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2007年01月30日

映画「バーバー吉野」個人的ぴりから評NO38

バーバー吉野とは、もたいまさこ扮するおばちゃんが散髪業を営んでいる理髪店のことです
監督は映画「かもめ食堂」の萩上直子さんです
田舎町には理髪店が1軒しかなくて、男の子は皆おばちゃんから同じ髪型、吉野ガリをしてもらっています
今風なマッシュルームカットでかっこいい髪型なのですが、その髪型が町の昔からの掟となっていると言うところで、茶髪の転校生の反発をまねくことになり、他の少年たちにも飛び火します
おばちゃんに言わせれば吉野ガリは「一目見て町の子だと分かる」昔からの伝統の髪型なのだそうで、これを変えることは伝統破壊につながのでよくないことなのだそうです
おばちゃんは、毎朝理髪店の前に立ち、子供たちと会話し、町内放送を受け持ち、町の風紀委員みたいな役割を果たしています
とても力強い温かな人柄です
田舎町の風景が私の育ったところとそっくりなのでどの場面もなつかしく、郷愁を覚えました
少年たちは、茶髪の少年の髪型に憧れ、自分たちの髪型に疑問を持ち始めますが、強引なおばちゃんに、転校生も様々な抵抗もむなしく、マシュルームカットにさせられてしまいます
しかし5人の少年グループがおばちゃんに反旗を翻し、表現の自由を理由に家出を決行します
祭りの日に皆の前に現れた家出少年たちは、髪を色とりどりに染めあげ、おばちゃんの一人息子の慶太少年は、おばちゃんのことを「くそばばあ!」と言い「吉野ガリは大嫌いだ」と何度も叫びます
お祭りに来ていた少年たちも「吉野ガリなんか大嫌いだ」と叫びます
慶太少年は「吉野ガリはまっぴらだけど、お母さんが皆の敵になるのもいやだ!」と言って泣きます
「くそばばあ!」は、少年が母から離れ、1人立ちしてゆく時のとてもほほえましい成長の叫びです

少年たちは、なぜか木の十字架少年合唱団そっくりな白衣を着て「ハレルヤ」を歌います
衣装については、かってのドリフターズの合唱隊を想像してもらえば分かりやすいでしょう
田んぼの中で歌われるハレルヤのボーイソプラノは清純そのものです
転校生はヌード雑誌を沢山持っていて皆に見せてくれ、少年たちは性の目覚めを感じ始めます
東京からのおませな転校生って言う異文化は、とってもいい成長のきっかけになります
近所のおじさん(桜井センリ)は、髪がほとんどないのに、よもやま話をしに、ばーばー吉野に散髪に訪れます
おばちゃんを「時代の流れだよ」と言って説得できるのもこのおじさんです
長髪をカールし、洋服の上に洋服よりももっと派手な和服をひっかけてひらひらさせ、出あった人を奇声を発しながら追いかけ、町の中を1日に5回〜6回行ったりきたりする謎の男も出てきます
バーバー吉野の影の薄い御亭主は毎日さかな釣りに行っています

少年たちは自分が好きな髪型にしてもよいことになって、どこか平凡な雰囲気になりました
以前のようにたまり場の一つであるバーバー吉野に集まり漫画を読んで騒ぎます
おばちゃんは、いつものように嬉しそうに少年たちに「お客さんがきてくださっているのに、うるさいからほかに行ってあそびな」と言い
子供たちは取り合わず、決まり文句で「おばちゃんお菓子ない?」と言い
おばちゃんは「ここは駄菓子屋じゃあないんだよ」と言ったあとすぐ
お菓子の袋を少年たちに向かってお決まりのように投げます
もたいまさこさんが、ワンテンポ遅れた口調でものを言い張るところが大好きです
毎晩、お菓子のカンから柿の種を取り出して食べ、ほっとしてお茶を飲むところなんていいですね
私の田舎ではお茶受けが高菜の漬物で、手のひらがお皿でした


映画の最後のシーンには、理髪店のテレビに、パリの最新ヘアーの男性モデルが映ります
紹介された髪形は、面白いことにバーバー吉野の吉野ガリそっくりのマシュマロカットです
笑えましたね


2003 日本 カラー 1時間36分
監督 萩上直子

投稿者 mari : 00:03

2007年01月27日

映画「武士の一分」 個人的ぴりから評NO37

山田洋次監督から
往年の原節子さんを思わせると言われている檀れいさん(妻役・元宝塚スター)
を見たいと思って「武士の一分」を見に行きました
「武士の一分」は山田洋次監督が藤沢周平の小説を映画化したものの3作目です
1作目「たそがれ清兵衛」、2作目「隠し剣鬼の爪」ですが
剣さばきの見事さを3部作目にも期待しました
監督は「身につまされる映画を撮りたい」とおっしゃっています
清潔感と気品のある妻の加世役を檀れいさんが
下級武士のお毒見役の三村新之丞を木村拓哉が演じました
ほんとうの夫婦のような雰囲気で質素でけなげで美しかったです
大きなお世話でしょうが女性たちの意見で多いのが
「加世のような女性が木村拓哉の奥さんだったら誰も文句は言いません」です
女の人たちの感性に私も同感で木村拓哉ものを強いて見に行ったことはありません


三村新之丞はお毒見の結果、貝の毒にあたり失明してしまいます
生活がままならなくなり、妻が働かなくてはならなくなりました
誠実そのものが着物を着て歩いているような新之丞の上士の島田(坂東三津五郎)が
2人の生活の向きをさも心配しているような口調で妻の加世に声をかけてきます
態度が折り目正しく真面目そのものの島田に心を許した結果
妻の加世は貞操を奪われてしまいます
それを知った夫から妻の加世は離縁を言い渡されます

檀れいさんが演じた妻は、日本的な美しさにあふれ、野のゆりのようでため息が漏れます
宝石で言えば水晶でできた箱に入った真珠でしょうか、清冽な白のイメージです
障子や戸の間から見える風景は風も木の葉も選び抜かれた一枚の生きた動く絵です
生活の道具類も木や和紙で出来ていてひっそりと役をこなし、機能の美を伝えてくれます


三村家中元(通いで雑事をこなす)の徳平役で何をやってもどこかとぼけた味のある
笹野高史は最高でした
手前ごとで申し訳ありませんが、4歳〜5歳の子供のころ山で炭を焼くおじさんが私の友達でした
木の枝でお箸を作ってくれて、おじさんたちのお弁当のご飯とシャケなどいただきました
3人〜4人いた炭焼きおじさんは雰囲気がみんな徳平に似ていたので
なつかしく眺めさせていただきました
映画を見ていると自分の過去の記憶がどんどんやってきて重なります
それがそのまま力になって気分が変わり、問題の解決の糸口さえ見つかります
思ったことがすぐに言葉になり息つく暇もなくしゃべりまくる親類のおばさん役の桃井かおり
私むかしから桃井かおりさんのフアンです
お毒見役上士の小林稔侍や剣の師の緒形拳の脇固めの素晴らしさは言うまでもありません


三村新之丞は武士の一分をかけた復讐を心に誓い、島田に果たし合いを申し込みます
一分とは一身上の面目(名誉とか責任)
盲目の三村新之丞とそれなりに力量の備わった島田の果たし合いは
風の吹きすさぶ原でおこなわれます
その結果島田が壮絶に負けます(溜飲が下がりました)
島田が腕を切り落とされる場面には目をつぶってしまいました
そういうリアルな姿を見るのはものすごく苦手なのです
切り落とされた手足が転がるのをみたくありません
市川雷蔵の「薄桜記」にも片腕、片足を切られる場面があり
我慢できずに目をつぶってしまいました

島田もお毒見役の上士も切腹
同じ切腹でも切腹の理由がそれぞれ違いますが
武士は相手の沽券に関わること名誉を汚すことをすれば、必ず切腹を申し渡されますよね
見事に潔く切腹をすることで責任を取り、名誉を挽回するのでしょう
いつでも死ぬ覚悟が出来ていると言うことは、よりよく生きられることでもあるのですが
悪事を働いた末の切腹の場合、よりよく生きたといえるのでしょうか
どのような悪所にもかかわりあいを持たないやさしい声の持ち主のお殿様は
一見頼りなく、茫洋としていて詩人の丸山豊さんに似ていました


2006 日本  121分
監督 山田洋次

投稿者 mari : 12:13 | コメント (4)

2007年01月26日

映画「オーロラ」 個人的ぴりから評NO36

城の前庭で白い衣装を着けたオーロラ姫が伸びやかに踊っています
オーロラ姫役はパリオペラ座バレー学校の生徒のマルゴ・シャトリエ16歳
美しい足と美しい胸(かなり大きい)を持つ期待の新人です
城の名はユッセ城
深い森の中の憧れの白い城です
これほど繊細で優雅な城があろうかと見入ってしまいました
童話作家のシャルル・ペローがこの城に宿泊しながら「眠れる森の美女」を書き
デズニーランドの「シンデレラ」の城のモデルにもなった城です
ロワール川の流域に点在する古城は14もありいつか行って見たい所です
城とパリオペラ座のダンサーが登場する映画なので
何をさておいても絶対に見ないわけにはいきませんでした


昔々踊りを禁じられた国があったと言うことです
王様は王妃がその昔踊り子だったので、王妃が昔に返りたいと思わないように踊りを禁じました
静かで美しくはありますが、王妃には自由な喜びを押さえ込んでいる暗さがつきまとっています
愛する人からその人が愛してやまないものを取り上げてはいけませんね(筆者)
禁じられている踊りを王妃の血筋なのか、オーロラ姫は隠れてでも踊リ続けてしまうくらい好きです
ベットから起き上がるしぐささえもう踊りになっています
王妃も弟の王子も姉のオーロラ姫の踊りが大好きです
生まれながらに豊かで伸びやかな肢体を、踊りでよりいっそう磨きぬく
オーロラ姫の踊りは周りの空気を優雅なうねりに変え清浄にします


大臣の悪巧みで国家財政は困窮の一途をたどり
あと3回のお見合い舞踏会を開くほどしか残金がありません
オーロラ姫は財政の豊かな国の王子に無理やり嫁がせられることになります
3人の王子が3様の踊りでオーロラ姫に求婚しますが断られます
その中の一人ジパンゴ国の王子(日本?)は中国服で現れ
山海塾の白塗りそっくりな踊り手たちが、めりめりと剥げる白い皮膚で異様に踊ります
東洋日本への印象がこれだったらあんまりですね
他にもアラビア風+エジプト風な奇妙な踊りもありました


オーロラ姫は肖像画を描いてくれる若い画家を愛するようになります
このことが王に知れるところとなり肖像画家は殺されてしまいます
肖像画家に扮するのはパリオペラ座の最高位に立つエトワール(星を意味する)
トップダンサーのニコラ・ル・リシュ
水晶細工で出来た銀竜草を思わせる東西随一のトップダンサーです
オーロラ姫役のバレー学校の生徒であるマルゴ・シャトリエが
トップ・ダンサーのニコラ・ル・リシュと踊るということは普段はありえないこと


オーロラ姫の魂が肖像画家の居る雲の上に飛んで行き
2人で愛の踊りを踊ります
天使たちの領域です
3度雲の世界に行くと、オーロラ姫はこの世に帰ってこれなくなります
大臣に毒を盛られて亡くなったお妃の遺言は、弟王子を見てあげて欲しいと言う事でした
大臣の悪巧みが露見し一件落着
弟王子は画家になり広い世界を知るために旅に出ます
オーロラ姫は思い残すところなく、肖像画家といっしょに天にのぼります


白い城と白い衣装のオーロラ姫の魅力に尽きる映画でした
満ち足りました


2006 フランス  96分
監督 ニルス・タヴェルニエ

投稿者 mari : 13:32

2007年01月25日

映画館の「こまったさん・ムーミンパパ」(6)

おじさんー1

土、日の昼からの開演に一番乗りするおじさんが居ます
映画好きの間では話題になっています
土、日が休みで市内の映画館に駆けつけられると言う職業は、市内のお堅い職業でしょうか
おじさんはいつも一番うしろの真ん中の席に座ります
私もそうしていましたが、おじさんの噂を聞いてからはちょっと気味悪くなって
土、日の昼は右よりの席にすることにしています
おじさんは、自分が座っている座席の前の席にうしろから衣服をかけ、誰も座らせないようにします
そこまではまだいいとして(よくないか)ささやかれている問題は
そのおじさん静かな場面になると
ポケットに入れた小銭や鍵をチャリチャリとぶつけあわせ始めることです
ポケットに突っ込んだ手で中味をいじっているらしい
おじさんがどこをさわっているのかもっといやらしく勘ぐることも出来るけれど、やめておきましょう
おじさんが、相手の反応を喜ぶ人だったら思う壷にはまることになりますから
静かな場面だから音が目立つのでずーっと前からチャリチャリいわせているのかもしれません
私も席一つ置いて右隣でそれを2回やられたことがあります
あまりにも執拗に繰り返される傍若無人なチャリチャリに悩まされ
とうとう席を変わりました
おじさんは足を組むので右足を上にして組んだ場合は
左に居る人に挑みかかるような雰囲気になる
左足を上にした場合は右に居る人に喧嘩を売るような雰囲気になる
暗闇の中ですごんでどうなるものでもあるまいが、本人は気づかないらしい


そのおじさんの存在から来る湯気見たいなものをさけるため
映画館が配布した新聞を自分の顔の横に立て、おじさんを遮断したことがあります
でも30分もしてくたびれ果てたので力尽きて席を変わりました
そのおじさん、携帯を鳴らした人や携帯の明かりを反射させる人に対しては
飛んで行って注意するそうだ
おじさんは次の映画館に移動するため、映画が終わったらすぐ席を立つ
顔の輪郭しか分からないが
聞くところによるとムーミンパパにそっくりだとか


おじさんー2

自分の左右の座席にものを置き、誰も座らせないようにします
よほど腹が減っているのか、初めから終始むしゃむしゃバリバリものを食べるので
劇場がおじさん個人の食堂になっています。
はぐはぐごくんと言う音もする
食物(パンか?)にかぶりつくプハっと言う音も聞こえる
はっきり言って劇場でおじさんの食事の音は聞きたくない
睡眠時のいびきと、食べ物に喰らいつく音、我慢できません
大体作品にたいしても失礼でしょ
ついでに言っときますが、娘さんのおせんべも、うるさくていただけないですね
歯と言う骨と硬いおせんべが格闘する時の音はかなり響いていますよ
おばさんは自分の動作を説明するのが好きなのか、癖なのか
紙をバリバリいわせながら「うるさかろーごめんね」と画面のスターに向かってあやまります
おせんべはおばさんには硬いので、代わりにおばさんは柔らかめの回転饅頭を食べます
暗闇の中、他の人には気づかれていないと思うのか
初めから公の場所でのマナーを持ち合わせないありさまですね
もう可笑しくてたまりません

投稿者 mari : 00:50 | コメント (2)

2007年01月23日

映画「弓」 個人的ぴりから評NO35

2005年 韓国  90分
監督 キム・ギドク


韓国二胡を弾いている老人と若い娘の横顔のポスターを見て
てっきり韓国二胡の師弟愛の物語だと思いこんで劇場に足を運んだ
映画の途中で老人と娘の異様な関係の成り行きが予想される場面が続き
気分が優れず帰りたくなった
だんだん嫌悪感が増しいたたまれず腹も立ってきた
こんな不快な映画も珍しいので取り上げてみた
すべて私にとってと言う但し書きが入るが


10年前に少女をさらってきて、海上に浮ぶ船の上で育てている老人がいる
老人は、仲代達也から油気を抜き、脱色し田舎っぽく縮めた感じ
老人からは野性味とか色気とか欲望とかは全く漂ってこない
さりとて清潔さも品位も感じられない
16歳の娘は可愛いく色っぽいが
ネットを浮遊した時に何の前ぶれもなく急に前後左右に現れる
裸のお姉さんたちの一人のような感じです
老人は娘が17歳になったら結婚すると勝手にきめている
その執念たるや身の毛がよだつほど
カレンダーに無表情で×印をつけつづけている
婚姻に必要な品物を買いに行き、戸棚の中にしまい込み
結婚の日を心待ちにしている
老人のあまりの自分勝手さに唖然とし、気分が悪くなってきた


弓占いをする占師でもある老人は
もう1隻の小船に乗って海に浮び、本船の胴体に描かれた仏の絵を矢で狙い
本船から海に下がったブランコに乗った娘が絵の前で揺れている
その隙間をぬって矢を放つ
矢の当たり具合で釣り客を占った卦(け)がでるのである
娘に矢が当たったら大変なのだが
娘は老人の腕を信じているらしく、恐がる様子もない
ここで2人の信頼関係を感じさせたかったのだろう

釣り客の若者と娘が恋に落ちる
当然であろう
若者は娘の両親を探し当て、老人を非難する
最もなことだ
老人は娘が若者と舟を去ろうとする時
2人の船につながった縄を自分の首に巻き自殺を企てる
そのことに気づいた娘が戻ってきて老人を抱きしめる
ムカムカする(筆者)
老人と娘の結婚の儀式が始まる
恋人と逃げようとする娘がなぜ老人との結婚を承諾するのか理解できない
はっきり言っておぞましい
若者は2人のなすがままになり、何もせず頼りない

娘と老人が乗った
新しい船の上で儀式は進むが
白衣をまとった娘は眠りにつく
老人は矢を空に向かって放った後
海に飛び込み死ぬ
なぜか娘はあえぎ声を上げはじめる
肉体のなくなった老人が娘と結びつき
なんとも奇妙な初夜が始まってしまう
娘は出血、白衣が血に染まる
恋人のいる娘を犯す老人の欲望に
げんなりする

いったい若者は何をしているのか
恋人をなぜ助けないのか
娘の顔をたたいて目を覚まさせないのか
娘さんいったいこれからどうするの
のほほんとした若者
不快でたまらない
残念至極でした
早く忘れたい映画だが
また思い出してしまった

投稿者 mari : 10:25

2007年01月21日

映画「上海の伯爵夫人」 個人的ぴりから評34

ポスターの伯爵夫人の横顔の美しさに抗いようも無く惹きつけられ
劇場に赴いた私です
ロシアから亡命して上海に流れ着いた悲劇の伯爵夫人ソフイアの
生い立ちからの物語を見たくて席に着きました

1936年、亡命貴族・伯爵家の家族は気位ばかり高く、誰も働こうとはせず
未亡人の伯爵夫人ソフイア1人が上海の夜総会(クラブ)で働いています
伯爵家の家族は、男たち相手に夜のクラブで働くソフイアを食いものにしながら
ソフイアを露骨に蔑んでいます


クラブで伯爵夫人ソフイアの声を聞いた
盲目の元アメリカ人の外交官ジャクソンは
その声に悲しみと高貴さを感じ取ります
事故で失明した彼は、理想のバーを作る夢を持っています
伯爵夫人ソフイアを理想のバー「白い伯爵夫人」の華として迎え入れます
降って湧いたような不思議な出会いです
2人はお互いの生活には踏み込まずに時は流れます
戦時中のバーには、戦争と関係のある様々な人々が集います
仲良くとまではいかないけれどその中では殺し合いはありません


元外交官のジャクソンは
中国政府に恐れられている日本人青年マツダ(男優・真田広之)に出会い
大人の意見を闘わせます
真田広之はどの映画に出ても真田広之です
伯爵夫人を見に劇場に行った私には
あまりにも多過ぎる真田広之の出番でしたので
勝手に四分の一に減らして見ました(気を抜いてみること)
監督が真田広之の他の映画を見て気に入り、登場させたので出番も多かったわけです
2人の恋物語なのに3人が主役のようでした
さらに脚本家が上海の租界地区で日本人ビジネスマンであった祖父を持つ
カズオ・イシグロと言う人でしたので
日本人青年マツダの台詞にも熱が入ろうというもの
別にかまいませんけど


伯爵夫人と盲目の元外交官は命からがら手に手を取って
舟でマカオに逃げます
絶望と諦めの日々の中を逡巡した2人は
「あなただけが、わたしの光」ということに
気づくのです
中年の真面目な恋には
殻を破り、もう一度無垢な感覚を取り戻す道のりが必要なようです


2005年 イギリス・アメリカ・ドイツ・中国合作
監督 ジェ−ムズ・アイヴォリー  136分

投稿者 mari : 13:00

2007年01月20日

映画「敬愛なるベートーヴェン」 個人的ぴりから評NO33

2006 イギリス・ハンガリー  104分
監督 アニエスカ・ホランド(女性)


1824年のウイーンの街
ベートーヴェンと作曲家を志す写譜師の女性アンナの
微妙な師弟愛(同志愛)を歌っています
4日後に初演が控えているベートーヴェンの第九交響曲を清書するため
アンナがベートーヴェンのアトリエを訪れます
若きアンナ(21歳)を登場させたストーリーはフィクション
監督は女性です
耳の聞こえないベートーヴェンが、傍らのアンナ(向かい合わせ)の指揮を見て
第九交響曲の指揮をすると言う設定です


ベートーヴェンは、人の心臓をわし掴みにするようなことをずばずば言い放ち
荒々しくわがまま、狂気とすれすれで、頑固で熱過ぎるのですが
一理あり説得力もあるのでなかなか憎めません
人をがんがん叩くがちゃんと理屈が通っている
ものすごい勢いで五線譜に音符を殴り書きする
そして何より悲しそうである(筆者はこれに弱い)
アンナは全くたじろがず
ベートーベンが書かずにいて、こう書こうと思ったであろう音を直感し
言われないのに写譜し、ベートーベンを驚愕させ喜ばせる
2人は結婚するのかと思えばそうではなくアンナには建築家の恋人がいます
身元引受人で修道院の部屋を提供してくれている親戚の尼さんもいます
ベートーヴェンはアンナの恋人の建築家の個展に行き
建築家が作成した橋のミニチュァの形が気に入らないといって
すごい勢いで叩き潰します
橋のミニチュァは橋を説明する物体でそれ以上のものではありません
彫刻家のロダンの弟子のブルーデルとベートーヴェンは交流がありました
ブルーデルは苦悩するベートーベン像を作成しています


ベートーヴェンは、階下の住人から何度怒鳴られても、水が漏れるのを気にせず
風呂のかわりに頭から水をかぶる
アンナにお尻を見せ大声で笑い顰蹙を買う
狂気の豪放磊落ぶり
ギヤンブル好きの甥からは毎回お金を盗まれています
こんな状態では妻が居ても逃げ出すでしょう
ベートーヴェンとアンナは音楽と言う共通のものでお互いを必要としあい
師弟愛(同志愛)で結ばれていました
アンナはベートーヴェンが作曲した曲に一番先に触れることが出来
演奏会の成功を祈る苦悩と喜びをベートーヴェンと共にできました
役得です
★アパートの隣人のおばあさんもベートーヴェンの曲を最初に耳に出来る幸せな人でした
  (本人もそう言っています)

暮れに第九交響曲を聴きに行くつもりで見に行った映画ですが
現代音楽のさきがけとなった
異色の弦楽四重奏曲13番変ロ長調作品133「大フーガ」を聞くことが出来ました
この曲は、全体的に不協和音のように聞こえてしまう特徴がありました
19世紀のウイーンの聴衆が耳慣れない音に次々と席を立ち、誰にも評価されず
最後にはアンナ1人が味方でした
安定し形式化したものの内側からさらに新しいものが生まれてきます
常に過去の音を土台にした今の音があふれ出て
いつでも作曲が出来る高揚した魂であり続けます
芸術家としての作曲家ベートーヴェンではありましたが
よくしゃべるお方でした


余談 「梅毒でつなっがっているベートーヴェンとモーツアルト」
※プラハでモーツアルトは2階に住んでいたが、1階は売春宿だった


梅毒にかかっていた売春宿の娼婦(女)←→★モーツアルト(男)←
→ドゥ−シェク婦人(女)←→クラム伯爵(男)←
→若手ソプラノ歌手(19歳・女)←→★ベートーヴェン(男) 

投稿者 mari : 09:08

2007年01月18日

夢中なファンタジー(2)「ダレン・シャン」半バンパイヤ少年の数奇な物語

最終巻の12巻目を1月初めに読み終わりました
1巻目からの物語の解説をするのはやめておきます
清濁併せ持ち予想もつかない展開が長編で繰り広げられたこのバンパイア物語は
脳内お花畑しか見ようとしない人にとっては耐えられない物語でしょう
覚醒と夢の間に立ち、あらゆる夢物語を土台にしたフアンタジー
突き動かす衝動と現われてくる感情を知性でコントロールしています


最後の展開の仕方の一部がアメリカ映画「猿の惑星」の最終場面の時とおなじでした
「猿の惑星」では宇宙飛行士が海岸の砂の中に自由の女神像を見つけます
宇宙飛行士が居たところは現在ではなく核戦争で滅びた未来のアメリカでした


「ダレン・シャン」の物語は主人公ダレン・シャンとその影のような副主人公悪魔的なスティーブを登場させています
ダレン・シャンは滅びた未来から現在を飛び越えて過去に戻り、少年のころの自分に出会います
自分がバンパイヤになるきっかけとなったサーカスの蜘蛛を盗みにいくところを、過去の自分にやめさせます
同じ人間が同時に同じ場所に居られるのは6時間ほど
片方が死ななくてはなりません
未来から過去にやってきたダレン・シャンが、過去のダレン・シャンの生き方の方向の手直し調整をするのです


なんとも想像を絶するお話です
2つの生き方が現地点において同時に選べると言う不可解さ

ドッペルゲンガーとは、肉体を持ったもう一人の自分のことです
もう一人の自分に会う場面では、自分が同じ時間の流れの中に2人居ることになります
さらに他人が別の土地で、ここにしか居ない自分と会うこともありえます
想像力を駆り立てる不思議な現象があることで
物語の翼は大いに過去、現在、未来を行き来します
1つの童話から無数にお話が作れてしまう時代になりました
でも一番面白いのは修正をほどこさない元のお話かもしれません
少なくとも面白いのは正反対のお話くらいでそこらへん止まりでしょうか

投稿者 mari : 09:04

2007年01月15日

遅れて届いた年賀状

九州のA町からオカリナ教室の声がかかり10年間通っていたことがある
婦人たち、子供たち相手の教室でした
5年目までは月に1回で2時間
絶対的に練習量が足りずなかなか上達しませんでした
初めのころは町役場の係の女性も練習に励んでいましたので,楽器と言うものは、1ヶ月に1度鳴らしてもどうにもならないことは理解されたでしょう
侮るなかれです
オカリナ教室を企画した年配の男性、すぐに教室に来なくなり、見に行くと町役場の建物の一部と化していました
8年ほど経た後で最後に見た時には、建物化が進行していましたので身震いしました

月に1回の練習が終わり、教室に1ヶ月後に訪れる時には、吹き方に勝手な癖がつき始めており,音尾がゆるんで垂れ下がったり、はねていやらしく落下します
そしてそのことに気づかないので、ご本人には不快感も起こらない
切れのよい、安定したピッチが根づかず、おもちゃのような音が出るばかりでした
いまだにずーっとそうなのではないかと危惧しています
切れがなく音の立ち方がもたついて乱暴、風味もなにもあったものではない
相手の言うことや、相手の音をちゃんと聴く訓練が必要なのですが、あまりにも練習時間が少ない
陰気なお葬式の家の部屋をいくつも通リ抜け、すべての襖をぎごちなく、閉め忘れたような気持ち悪さである
基礎のタンギングとリズム感、指使いが3拍子そろって、まあ単純な曲が吹けてくゆのですが、なかなかそうはならない
それでも1曲づつなんとか吹けてくるとうれしいものでした

輪をかけて年に6回に教室回数が減らされた時はもう駄目だと思いました
2ヶ月に1回、2時間の練習量,町の演芸会風な行事に出られるくらいになればいいらしい
講師など来ていればいいので、誰が来ても同じで、使い捨て
町立何十周年ぶりかのお祝いの本には、私のオカリナ教室存在の記録もなく,それを言ったら感謝状を有無を言わさず厄介払いのように渡されてしまいました(5分〜10分間の早業)

初めはバスで通い、次には開通したので飛行機を使ったが、交通費の改善もなく、バス代金の倍の飛行機料金を4年間払った
婦人の教室の送り迎えを教育委員会がやらないと言い出し、わけも分からず不便な地域で立ち往生する事態になったこともあった
子供の教室だけがメインで、婦人用のオカリナ教室は6年目からはほんとうはやらなくてよかったと言うことだった
そのことが分かったのは止める直前だった
そのことを知っていた婦人も町の係りも5年もの間誰も何も言わなかった
一見、素朴そうな人々は確信犯ではないのでかえって始末に悪い

それでも何とかよい音が出て、精神的な演奏が出来ないかと思ったが
眠たげに垂れ下がりながら出て来る音、自分のリズムに捻じ曲げて吹き、なおかつ、たどたどしく1曲吹ければ得意満面になる人もいた
それなのに練習を休みがちな方々がいてあきれてしまっていた
町がお金を出しているので個人負担がなく、ずいぶん気楽なお気持ちだったのでしょう
また町と講師の顔色を見てうまく立ち回る人もいて、よい世間学習をしたと思う
オカリナの2部合奏が美しく出来るまでになりたかったが
「コンドルは飛んで行く」の練習に入る5歩も10歩も手前で私のオカリナ教室は中止になった
ギターならば「禁じられた遊び」を弾けてやっと門の前に立てたかなという感じで、これからと言う矢先です

町の婦人の皆さんに最後の年賀状をさし上げてみた
何人かの方々から、自分たちがこんなに吹けるようになったのは先生のおかげだ・・・
だから感謝みたいな年賀状がとどいた
そう思いたいのは分かりますが、それはちょっと傲慢ですよ
こんなにってどんなに?あの有様で?
洋服で言うと仮縫い前の状態、料理で言うと下ごしらえの途中です
あきらかに開いた穴から陰気な音が漏れる、しかも不ぞろいの下がり気味の音なのに、それでいいらしい
感謝って時と場合によっては、思考停止の気持の悪い逃げこみ言葉です
遠く逃げた場所で、しっかり意識すれば「あーあ、黙っててよかった、損もせずに終わった、よかったあー」
の気分に気づきませんか
そこまで蓋を開けて吟味しないと、あの鈍重な野暮ったい音は磨かれずもとのまま、変わって行きません


感謝したいのに感謝できず、
ほんとうに申し訳ないの一言です

投稿者 mari : 13:50

2007年01月12日

映画「百年の恋」 個人的ぴりから評NO33

2005台湾 131分 監督 ホウ・シャオシエン


3部作で「恋愛の夢」・「自由の夢」・「青春の夢」と言う名前がついている
登場する恋人役の俳優は3部作とも
女は、台湾できれいと思われるのはこういう女性なのかと思う
あまり納得がいかない(もしくは監督好みの女性なのか) スー・チー  
男は美男のチャン・チェン


2部作目の「自由の夢」は無声で美の極み
場所はとある遊郭
女は芸妓 男は革命を志す文人
男役のチャン・チエンの辮髪姿は凛々しく優雅である
宝石類のカクテルに例えるならば
今回のチャン・チエンは象牙とエメラルドと銀を溶かしたような味わい

女の衣服のまといかた、装飾カーテンに手をかけるしぐさ、立ち居振る舞いが
流れながら止まり、再び静かに流れて静止する・・・をくりかえす
言葉が無いので一挙手一投足が澄み切る
男の辮髪を女が梳かす
女が水を汲み、男が顔を洗い、女から渡されたタオルで顔を拭くしぐさを
透き通った紐をかけて引き寄せられるように見つめ続けずにはいられない
優れた映画は相手を自分のことのように聞くことが出来ることを感じさせてくれる
この聞くはお香を聞くの聞くである
あまりの美しさに息を呑む

騒々しい世の中の罵声にたたかれて
痛んでいた場所から
あふれ出るものが涙腺を刺激する

「なんもしゃべらない無声映画なもんで寝ちゃった、あははは」なんてたるみ声出している人
美しい涙でしか治らないものがあるなんてこと知らないんでしょうね
無礼者!立ち去れ!ですよ
わたくしも今から立ち去りますが、立ち去り際の一言
辮髪姿の文人には別に家庭がありますのです・・・エエッ! ガクッリ ドシーン 痛ッ!


1部作と3部作はまあよかった
1部作目の「恋愛の夢」では
兵役についた男がビリヤード場を止めた女を探し回り
ついに探し当て、さあこれからどうなるかと言うところで終わる
この女が目の前にいなければ、他の女でもよかったのではないか
とふと思えてしまう・・・・私好みではない…替えがきくなんて薄くてつまらない

3作目「青春の夢」
主人公の男女は、お互いに恋人がありながら満足できず
執拗に足りないものを探しながらさすらっている
物憂く何事にもにも喜べない現代人の男女が
抱き合ってもそこには虚無しかない

投稿者 mari : 09:25

2007年01月10日

映画「リトル・ミス・サンシャイン」 個人的映画ぴりから評NO32

落ちこぼれ家族6人が数々の障害に遭遇しながら絆を深め
おんぼろ車(幸せの黄色いバス)で美少女コンテストに向かうお話
口コミによる全米大絶賛、大ヒット作!
評論家や観客から圧倒的な支持を受ける!


負けることを拒否して来た父(成功論提唱者)に育てられた
9歳の娘オリーブが、美少女コンテストに出場することになった
美少女コンテストと言えば自宅で何者かに殺された
可愛く色っぽいジョンベネちゃんの事件を思い出しますね
6人の家族はおんぼろ車でアリゾナからカリホルニアまで向かう
ここまでは、まああっておかしくない話で
ふつうだと可も無く不可もなく目的地についてしまうだろうが
ここの家族はそうは行かない


孫娘オリーブ  ごく普通の容姿、ごく普通の女の子

祖父  ヘロインの常習者、老人ホームを追放される
     ヘロイン吸入が原因で旅の途中で亡くなる 
     美少女コンテストに出る孫娘のオリーブに密にストリップを教え込んでいる 
     孫息子には沢山の女と寝ることをすすめ、親から大反対される


父親  「9ステップ成功論」を出版し勝ち組になろうとするが、知人との口約束だけだった
     のでオジャン。いつでもどこでも強気


兄   ニーチエに心酔し、倣って沈黙の行をしている
    夢はパイロットになること
    旅の途中で色弱が判明してパイロットになれないことがわかり
    腹の底から怒鳴り散らす 


叔父 ゲイでプルースト研究家
    知人のプルースト研究家に先を越される
    自殺未遂者なので1人にしておけず、妹一家と暮らすようになる

妻  他の人に比べると一般的な常識人にうつる


何時しか誰もが拍手をし
ばかばかしさに笑い転げ知らないうちに泣いている
壊れた車にエンジンをかけた後みんなで押し
運転手以外は走りながら乗り込まなくてはならない
そのうちにそれが普通だと思えるようになるのがおもしろい


2006年アメリカ 1時間40分
監督 キム・サースデット
     
     
    

投稿者 mari : 00:18

2007年01月09日

映画「キング罪の王」 個人的ぴりから評NO31

海軍を退役し、まだ見ぬ父(教会の牧師)を訪ねて
アメリカ、テキサス州の南部にやって来たのは
21歳の青年エルビス
次々に殺人を犯してしまうエルビス
エルビス役はラテン系NO.1俳優のガエル・ガルシア・ベルナル
存在自体が蠱惑的で虹色に引き締まったトカゲを思わせる
情熱的で端整な青年が静かな表情を最後まで崩さないので
なおいっそう美しさが増し、目が離せなくなってしまう


新しい家庭を持った彼の父(教会の牧師)は
初めのうちは息子のエルビスを拒否する
エルビスもエルビスの母(故人)も牧師の父にとっては
現れて欲しくない人間なのだ
(愛を説く牧師が息子を拒否するのはなぜ?)
牧師は長男のポールが行方不明になってから
(エルビスが殺したのだがばれていない)
何を思ったのかエルビスに会いに行き、家に招きいれ
教会の集まりで若いころの過ちを懺悔し、エルビスを家族として紹介する
(エルビスの母は娼婦・映画ではこの仕事が罪だとされている)
悔い改めた牧師を許すことが出来ないのか
牧師の過去を聞かされた人々が次々と席を立つ
(愛の交わりを説く人々がなぜ席を立つ?)


エルビスは妹(異母兄妹)と知っていながら
16歳の少女マレりーに近づき妊娠させてしまう
エルビスは恐ろしい曲者である
マレりーはエルビスを兄とは知らないので
近親相姦は意識にのぼらない
エルビスが兄のポールを殺して川に沈めたことを聞かされても
マレりーはエルビスを責めずに祈るだけである
世界や周りの人々、家族のために祈るよりも
肉体関係にある兄を殺した男のために祈る
ほとんどの女にとっては恋愛が宗教かもしれない
男のためなら女同士の友情なんていつでも解消されてしまう
マレりーの祈りの下地には愛欲への執着があるのではなかろうか
胡散臭いが必然的で悲しい祈りだと思う


マレりーに兄殺しを懺悔したあと
かたっぱしから罪を犯すエルビス
それは懺悔ではなく単なる報告?
エルビスの胸の奥に巣食うのは憎悪と復讐
この憎悪と復讐は母から受け継いだものかも知れない
エルビスの父と母の愛憎がエルビスに影を落とし
父の新しい家族から蔑むような目で見られ
自分の存在を否定されると
自分の衝動をコントロールすることが出来ず
突発的に相手を殺すか、相手の大切にしているものを崩す
受け入れてくれる者に対してはやさしさを見せるが
受け入れない場合は豹変する
エルビスの甘く静かな表情には罪の意識が現れない


マレりーはエルビスが兄であることを知り苦悩する
エルビスの子を身篭ってしまっことを母に打ち明けるが
それを2階の窓から見ていたエルビスは
2人を殺し家に火をつける

エルビスが父に会いに行くところで映画は終わるが
成り行きによってはエルビスは父をも殺すかも知れない
生きている人間を居ないもののように取り扱った牧師への報復は
ネズミ花火のように吹き荒れ
尾を引いて元に戻りエルビスにまで突き刺さるが
本人には自覚が無いように見える
父の大事なものすべてを殺人、放火で破壊してしまった結果
牧師の父は彼をどうするだろうか
普通の感覚では許しがたいことである


罪の王エルビスには
罪の意識がまるで無いように見えるのが不気味だ

2005年アメリカ 105分
監督 ジェームズ・マーシュ

投稿者 mari : 01:08