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2007年02月26日

タルコフスキーの映画「ローラーとヴァイオリン」個人的寸評NO42

監督 アンドレイ・タルコフスキー処女作
1960年 46分 カラー
1961年ニューヨーク国際学生コンクール1位


7歳の少年が弾くヴァイオリンの音色は、驚愕的な妙技と黄金の鳥の
叫びのような稲光の情感を閃かせていた
まるで大人の天才が弾いているような音色だった
曲名はわからない
本当に少年が弾いているのだろうかと思うほどだった
個人教授を受けるために通っている学校の中年の女教師には
詩を愛する少年の弾く「夏の雨」「青い空」は解らない


ストーリー


<ヴァイオリンを弾くサーシャ少年と労働者のセルゲイ青年との交流の物語>


ヴァイオリンを習っているサーシャ少年を、他の少年たちは執拗につけ回
しいじめるが、アパートの前でローラーで整地作業をしているセルゲイ青
年に助けられる
ヴァイオリンが崩されないかとはらはらしたので、肩甲骨の右下が痛くな
った
災害や不可抗力で崩されるのならまだしも、楽器がむやみに崩される
ことには耐えられません
前衛の踊りの舞台で、ギターが何度も投げられたあと真っ二つにされ、
電子オルガンが足で蹴られながら弾かれ、電源につながったコードが
引きちぎられるのを見たことがあります
現実をぶち破るために手当たり次第に何でも崩して行っているだけの
能天気でゲスな雑音に何の意味も触発も感じませんでした
サーシャ少年のヴァイオリンは崩されずにすみましたが、今度はロー
ラーの上に置いたヴァイオリンが持ち去られはしないかと心配しました
お話がちょっと脱線しましたが
昼休みにセルゲイ青年はサーシャ少年を食事に誘います
硬そうなパンに瓶に入った牛乳をラッパ飲みにする昼食でした
サーシャ少年はローラーに乗せてもらい、運転もさせてもらえ、エンジン修
理のお手伝いもさせてもらえます
ヴァイオリンケースも直してもらいました
サーシャ少年が何かの原因で怒ってパンを地べたに投げつけた時に、セ
ルゲイ青年から人間の尊厳に関わるほどの強い勢いでこっぴどく注意され
ます
やってはならないことがあることをサーシャ少年は学びます
徐々に2人の友情が育って行きます
雨が降り、水溜りができ、周りの家の壁にゆっくりとひびが入り解体されて
行く情景は、彫が深く圧倒的で静かなタルコフスキーの美学に満ちていま
した
2人の友情はサーシャ少年の母によって阻止されてしまいますが、約束し
ていた映画に行けなくても、しばらく連絡できなくても、2人の温かい交流
は密に胸に刻み込まれ、一生の宝となることでしょう


セルゲイ青年「ヴァイオリンは何時まで習うんだ?」
サーシャ少年「先生は一生かかるって言うよ」


サーシャ少年はセルゲイ青年のためにヴァイオリンを弾いてあげます
聞いているセルゲイ青年の表情に、崇高な感情のようなものが宿りな
がら憧れの波が広がり、止んだ波は美しい影を伴なって沈んでいきま

曲が終わるとうれしそうな顔をした青年は仕事にもどります
音楽と労働の交流が友情に発展したと言ってよいでしょう

投稿者 mari : 10:20

2007年02月24日

タルコフスキーの映画「ストーカー」個人的寸評NO41


映画寸評は、実際の映画作品とは異なりますが、映画作品から波及したもう一つの
別物作品ではないかと考えています
必ずしも映画作品を宣伝しその映画を見に行くように勧めているわけではありません
映画を見ていなくても、現された問題については考えられますので、広い意味での問
題提起となります
作品を選ぶ時には、その中にある共通の問題を前後左右から確かめることが出来る
ほどふところが深く、充分に応えてくれる力がある傑作を抜粋しています
ただし、あまりにも個人的な選考ではあります
 


映画「ストーカー」

ストーリー

ある国にゾーンと呼ばれる立ち入り禁止区域があった
そこでは住民が死に絶え、戦車の残骸や人間の屍が風雨にさらされたままである
宇宙人の来訪か、はたまた隕石の落下かそこでいったい何が起こったのか分からない
軍隊が派遣されたけれども、誰一人として帰還した者はいなかった
背筋がゾクゾクしてくるが、その謎を解くために考えること、感覚を研ぎ澄ましてゆくことを
要求される場面の連続だった


ストーカーとは、そこでは密猟者のことであるが、案内人とも呼ばれ希望者をゾーンに連れ
て行く役割を果たしている
タルコフスキーはストーカーを魂の案内人として考えているように思える
ゾーンには人間の最も切実な望みを叶えてくれる部屋があると言われている
そこへストーカーと物理学の教授と作家の3人の男たちが向かう


この映画は、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発する6年前に制作されており
爆発を予言したと言われています
またチェルノブイリ原子力発電所を監視する人を現在「ストーカー」と呼んでいます
撮影は上流に有害な液体物質を垂れ流している化学工場がある、半分稼動している
水力発電所やその周辺の廃屋で行われました
実際に顔面にアレルギー反応が出たりし、監督自身も多くのスタッフもその後、気管支
のガンで亡くなっています


ストーカーと物理学の教授と作家は、ストーカーが投げるリボンを結んだ丸いナットに従っ
て刻一刻と変化する荒地を、夢が叶い幸せになれる部屋めざして進んでいきます
リボンを結んだ丸いナットがなぜ道案内の道具なのか、何の説明も無く話は進みます
ゾーン内では同じ道を通ってはならず、善悪に関係なく不幸な者、絶望した者が通過でき
るところです
勝手気ままに行こうとすると、いたるところに罠がかけられていて、命を奪われることもあり
ますが、罠の実体はなく、物理学教授が焦って廃屋に向かおうとした時に「止まれ動くな」
と言う声がどこからともなく聞こえます

タルコフスキー監督ですから水と火と霧の映像美や形が崩れて行くものの美を見せてくれ
、詩(主に詩人だった父の詩)の朗読があります
流れの石に寝そべる3人は芸術論などを戦わせますが、タルコフスキーの映画ですからい
つも解決策や回答はありません
草はらや廃墟の映像や狼の遠吠えに似た声は郷愁を誘います
実際にエジプト犬に似た黒犬がどこからともなく現われ、美しい形でストーカのそばに座り
ます
寝そべったストーカーの足元に来る黒犬の歩く空間は美の異世界の時間でした

水が流れ落ちているのになぜか「乾燥室」と言うトンネルを通り、肉挽き機と呼ばれる大き
なパイプの中をくぐり、風紋のある砂場を抜け、石を投げ込むと底につくまで20秒もかかる
井戸(筆者が数えました)の先にめざす「幸せになれる部屋」がありました
怪物が潜んでいそうな場所を通って行きますが、人っ子一人現れず、廃屋好きの人は充分
に満足し、好きな人にとっては極上の形而上学的な議論にも出会えます
物理学の教授は持参した爆弾で悪者に部屋が利用されないように爆破しようとしますが2
人に阻止されます
自らの才能や名声に厭いた作家はその部屋のそばに来たのに入ろうともせず、ストーカー
から「この部屋で金を得た男は、自分に絶望して自殺した」ことを聞かされます
誰も「部屋」に入らずにゾーンから戻ります
ストーカーは結局、絶望したまま、子を生み育てる大地のような女性である妻と足の不自由
な娘のもとに帰り、まるで子供のように妻に慰められます
ストーカーの部屋の棚には沢山の本が並びかなりの読書家であることを示しています
タルコフスキー監督は福音書のマタイ伝とルカ伝を暗証していたそうです
不思議なシーンがタルコフスキーの映画にはよく出てきます、例えば宙に浮いたりですが、
足の不自由な娘は超能力者で最後に、3つのコップを目で見るだけで移動させます

音楽はベートーベンの「喜びの歌」、ラベルの「ボレロ」が汽車や騒音に混じってきこえてき
ました
このようなノイズと混ざり合ったクラシック音楽の聞き方は斬新でした
映画の中の台詞では「音楽は人の魂に直接響く」がありました

監督 アンドレイ・タルコフスキー
公開 1979年 ソ連  163分
原作 ストルガツキー兄弟

投稿者 mari : 01:51 | コメント (1)

2007年02月18日

映画「初恋の来た道」 個人寸評 NO40

映画監督とは、人間共通の故郷を風景においても人間存在においても見つけ出せる人
の呼び名だろうか
または風景や人物に姿を借りて、共通の故郷を見つけ出そうとしている人たちのことな
のだろうか
ここで言う故郷とは、人の情動や知性を動かしてやまない大切な「何か」のことである
最近、映画の中で、詩や祈りの言葉を朗読する場面を見る機会が、何度かありました
映画の中の台詞は、物語を理解する上での重要な手がかりになりますが、無くてもよい
場合もあります
充分な準備段階を経て、盛り上がって来た映画の適所で読まれる詩は、言葉の生命力
が生きて働いている段階に来て読まれているので、詩を活かしきれていると思います
朗読の速度も、聞き手の気持が高揚して来ているので、いつも適速度であると感じられ
ます
詩の朗読で感動できると言う稀なことが、映画においては当たり前のことのように起こる
のです
そう言う映画を立て続けに5本見ることが出来ました
その中の3本の題名と主旨を短く紹介すると
タルコフスキー監督の 「鏡」 (火と水と風の陰影の美しさ・・苦悩する人間)
パラジャーノフ監督の 「火の馬」 (ウクライナの南カルパチア山地・・忘れ去られた祖先
の影)
チャン・イーモウ監督の 「初恋の来た道」(中国河北省の山村・・人間の絆の深さ)

●スクリーンに浮ぶ物語の故郷から押し寄せるなつかしい霧風は
 私の中の故郷を巻き込んで望郷の念の暴風雨となって吹き荒れ
 行ったことのない土地でさえかって住んでいた故郷のように感じさせ
 余りにもなつかしく感じられてしまうので、苦しくてたまらなくなります(筆者)


★映画「初恋の来た道」での女優チャン・ツィー

はにかむような微笑みの表情が女優チャン・ツィー(撮影当時19歳・現在28歳)に浮ぶと
全世界の人が胸を打たれるのではないかと思えるほどの笑顔の原型が現れ胸がキュー
ッと痛くなります
映画「初恋の来た道」のチャン・ツィーにはそう言う黄金の微笑みがありました
歌の「草原情歌」に出てくるように、
娘の♪明るい笑顔はお日様のよう、くりくり輝く瞳はお月様のよう♪でした
澄み切った空気を連れたチャン・ツィーがにっこり笑うと、懐かしさがこみ上げます
白樺の林や草原や美しく伸びた1本道を好きな人を追ってチャン・ツィーがひたむきに走る
と清純な可愛さがあふれ、それに加えて彼女が一生懸命だと目が離せなくなり、こちらが
昨今失ってしまっている感情が呼び覚まされ、なぜか涙がこぼれて止まりません
チャン・ツィーが登場してからずっと、どうすることも出来ず最後まで泣いていた私でした
チャン・ツィーは花王のシャンプーのテレビコマーシャルに出たり、映画では「英雄・・HERO」
「武士」「SAYURI」「ラバーズ」「オペレッタ狸御殿」など色々出演していますが、怒った顔は
まだしも、悲しい顔の演技は深みが足りずあまりよくありません
 あと10年くらたてば彼女の悲しい顔の演技も素敵になるでしょうか
「初恋の来た道」はチャン・ツィーのデビュー作です


物語
題名 「初恋が来た道」 
監督チャン・イーモウ 89分 2000年 中国・アメリカ合作


都会で働いている若者が、村で教員をしている父が亡くなったので葬式のため
に故郷の中国・河北省の風光明媚な山村に帰ります
彼は、母(娘時代をチャン・ツィー・老人になってからは別の女優が演じます)と
父(村の教員の若者)の初恋を回想します

娘・デイ(チャン・ツィー)と町から村の教員になるためにやってきた若者はお互
いに一目ぼれをします
村総出で学校を建てている時、娘ディ(チャン・ツィー)は心を込めて若者のため
に料理を作り、青い花模様の器に入れて学校へ持って行きます
娘はそれぞれの家から持って来られた沢山の器の料理の中から自分が作った
料理を若者が食べてくれるように願います
娘は毎日若者に会いたい一心で、村に2つある井戸のうち遠いので今まで行っ
てなかった学校が見える方の井戸に、わざわざ水を汲みに行きます
皆さん若い娘が、腑に落ちないことをしても、問いただして追い詰め説教などし
ないようにしましょう
娘は学校のそばで、授業をしている彼のいい声に聞き惚れます
娘は2人が結婚してからも40年間、彼の朗読する声を聞き飽きることが無かっ
たそうです
若者の朗読は、子供たちの成長を見守る心が伝わって来る力強い明るいよい
朗読でした
村が1軒づつ持ち周りで若者に食事をさせることになっていて、明日の順番が娘
の家です
娘は、水汲みの道すがら若者とやっと一言だけ「あした食事に来て」と言葉を交わ
すことが出来ます
盲目の祖母と暮らす娘の家の入り口の左右には橙色の大小のかぼちゃがインテ
リアのように置かれていて、その中心に立って若者を招き入れる時の娘は1幅の
美しい絵だったと言います
(以前父親から息子が母のことをそう聞いていました)
2人がやっと言葉を交わし娘の作った料理を食べてもらうことが出来たその日に
若者は右派の容疑をかけられ町へ連行されます
その当時1958年の中国の村々は餓死者もでるくらい悲惨だったようです(毛沢
東の三面紅旗で農民が製鉄をやらされ作物が出来ず飢饉が起こった)
娘の村では映画監督の考えなのかそう言うことの波及は免れているようです


お別れに来た若者から、娘は赤と黒と薄い黄色の横じまの髪留めをもらいます
素直に心から喜ぶ娘の顔は照り輝きます
つつましいひたむきな一筋の恋愛に本当に感動しました
彼は帰ってくると言い残して娘が彼のために作った茸餃子も食べず村を去ります
娘は茸餃子をもって彼の乗せられた馬車を追いかけ、丘から丘へ延々と駆け登っ
ては駆け下り、又駆け登っては駆け下ります
終には転んでしまって、青い花模様の器が割れ中に入れていた彼が食べたいと
言った茸餃子が落ちてばらばらになります
このときの娘の泣き声に胸がつまりいっしょに大泣きしてしまいました
それほどにも想える伴侶に出会えた娘がうらやましく、そんな気持ちが人間にあ
ることを分からせてくれた物語を人類の一人として誇りに思います
若者は連行されたあと1度逃げ出し、娘に会いに村へ戻り、すぐにまた連行され
て2年間2人は離れ離れになります
その後若者は村へ戻り2人はそばを離れることなく、ずーっといっしょに暮らすこと
が出来ました
ここで息子による両親の初恋の回想は終わります

町で亡くなった教員をしていた父親を、村に連れて帰ってこなくてはなりませんが
昔からの村での慣わしは、棺を村総出で担いで歩いて帰ることでした
村には年寄りと子供しか居らず、それはむずかしいことでしたが、教え子を含む
100人もの人が集まって無償で代わる代わる棺を担ぎ村へ戻りました
年老いた母のたっての望みが叶えられました
かつて村で一番美しかった母は新築の学校の横柱に結ぶ紅い布を織りました
亡くなった夫のためにも紅い布を織り始めます
そうすることで死の現実を受け入れて行くのでしょう
チャン・イーモー監督の作品の情愛の深さには思考が追いつかず、溺れそうになります
娘の相手役の男優は、はっきり言って健康そうではありましたが、美男ではありません
でしたので、少しがっかりしました
ラストの場面は再び、娘役のチャン・ツィーが若者を追って1本道を走る場面が使用され
またまた目頭が熱くなってしまいました

投稿者 mari : 15:20

2007年02月14日

映画館のこまったさん 「ムーミンパパは3人か?」NO8

3月31日で閉館になる映画館に、夜19時から始まる映画を見に行った
劇場内は明るく、隅々まではっきりと見えました
開演20分前に会場に入ると、お客がたった1人座っていました
皆様お馴染みの一番後ろの真ん中の席!
その人は、白いコートを前の座席にかけ
自分の前の席に誰も座らせないようにして
ものうそうに鎮座しておられました
間違いなく真のムーミンパパにお目にかかれたのです
感激の拍手をしたくなって困りました


ムーミンパパを後ろから見ると、頭髪の中心が薄くなリかけている
太り気味の体をちゃんとしたスーツで包んでいる
眼鏡はなし、ほんわかとした、かわいいタイプだが
世間に対しては憮然とした態度で一線を引き
その表情が顔の輪郭を形成していっている(進行形)
無愛想な雰囲気の中に、何時現れてくるか分からない攻撃性も垣間見える

私は、ムーミンパパがコートをかけている前席の細い通路を
左から右へ向かって横にスライド通過してみた
一瞬たじろぐ様子のムーミンパパから、1秒後、近寄るな光線が発せられた
「近寄るものですか ふふふん ふんだ」
ムーミンパパの1つ前の席の、右斜めに着席した
なんだかうっとうしくなってきたので3人目の人が来るまでロビーにいることにした


全然話は違いますが、もう1つ気にかかったことは
10日の間、5回通ってきたこの映画館、客席はがら空きだったのですが
3回、右後方にずっと立ったまま映画を見ている学生風の男性を見かけたことです
もしかして無断録画?
それほど真剣にこの監督の映画が好きなら黙っててもいいのですが
胡散臭い卑屈な世をすねたような態度が気に入りません
叱られた方がこの人のためによいのではないでしょうか

こともあろうに、途中でムーミンパパのいびきが聞こえてきました
眠っては起き、起きては眠りの繰り返し
「やっぱりね、ワンシーンの長い長い旧ロシアの監督の画面の濃さに耐えられなかったのでしょうね
 少しは共感できる人かと期待していましたのに、あのいびき
 この監督の映画見たさに駆けつけてきた10人余りの人に迷惑をかけていましたね」

ムーミンパパには
小銭をズボンのポケットの中でチャリンチャリン言わせる癖があるのですが
今回はありませんでした
いびきのあとに目を覚ましたのか、バリバリバリと言う音を容赦なくたて始め
ははん何か探しているんだなーとうかがっていると
ティシュを探し当てたムーミンパパは
ズルズルチーンと鼻をかみ始めました
何回もやるので余韻がつながり、連続音になって聞こえて来ます
張り詰めた映画のシーンに御自分の鼻をかむ音を入れて平気なのですね
音に対して鈍感なんですね


映画が終了するとムーミンパパは脱兎のごとく駆けだした
21時から放映のある別の映画館に移動するのでしょうか


短日の間に見た3人のムーミンパパ
3人とも別人なのか(2人のムーミンパパのことは映画館のこまったさんNO7に記述)
2人だけが同一人物なのか
まだ検討中です
一番後ろの中央の席に座るのはいつも
全体がふっくらぎみの、わがもの顔の男性であることは間違いありません

投稿者 mari : 09:23

2007年02月10日

タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」個人的寸評NO39


「惑星ソラリス」は日本で1977年(作成1972年)に公開されたSF映画です
監督は映像の詩人アンドレイ・タルコフスキー(旧ソ連)
原作「ソラリスの陽のもとに」スタニスラフ・レム
旧ソ連・カラー・165分(1部・2部)

タルコフスキーの映画の中の会話は、哲学的とも言われておりますが、彼は
ロシア正教会信徒でした
「鏡」と言う自叙伝的な映画では、監督自身が詩の朗読をしています
父親は詩人でした
タルコフスキーといえば陰影のある水と火と風の映像が大変美しく定評があ
ります
雨が好きらしくて、雨に濡れるシーン(黒澤明の雨のシーンを好きらしい)も多
いのです
雨とは関係なく部屋の中に水や紙や何かごみのようなものが降ってくるシー
ンもあります
人が立ち去ったあとに、テーブルに置いてあったものが落ちるまでをしばらく
撮影し、静かな音を聞かせます
これはタルコフスキーの「かわず飛び込む水の音」でしょう
ワンシーンが長く、緊張に満ちた美しいシーンが続きます
「惑星ソラリス」の冒頭に出て来る水の中で揺れる草のシーンも長く、日本
にタルコフスキーを紹介したのは、黒澤明監督ですが彼の映画「夢・8部作」
の1作目にも水草が川の中で揺れる長いシーンが出てきます
名監督同志が影響しあったのでしょうか
同国人同志で理解しあえなくても、世界のどこかで美意識が似ている者同
志が一目置きあえると言うことでしょう
「惑星ソラリス」の1部に出てくる未来都市のシーンは、東京の高速道路が
使用されています


物語
「惑星ソラリス」


謎の惑星ソラリスを覆っているプラズマ状の海は、理性を持った有機体です
プラズマ状の海は、知的活動を営んでおり人間の潜在意識を物質化するこ
とができます(記憶の中からコピー人間を合成します)
心理学者のクリスは、惑星ソラリスの軌道上の宇宙ステーション内で、地球
で自殺した妻ハリーに出会います
亡くなっているのにほんの一瞬でも真に愛したと思える人が目の前に現れる
と、湧いてくる疑問に蓋をしてずっといっしょにいたいのが人情ですが、ありえ
ないことに冷静に対処した心理学者のクリスは、妻をロケットに閉じ込め打ち
上げてしまいます(なんてことを!)
ふれられたくないことを追放したかったのでしょうか
個人的には、お露(つゆ)さんについてあの世に行った「牡丹灯篭」の新三郎
の方が好きですが、ここは心理学者のクリスのこと、日本人の新三郎とは反
応が違っていました
地球での妻ハリーの自殺は、咄嗟のことであったわけですが、自殺に追い込
まれる程の冷たい関係が夫婦間にあった結果でしょう
妻ハリーは再び宇宙ステーションに現れます(2回目の出現・意思を持ってい
るようにうかがえます)
心理学者のクリスの潜在意識の中に妻の存在がある限り、何度でも妻は復
活してきます
妻ハリーは宇宙ステーションで2度目の自殺(液体酸素の服毒)を図るのです
が、生き返ります
生き返る時の静かな痙攣は、人類初めの女性イブか、フランケンシュタインの
誕生の時のような悲しい初々しさがありました
「罪と罰」・ドストエフスキーのような人間存在への問いが悔恨を伴って繰り返し
内側に問われてきます
宇宙ステーションには2人の科学者が同乗していて、クリスに向って「出現した
のが知り合いの妻でよかったな」 「モンスターが実体化したら大変だった」と言
います
行方不明になった同僚の飛行機を捜索していた惑星ソラリス観測隊のパイロッ
トが、行方不明の同僚の子供そっくりな4メートルの赤ん坊が浮んでいるのを目
撃しますが、仲間からは幻覚だとかたずけられてしまいます

30秒間の無重力状態がおとずれ、クリスとハリーは抱き合ったまま宙に浮き
漂います
ここでも映画の冒頭(長い緑の水草が海中の昆布のように揺れます)に出て
きたのと同じ曲(ヨハン・セバスチャン・バッハのコラール・プレリュード「イエス
よ私は主の名を呼ぶ」)が電子音楽で気高く流れます
電子音を嫌い、バッハの時代の楽器だけの演奏にこだわる人もいますが、演
奏者や楽器によっては、ブカブカドンドンの耳障りな演奏になりますから一概に
古楽器演奏がよいとは言えませんね
ここでの電子音はとてもよかったです


心理学者のクリスは妻ハリーを深く愛し始めます
昔から妻ハリーを深く愛せていたら、悔恨が意識に上ることも無く、妻の物質
化はなかったのでしょうか
それともどこかで深く妻ハリーを愛していたからこそ潜在意識に妻のことが鮮
やかに残っていたのでしょうか
3度目に出現した妻ハリーは自分がコピー人間だと言うことを知っていますが
「それでも私は愛と言うものを知っています」と言います
原作を読んでみたくなりました
妻ハリーはある時不意に置手紙を残して宇宙ステーションから姿を消します
あっけない別れです
片方がいなくなると、ふるさとが無くなってしまった様な寂しさが湧いてきます
タルコフスキーの他の映画のシーンでも(タルコフスキーの美学なのでしょうか)
地球の人が無重力ではないのに空中に浮いて漂う場面があり、その美しさは
落涙ものです

どうも惑星ソラリスの謎の海は、睡眠中の人間の脳にコンタクトを取っているらし
いので、そこに覚醒している人間の脳波をX線で送れば、人間の潜在意識の物
質化が出来なくなるかも知れないことを考えつきます
妻ハリーの血液を調べると、原子や分子は存在せず、中性子から出来ているこ
とが分かりました
中性子の反場(アンチ・フイールド)を宇宙ステーションに作れば人間の潜在意識
の物質化が出来なくなるに違いないのです
まずX線を惑星ソラリスの海に向けて発射します
海の色は変化しますが、地球そっくりの海が現れ、その中の島にハリーの自宅が
あります
ハリーはヘリコプターで降り立ちますが、敷衍したカメラに写るのは惑星ソラリスの
海に過ぎません(神の視点か?)
惑星ソラリスから出られず、郷愁と空虚感に襲われますが、地球に住んでいても人
間関係のもつれで故郷にうまく帰れず郷愁と空虚感に襲われることもありますからね
敵か味方かを早急に決めず、謎の惑星との交信は得られないままの形で残されます

投稿者 mari : 13:25

2007年02月08日

映画館のこまったさん「ムーミンパパは2人いる?」NO7

土曜日の昼から映画を見に行った
いつもムーミンパパの座る座席は
一番後ろの真ん中の席
そこにムーミンパパらしき人物が座っていた
ムーミンパパは顔がほとんど隠れてしまうカラス天狗の口ばしのようなマスクをしていた
きっといつものように一番乗りをし、目をつぶっていてもたどり着ける席を確保したに違いない
以前、ムーミンパパがもんどりうって体で座席を確保するのを見てしまったことがある
尻で押さえ込む感じで、両手を使って座席に逆押さえ固めの技をかけていた
全体から発散する、雄鶏がまわりを睥睨するようなへんてこりんな威圧感
座席を確保すると少し丸くなる
箱型の顔がマスクからはみ出てものすごく目立っている
私は席を2つ空けて、ムーミンパパの右へ座り
映画に集中するために傘を立てムーミンパパの姿を2分割した
おお!ムーミンパパの肩が揺れる
笑い出したのかと思ったら2回続けて「クシュンクシュ」っとかわいらしいくしゃみをした
ムーミンパパは花粉症なのだろうか
次には「ぐわっはんっん」と大ぐしゃみをした
3回ほどムーミンパパの同じ大ぐしゃみが続くと
客席から声無き反応が起こる
翻訳すると「おやおやまあーまあー気をつけんとねえ、どげんしたとやろうかね」
ムーミンパパは鍛えているのか
赤ちゃんくしゃみが大人のくしゃみに発展する前に
くしゃみをかみ殺し押しとどめること数回
しかし風邪をひいても映画にはやって来るのですね
マスクをしていたら何も食べられませんね
肩ゆれを押しとどめそれ以上のくしゃみに発展するのを阻止するのは
横目で見ていても大変でした
くしゃみの心配以外は何事もなく映画は終了


夕方から次の映画館に移動したのだが、ぬぬ!
一番後ろの真ん中の席にマスクをしていないムーミンパパが座っていました
そっくりさんなのか
世の中にはその人に似ている人間が3人(7人ともいう)いると、何の証拠も無く(あるのか?)
いわれていますが、そのうちの2人が市内の映画館に集まってしまったのでありましょうか

投稿者 mari : 09:31

2007年02月05日

度肝を抜かれた詩 題名「さしもの鬼子母も」 狩野敏也詩集「中国悠々」より

その饒舌な風刺、これでもかこれでもかと吹き出て来るユーモアのある会話に引っ張り
込まれ狩野敏也さんの詩を、元気がなくなると読ませていただいています
架空の人物と熱い会話を弾ませることの出来た詩の魅力!
背骨は知性ではあるけれども、濃くてとろとろと旨く、独特なしかもどこか品のあるスパ
イスが溶け込んでいる狩野敏也さんのそれぞれの詩の読後に、様々な笑いが尾を引き、
何日も続きます
このような独自なぞくぞくする面白みはどこから来るのでしょうか
私の狩野さんの詩の入り口は、「さしもの鬼子母も」(詩集・中国悠々から)でした
詩雑誌の中に何十編も載っている、新しく買い換えた家や車を愛でるような、または萎れ
た花をいとおしむような、きれいなやさしいしずかな詩群の中で、この1編だけ、その時の
私には、力強く存在している食虫花に感じられびっくり仰天しました
同じような顔をした沢山の詩の中で、名前がなくてもこれは狩野さんの詩だと迷うことなく
見つけられそうです
何十年もの間、自分に足りていなかった濃いエキスをこの歴史ある詩鍋でたっぷりと味わ
えました
8冊目の詩集「四百年の鍋」のような鍋がほんとうに中国の奥地にあるらしいです
熊の手の時間のかかる料理があるのも狩野さんの詩で知りました
狩野さんは料理本も出しています「男たちの料理」「花ひらく中華料理」
歌曲のCDも、絵本も出版なさっています
詩集は7冊目「中国悠々」8冊目「「四百年の鍋」9冊目「二千二百年の微笑」
いらぬ説明より「さしもの鬼子母も」を書いてみろと鬼子母神から急かされます


詩「さしもの鬼子母も」  狩野敏也(かのう びんや)

お婆ちゃんの原宿といわれる雑司ヶ谷の
鬼子母神を日暮れに訪ねた
安産と育児の神というのに、もはやその何れにも
関わりのない老婆たちがひしめいていたのだが
ボクが近づくと、なぜか連中は跡形もなく消えて
鬼子母神とボクは一対一と、あいなった
(その形像極めて端麗にして、天衣・宝冠をつけ
一児を懐にして吉祥果を持つ彼女に対して
恭しく一礼すると、鬼子母神はニヤリと笑った


「いゃあ、あのときゃ参ったな
ジャリが五百人いようが千人いようが
年とってもうけた子の可愛さは格別
末子の嬪伽羅を仏陀に隠されたときにゃ
恥ずかしながら一時は半狂乱になり申した」
と、端正な顔から、これは意外な伝法口調
(初め他人の子を捕りて食いしが、その最愛の
末子を仏に隠されてより改心し、のち遂に仏の
五戒を受け千子とともに正法に帰依したり)
・・・というのが真相でしょうと恐る恐る訊ねると


「いや、とんでもない、わたしゃ、人を食うから
鬼なのではない。鬼だから人を食ったのじゃ
柔らかい乳児、酒飲みの男の粕漬けのような美味
爛熟した人妻の味わい、老爺の堅いのもまたよし
我が子の一人や二人隠されたぐらいで
この悪癖が、にわかに改まるものか・・・あの子を
隠されてからも、しばらくは人を食っていたわな」
(それではいかにして?・・・)と思うやいなや
口に出さぬうちに彼女はボクの心中を読みとって

「これじゃ、これじゃ
仏陀はこれで我慢せよとて下さったのよ
鬼子母神は懐から
一房の奇妙な果物を取り出してボクに投げ与えた
(アッ、茘枝・・・。あの楊貴妃も愛したという・・・)
ボクは絶句しつつも、そのごつごつした果皮を
すばやく剥いで白い実を頬張った。
(うん、たしかに人の肉の味がする、これなら充分、
代用になるな)と納得しながら鬼子母神を見上げると
彼女は、もはや寸分の身じろぎもせず、いつの間にか
もとの冷厳で端正な表情の木像に戻っていた


●詩の最後には茘枝(れいし)の説明がありましたがここでは省きます
 ルビがつけられなかった語の読み方  嬪伽羅(ひんから) 吉祥果(ざくろ)
                                       
 (星笛館主人)

投稿者 mari : 09:44

2007年02月03日

はまり本の紹介・題名「迷宮レストラン」〜クレオパトラから樋口一葉まで〜

「会員制不思議レストラン」(NHKきょうの料理テキスト)に連載2004年〜2006年
料理と文とレシピの作者 河合真理 
2006年5月15日 第1刷発行


私が昨今、眠る前に繰り返し眺めたり読んだりするお気に入り本があります
シェフの河合真理さんが実際に作った料理の写真入りです
お客さんにはドラキュラ伯爵とか河童とか25名がいますがそれぞれの独白が聞こえてきそうです
目次だけ読んでいてもその人がその時代に食べたであろう料理が想像できて楽しくてたまりません
人物が生きていた当時を思わせる調度品で飾ったテーブルの写真、古風で端正な装画も楽しめます
こんなレストランが欲しいですね
レシピもちゃんとあって料理が作れます(手に入らない材料もありますが・いらくさとか・・)
映画が上映されている期間にレストランが映画にちなんだ特別メニューの料理を出すことがあります
例えば「上海の伯爵夫人」には上海料理とか・・・
河合真理さんの「迷宮レストラン」にはいつでも迷い込みたいけれど、山猫の経営する「注文の多い料理店」に迷い込んだらこちらが食べられてしまいます
余談ですが、私、東北の北上の山奥に行ったことがあります。
夜になって宿に着きましたが、旅館の経営はおじいさんとおばあさんと若夫婦と男女2人の幼児がやっていていました
作り話のようなほんとうの話! 6人の動く影の映った怖い障子をあけると、旦那さんが大包丁を研いでいました。 皆でヒヒヒヒと笑うのでそうとう怖かったです。ここでは言わないけれど色々なことが起こりましたしね・・・  命からがら逃げ帰ってまいりました


<不思議レストランの25名のお客さんと料理のほんの一部だけを御紹介します>
 (飲み物と料理を入れて1人前5種〜8種の料理)

1 クレオパトラ7世様・・・赤ワインの薔薇水割り  灰ゆで卵

2 サンタクロース様・・・にしんの酢漬けとカリフラワーのサラダ

3 聖徳太子様・・・里芋の塩煮  にんじんの蘇和え(蘇とは古代のチーズ)

4 玄奘三蔵様・・・蓮おこわ  スジャータ風牛乳プリン

5 シンドバット様・・・にらの水餃子  ココナッツとフルーツの宝石見立て

6 源義経様・・・鯉こく  ほやと牡蠣の干し貝

7 チンギス・ハーン・・・塩のミルクティー  鹿の鉄板焼き

8 ドラキュラ様・・・馬刺しとキューリのサラダ  ハンガリー風フルーツスープ

9 レオナルド・ダ・ヴィンチ様・・・花豆と干しいちじくのソテイー 

10 山内一豊の妻・千代様・・・うずらのにんにくじょうゆ焼き

11 シェクスピア様・・・鹿肉の赤ワイン煮

12 ヨハン・セバスチャン・バッハ様・・・にしんの燻製と芋のマッシュ

13 コロンブス様・・・まぐろとアボガドのライムマリネ ハマグリのジェノバソース

14 ナポレオン1世様・・・コルシカ風オムレツ

15 河童の河太郎様・・・焼酎のきゅうり割り  鰻巻き緑酢がけ

16 アンデルセン様・・・キャベツとえんどう豆のスープ

17 チャールズ・ダーウイン様・・・山うずらのパイ

18 ファーブル様・・・ナスのマリネてんとう虫見立て  バナナ・ア・ラ・ネージュかまきりの卵見立て

19 トルストイ様・・・イラクサのシチュー 

20 ジェロニモ様・・・サボテンのステーキ

21 近藤勇様・・・塩鮭のこうじ漬け とろろ飯

22 アントニオ・ガウディ様・・・イスラムのモザイク様式による野菜の盛り合わせ

23 シュバイツァー様・・・チキンスープアフリカ仕立て 

24 樋口一葉様・・・鰻豆腐   さつまいものおこわ

25 南方熊楠様・・・マッシュルーム入りのつみれ汁 中国風冷製茶碗蒸し

★シェフはただいま修行の旅に出ていて、不思議レストランは休業中です

投稿者 mari : 23:00