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2006年10月27日

強烈なもの薄れ行くものの混交

オカリーナコンサートが近づいてきて
矢のように日が過ぎてゆく
曲を暗譜できた日は
宙に浮いて歩いているような変な感じになる
演奏家としては快調なのかもしれない

ひとりでに指が動き
じぶんではあるけれども
ふだんの愚鈍な自分ではないような
自分の中の一部が
曲想の中から貝を抱いて立ち上がってくるのを
感じ耳を傾ける

古事記の中でイザナギが追ってくる悪鬼に桃を投げつける場面を
「黄泉比良坂」、「桃の実」として作曲したことがある
この2曲を9Gの大きなオカリーナで吹いたあと
衣のようにまとった音がまだ風化しないまま
スーパーに行くと
レジの女性が地の原(チノハラ・血の腹)さんのネーム札をつけていたり
使用済みの油を固めるテンプルの棚を教えてもらった店員さんが
桃咲さんだったりする
そうしてとどめは
野津崎(八つ裂き)さん
この時はさすがに驚いた
気をつけよう・・・って
いったい何を


めったなことは口に出せない
その人に分からないことを世間の人に言うと
自慢しているとか威張っているとか言われて
いじめにあうからだ
様々な人間がいていいとはならず
何かの用件にかこつけて必ず
かれらは痙攣的に意地悪をやる
意識してやるのならまだしも
そうでない場合が多い
お堅い職業ゆえ
ほったらかしにしている悪意をなだめられないための
うっぷん晴らしか
自己管理の問題かもしれない
○〇会でも親玉が必ずやる
子分もそれに習ってやる
大人にして吟味されていない
「わからん」「知らん」の投げ飛ばし言葉に
あきれてしまうけれども

10月に入って映画は10本以上沢山見た
美意識が確立していて
私と言う生命体を生かす意味で
情動を刺激したのは
「フラガール」と
「トリスタンとイゾルデ」だった
いずれ寸評を書くつもり

投稿者 mari : 23:16

2006年10月08日

個人的映画寸評「記憶の棘」NO20

監督・脚本 ジョナサン・グレイザー
2004 米作品

他の男性と再婚をしようと決心した妻アナのもとに
10年前に亡くなった夫ショーンの魂を持った
生まれ変わりの10歳の少年ショーンが現れる
夫の生まれ変わりのショーン少年には
幸せな結婚生活で
妻だけを愛していた記憶しか取り戻せていなかった
その先の取り戻せていない記憶が問題です


再婚同士の2人も(男性は再婚かどうか分からない)
10歳の少年も
おのおのの家族も
親友夫妻も
あの世から戻ってきたショーンにかき回される


中途半端な記憶だけで
生まれ変わって戻って来られてもなんだかなーと
男優の阿東海(あとうかい)さんの有名な口癖ように
「なんだかなー」の
なーのところを間延びさせて言って見るしかない
劇場を出てからもしばらくは
取り返しのつかない世界をさまよっていたような
変な気分から抜けられない

10歳の少年ショーン役のキャメロン・ブライトは
(大人の男の雰囲気を出せる名子役、末が楽しみ)


妻アナ役はニコール・キッドマン
(切れ長の目としなやかなボデイの持ち主
 隅々にまで感情表現が行きわたった鋭い演技)


亡くなった夫の親友の妻クララ役は女優のアン・ヘッシュ
なぜか最初から気になった女優
役どころも薄幸な雰囲気が漂い、よく飲み込めない行動をする

めでたしめでたしでは終わりません
妻アナの立場に立てば
「あーーあ」と悲しみにも似た狂いと屈辱感を感じる

女優アン・へッシュについては
今回の演技は
時と場合により刻々と変化し
マーブル色の心情が顔に渦巻いた
特に目に
全体的に狂気の悲しみを表せる女優だと感じました


後に調べたところ
 (御本人はレズ同士で結婚した時期もあり、現在カメラマンと結婚1児あり
 父親に性的虐待を受けていたことを告白)

投稿者 mari : 23:47

2006年10月06日

ソロオカリーナの音楽会インのこの島(博物館・美術館)

★星笛館の望遠鏡を開いていただき
 カレンダーの下の
 カテゴリーの オカリナ演奏(サウンド)をクリックすると
 オカリナ即興演奏が聴けます★

島には船で渡り
海の見える森の中を歩き
博物館の方へおいでください
奏者にも参加者にも
こだわりの道のりが必要です

奏者は、はっきりと意識した音を
選りすぐって吹奏します
トランス状態といわれるような
朦朧とした夢状態の音を振りまきません
即興もはっきりと覚醒意識した即興です
そこにもこだわっています

日時 平成18年11月5日(日)
    14:00〜
チケット 当日券のみ€2800
電話 092−883−2887
住所 福岡市西区能古522−2
場所 能古(のこ)博物館

演奏者 日嘉まり子
使用楽器 オカリナ4種類  石笛  弥生土笛
即興をよしとしていますが、既成の曲も日嘉の解釈で吹奏
音楽会の最初と最後の曲が即興です
そこのところを大変こだわっています


曲名

★即興演奏で入場

1)「おいらは鳥射し」(モーツアルト)
2)小鳥愛好家のお楽しみ曲(18世紀イギリス)
  �「森ひばり」 �「むくどり」
3)W・A・モーツアルト「メヌエット」(ナンネルのための音楽手帳)
4)L・モーツアルト 「ブーレ」「メヌエット」(ナンネルのための音楽手帳)
5)L・モーツアルト 「サラバンド」「ポロネーズ」「「ブーレ」
6)J・S・バッハ 「ポロネーズ」
7)サムエル・セイド「悲しみのクーラント」
8)ヨハン・ヘルマン・「アルマンドとトりプラ」
9)グリーン・スリーブズ変奏曲
10)ヘンデル「ラルゴ」

11雪月夜(自作曲)
12)黄泉比良坂(自作曲)
13)桃の実(自作曲)
14)その他


★即興演奏で退場
  

投稿者 mari : 07:07

2006年10月04日

個人的映画寸評「母たちの村」 NO19

監督・脚本  ウスマン・センベーヌ(83歳)
2004年 フランス・セネガル合作 
カラー124分 57回カンヌ映画祭・ある視点部門グランプリ他


ついに「母たちの村」を自分の眼で見ることが出来た
こんな明るく強く美しい歌い方があるのかと驚かされながら
耳を傾け心を高揚させる独特の女性の歌声が
初めに響き渡って始まり
終わりに響き渡って終わる映画だった

重い問題を内包しているので
楽しく気づいたことをかるく始めに言っておこう
2原色の波模様が胴体に踊っているバケツがお見事!
女たちが着ている大柄の衣装のうちの2つが
私の夏服の模様とそっくりでうれしい
カラフル・カラフル・カラフルと回る風車が
私の中で回った

場所は西アフリカのとある村
幼いうちに昔からの慣わしとして行われている
女性器の切除は命を落とすことがあるのでやめて欲しい
命をとりとめてもむごたらしい後遺症に悩まされる
宗教とは何のかかわりもない習慣である


女性器切除から逃れてきた4少女たちをかくまう女性コレ
コレは自分の娘を女性器切除から守っているが
夫や村の大多数の男たち、女性器切除をやる女性たちから
執拗に非難される
コレは夫から人前で考えを転向させるために鞭で打たれるが
頑として言葉を発さない
土性骨の座った魅力的な女性だ

コレをかばおうとした、露天商の陽気な男は
顔に色を塗り呪術的な夜の殺人鬼となった男たちに
殺される
この野蛮さに恐怖を感じる
現代社会には、顔に色を塗らなくても
いつのまにか灰色の殺人鬼となる人間が
もう小学生にもいる
日本にも!
内輪の事件を
何事があっても、えてして表に現さず
なかったことのように押し殺し
指摘しようものなら厄介者として無視するか
村から追い出す
そ知らぬ顔をして連帯を保って来たのも日本人
半分引っ込めて平和を維持するのもお得意
膿が出ないままなので
それぞれの病気になって現れる

個人主義の1個人であっても
そんな1個人が何千何万と集まれば
連帯の切れた1個人の集団である


村長のフランス帰りの息子はコレの娘と連れ立って
この村を逃れたのだろうか?
コレの夫は村にいて、コレを守りきれるか?
村の男たちが・女たちが殺人鬼となり
うっかり休養をとっているコレたちに
ゾンビのように襲いかかるのではないか?
女たちを目覚めさせるラジオが
男たちによって村の広場で燃やされたように
女たちが燃やされはしないだろうか
逃げろ!逃げろ!逃げろ!
コレの駆け込み寺(モーラーデ)はいつまでモーラーデでいられるか
逃げるとしてもどこへ?

アフリカ映画の父といわれている監督さん!
救済の道を考えているのですよね

投稿者 mari : 06:51 | コメント (1)

2006年10月03日

映画寸評 「ダ・ヴィンチ・コード」NO18

監督 ロン・ハワード
2006年作品 150分
ダン・ブラウン著(長編推理小説・2003年)

この映画ばかりは
様々なトリックの謎解きは
鑑賞者本人でやってください
主人公の男女は結ばれるようでいて結ばれないけど
あとの
種あかしはしません
これではこの映画
何も言うことがなくなりますね
ではちょっとだけ
<とうだいもとくらし>
なんてね
ほんとにこの映画ばかりは
困りました
主人公の女性はマリアの血筋の生き残り
(ああついゆってしまった)


この映画で唯一私が興味を持ったところは
主人公の女性がいくらマリアの子孫であっても
肉体を持った人間であるからして現在は
「水の上は歩けないので土の上を歩いて帰る」
の台詞でした

投稿者 mari : 07:02