収める
よくある警察の取調室の2人の刑事たちのようだ

しょっちゅう買った服を取り替えに来るおばさんも
寂しい常連さんかも知れません
店が活性化され
和気藹々とした会話が弾み始めるのも
デットヒートのあとですからね


デットヒートとは英語ではdead heatで
同点による引き分けを意味し
日本語では激しい接戦やつばぜり合い


映画監督が裏切りや異常な心理を映画に組み込むのは
現実にそう言うことがあることを明らかにしておきたいからだ
あらゆる手段を想定し裏の裏まで考えることは
覚醒した真摯な取り組みだと言える
詩においてそう言うことをすると
白い目でみられ異常者扱いにされ追い出される

詩人飯島耕一さんが、詩人の市原千佳子さんに
「悪の部分を書いていきなさい」と助言なさったそうだ
※市原千佳子初エッセイ集「詩と酒に交われば」より


私にとっても土笛・石笛演奏が光を現わすので
その光が陰を示唆し
詩はユング言うところの地下の陰の探索になるので
かえって心底光を希求する
善悪を見とどけようとする確信犯でありたい


詩で自分にも他人にも
口当たりのいい人生訓と詠嘆しか許さない人は
解剖学者の養老孟司氏が指摘した
バカの壁を自分の周りに張り巡らし
やがては窒息しそうになるだろう
人間の悪の部分の整理整頓と納得が出来ていないので
固まっていて意地の悪いこと意地の悪いこと
とっさに傷害事件を起こす羽目になったりする人も出てくるのだ

投稿者 mari : 10:25 | トラックバック

2007年07月13日

「おばさんのデッドヒート」その1

「レディースフアッシヨン店で」

おばさん店員 
「あたしが覚えとったからいいようなもんの、あんた、レシートが
 ないとなら、ほんとは他の服と取替えられんとよ」

えらく高飛車なおばさん声がレデースファッションの店に響き渡った
おばさん店員のおっしゃることはごもっともであるが言い方がお客を
バカ者扱いにしている
服の交換に来た小柄な人のよさそうな御婦人
 「は・・い・・すみません・・」とうなずいている
おばさん店員
 「10分前に買うた服のレシートがないとやろうか、あんた まあ 
  どこに落としたとやろうかね あたしが売れた服を覚えとったか
  ら取替えられるとよ ほんとは出来んことやけどね」
小柄な人のよさそうな御婦人
 「は・・い」と恥ずかしそうに空中を見ている


皆がじろじろ見ているではないか
お客に説教して恥かかせる店員なんてなかなかいないが、出くわして
しまった (常々思って来たがこんな接客態度はプロではないと言い切
ろう)
橋田須賀子ドラマもつつましく見えるほどおばさん店員が、お客をのの
しっている
北九州から大分にかけて
私もこの手の、面と向かって喧嘩を売るようなあけすけなものの言い方をする
店員に何度も出くわしてきた
注意するなら本人だけに聞こえるようなもっと小さな声で言ってよ
筆者も帽子を買おうとしてレジで待っているのに、いっこうに気ずいてくれず、
店員のおばさんは言葉が止まらないクビ振りバタバタ人形になってしまって
いる
小柄な御婦人も負けてはいません 
「あの、すみませんお客さんですよ」と細い声で言う
「ああ」と言って店員のおばさんは私の帽子を鷲づかみにした
小柄な御婦人は、おばさん店員の下品さをもう完全に笑って楽しんでいるよ
うだ
筆者 「今日家で何かあったとですかあ〜?」と店員のおばさんの独演に割
り込んで聞くと
店員のおばさん 「そ あったと やけど何でそげんこつが分かると?」と意外
と素直におっしゃるが、吐き出したいと言う自分本位の欲望丸出しである
お店を自分の鬱憤のはけ口にしていて、広い意味での公私混同ですね
ものや立場の区別をする練習をしてください
もう完全にお客と店員の立場が入れ替わっているので、すごすぎて可笑しく
なった
おじさん(店長)が飛んで来て
「あっ お品のお取替えですね、かしこまりました 毎度ありがとうございます」
と言った時には店中のお客のおばさんたちがほっとして脱力でひっくり返りそ
うになった
笑いの渦の中で、筆者はついめまいで倒れる真似をしてしまった

投稿者 mari : 00:53 | コメント (2) | トラックバック

2007年07月02日

映画「サン・ジャックへの道」 NO59

2ヶ月かけて、フランスのル・ピユイからスペインのキリスト教の聖地
のサン・ジャックまで、1500キロの道を徒歩で巡礼する9人の個性
豊かな男女が織り成す物語。

共通映像言語である幻想的な夢のシーンなしではこの映画は撮れ
なかったと監督のコリーヌ・セロー(女性)は言っている。
その言葉どうり、ここに現れる隅々まで美的緊張感のある12の夢の
シーンは、グループ全員の問題が影を落とし、全体の共通の神話と
して珍しく完成度の高い質のいい映像美に結晶している。
12の夢のシーンの中には、アルファベットのAが失読症の少年を追
いかけてきてかぶさり、水がたまったAのとがったわくの中に落ち込
んだ少年が溺れそうになるシーンがある。
またランプをかざした9人が迷路をめぐるシーンもある。
そのシーンは、私が子供の頃、眠る前に思い描く物語の中で、近所
の赤ちゃんをおんぶした小学生や中学生まで10人くらいに列を作っ
て並んでもらって、役割順に山に登る順番を決めるのが好きだったこ
とを思い出させた。
大蛇が出た時とか、盗賊にあった時とか、お化けが出た時とかの物
語を想定し、合理的に能力を発揮して助け合うシュミレーションをする
ことが楽しくてならなかった。
能力も見抜けず、同じことをさせて何の発見も希望もなくさせてしまう
想像力皆無の教師に反感と失望を覚えたのもこの頃である。
さて本題に戻ろう。
川を飛んで渡る天使に従って青年も川を飛び、青年が着地すると黒い
美しい馬にスローテンポでなって行くシーンがギリシャ神話の好きなコ
リーヌ・セロー監督的だった。
一番心惹かれたのは、人間の言葉が話せそうなぬいぐるみっぽい一
角獣(馬)、猫、鰐、キリン、ライオン、猪、イグアナが草原に集まって
ただ立って均衡を保っている不思議なシーンだった。
この傑作な夢や白昼夢の場面に出会った驚きは、フランス映画の「地
下鉄のザジ」や「アメリ」と少し似ているが、懐かしさ、悲しみの深さ濃
さにおいては日本の寺山修司の映画以来である。
コリーヌ・セロー監督の夢のシーンを見たいがために映画館に3度足を
運んだ。 DVDはまだ製作中である。


ストーリー
監督 コリーヌ・セロー  2005年 フランス 108分 カラー

莫大な遺産を残して亡くなった母の遺言によって1500キロの巡礼に
3兄弟で参加すれば遺産がもらえることになった。
しぶしぶ巡礼に参加した犬猿の仲の3兄弟。
兄ピエールは自殺願望の妻をかかえ会社を経営しているが薬依存症。
妹クララは無神論者で教会組織を罵倒する高校教師。
弟クロードは酒と女にだけに興味を示し一度も働いたことがない。
他の同行者は、病気の子供を仕方なく置いてきている男性ガイドのギイ。
お気楽な山歩きと勘違いして参加した少女たち2人。
その少女の1人を追ってきたアラブ系移民の青年サイッド。
サイッドに騙されてメッカに行けると信じてついてきた従兄弟のラムジィ。
ラムジィは失読症で母子家庭に育っており、母に自分とサイッド2人分の
旅費を貧しい家計の中から工面してもらっている。
坊主頭は癌の薬の副作用なのか、どこで売っているのか知りたいほどき
れいなスカーフ(時々取り替える)を頭に巻く謎の美しい女性マチルド。

巡礼は勿論すべて徒歩であり、延々と世界遺産の山道や平原を通って
ゆく。
到着地点のサン・ジャックはフランス語、スペイン語ではサン・ティアゴで
英語ではジェイムズ、旧約聖書に登場する聖ヤコブ(ヘブライ語)のこと。
サンチアゴ・デ・コンポステーラのコンポステーラとは「星の平原」と言う
意味。 フランスから4つあるコースの中の1つである。
荷物をこっそり運転手に運ばせていた会社経営の兄を見つけた高校教
師の妹クララは、兄に殴りかかり大立ち回りがはじまる。
この場面と3兄弟がなぜ巡礼に行きたくないかを早口で延々と泡を飛ば
して説明する冒頭場面ではどこからともなく笑い声が起こり会場が沸いた。
皆さん思い当たる節があるのか、また他人がそう言うことをしているのを
客観的に見てみると滑稽でおかしくてたまらなかったのだろう。
世界遺産を歩く巡礼の休憩中に皆が持参した携帯電話をかけ、目の前に
いる人間とは何の交流もなく野原を歩き回る姿は駅構内と同じで、もったい
ないと思った。
日本でも電車の1車両内に人が50人いるとすると、その中でメールやゲー
ムをしている人はだいたい35人はいる。
途中イスラム系の3人を泊めることを拒む排他的な宗教家も登場する。
それぞれ子供がいるが、男女の3角関係に落ち入ったガイドのギイと謎の
美女マチルドとアルコール依存症の弟クロード。
旅の途中で失読症のラムジイが高校教師のクララの助けによって字が読
めるようになったことは快挙である。
スペイン最西端の海に着いた皆は、母との再会を楽しみにしているラムジィ
が、従兄弟のサイッドから母の死を告げられ、常軌を失い両手で耳をふさぎ
ながらくずおれ、立ち上がっては耳をふさぎ倒れ込むのをそれぞれの心でじ
っと見つめている。
そこには身体感覚を取り戻し、宗教の違いや無神論の違和感もなく、裸の人
としてお互いを思いやる人間同志のいたわりがあふれていた。
高校教師のクララはラムジイを家に引き取る。

☆映画「サン・ジャックへの道」とほぼ同じコースをたどった小説に「星の巡礼」
  パウロ・コレーリョ著 角川文庫がある

投稿者 mari : 17:18 | トラックバック