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2006年09月30日

個人的映画寸評「太陽の少年」NO17

監督 チアン・ウエン
1994年 中国 128分
ヴェネチア映画祭主演男優賞 監督賞 脚色賞 他


このところ北京の胡同が出てくる映画を立て続けに3本見ることが出来た
「胡同のひまわり」「胡同の理髪師」と「太陽の少年」である
古い町並みが美しく、どこかゆっくりとした時間が流れている
それだけでも見る価値があった


子供のころ近所のおばさんが亡くなった時
息子と娘が納戸で下を向きながら「これからどうするね」と
泣きながら話していたのを
障子の穴からじっと見ていて
「こらーだれねー」と叱咤されたことがある

親戚の家の階段をいくつも登り
岩肌が壁になった不思議な部屋で
お姉さんのもちものの赤いペンダントをさわったこともある


没落した本家のぼろぼろに崩れた屋根裏に上がった時には
いくつもの青い玉が空間に浮いていたのを思い出す

映画と同時進行で
このような風景が脳裏に浮かぶのである
映画では幸せな確認の時を過ごせる
それに比べれば、漫然と過ぎてゆく時など
現実に流れていてもいったいそれがなんだと言うのだ
(と言っても誰もそこまで突っ込む人はいないが)

「太陽の少年」の主人公の不良少年は
合鍵を作るのが得意で
合鍵を使って昼間留守になっている家に忍び込む
寝室に美しい娘の写真がかかっているのを見つけ出す

急に娘が部屋に戻って来たので
少年はあわててベットの下に隠れ
娘の美しい足首から目がはずせなくなる


何がよかったといって
娘の住んでいる
石造りの古い建物の美しさに
私はまいってしまったのである
長い廊下にこだまする、郷愁を呼び覚ます足音が
部屋の中の淡い光と空気が
調度品がチリが
惹きつけてやまなかった
まあ見てくださいこの映画
こんなこと書いていてもだれも読んでくれていそうにないので
もう一人の自分に、もの言っているようなものだけれども


監督のチアン・ウエンは「紅いコーリャン」で主演(男優でもある)
監督チアン・ウエンと「太陽の少年」に主演した少年(男優シア・ユイ)とが
うりふたつであった
同じ人物だとしか思えなかった
監督がオーデイションで少年役を捜した時
母親から「このこはあんたの小さい時にそっくりだ」と言われて
シア・ユイ少年を採用したことが
あとから判明してなるほどと思った
気分がよかった

投稿者 mari : 22:08

2006年09月24日

個人的映画寸評「紅いコーリャン」NO16

監督 チャン・イーモウ
原作 モオ・イエン
1987 中国  カラー 91分

要所要所に割れ響く
ドラの音と噴出すマグマをかき混ぜたような
粗野でダイナミックな男たちの強烈な歌
大地に根ざした地鳴りのような声は
魅力的である

コーリャン酒も赤、花嫁の輿も衣装も赤、太陽も夕日も赤
扇情的な赤を基調色にして民族色豊かな物語は進む
圧倒的な色彩の美学を見せ付けられる
花嫁をひょいと横抱きにしてかっさらう雇われた男ユイ
(チアン・ウエン・後に監督になる・)は
亡羊としているが、100人力
大音響とも取れる彼らの爆声!
牛の頭を酒の肴にし
コーリャン酒には、人間の排泄物を混ぜる
コーリャン酒の甕と酒を注がれる器は
地面に、台の上に、たたきつけられるように
重い音をたてて置かれる
原初的な感情が乗り移ったかのような
酒造りの前後の歌、日本軍との闘いの前の歌

生き物のすさまじい触手のようにざわめくコーリャン畑
一日中コーリヤン畑風呂に浸かって見たい


ハンセン氏病を患った造り酒屋の主人
強盗、盗賊、残酷極まりない日本軍(映画の中ではそうなっている)
盗賊役の役者は目も筋肉も刃物のようで素晴らしかった
おかみさんのチウアル(コン・リー)は、明るく力強くしたたか
そうでないと生きてはいけない環境なのだ
映画「紅い子コーリャン」は
おかみさん役の中国女優コン・リーの初演映画
コン・リーは
表現力がまだまだのチャン・ツイー(可憐でかわいい中国スター女優)
よりも見ごたえがある
顎あたりの演技が秀逸
コーリャン畑で襲われた雇い人のユイとの間に
おかみさんは男の子を持つ


芸術性の高い躍動感あふれる作品

投稿者 mari : 23:18

2006年09月19日

個人的映画寸評「至福の時」

監督 チャン・イーモウ
原作 モウ・イエン
中国 2002年作品


失業ゆえに仕方なく父に置き去りにされた盲目の少女ウー・インは
継母とその息子から、邪魔者扱いにされ
辛い毎日を辛抱しながら生きています

継母に求婚したさえない風体のおじさん(チャオ)が
やむなく盲目の少女ウー・インを預かることになり
目の見えない少女に
閉鎖された工場を按摩室と思い込ませ
失業中の仲間に按摩を受けに来てもらう
すぐに盲目の少女ウー・インに払うお金もなくなり
あとから取り替えることにして
ただの紙切れを渡すことになる
盲目の少女ウー・インと按摩をしてもらう失業中の人々のやり取りに
昨今うすれてしまった素朴で全うな人間味がうかがえる

盲目の少女ウー・インが継母から追い出され
車道の真ん中で今にも車に轢かれそうになりながら
立ち尽くしている時
さえない風体のおじさん(チャオ)が連れ戻し、大声でし叱りつける
車の流れの中で自分も死にそうになりながら
叱ってくれる人の声は温かい
ひまわりの柄のついた赤い洋服を
さえない風体のおじさん(チャオ)に買ってもらって
喜ぶ盲目の少女ウー・インは可愛い
彼は父親になりすまして盲目の少女ウー・インに手紙を書いたあと
交通事故にあってしまう
盲目の少女ウー・インは自分の声のテープを皆に残して町へ出てゆく
彼女は、すべてのことを気づいており
自分に親切にしてくれる失業中の人たちとの時間を
至福の時と感じていました
按摩された人も至福の時を味わったことでしょう
物語はハッピーエンドではなく
途中で終わります

映画が終了後、立ち上がる人も出て
割れんばかりの拍手の波が起こった


作家なら、貧しく哀れな人物を物語にし話題にし
登場人物の一生の追跡文を書くこともあるでしょう
写真家なら被写体として興味を持って記録するでしょう
しかし世の中、自分の題材に哀れな者の体験談を
使うだけ使ってしまったあと
そのままおしまいにしてしまうことが多い
例えば
盲目の少女がほんとうに自分の前に現れたら
なんだかんだ理由をつけ、相手にせず、無視を決め込んで
立ち去ってゆく人がほとんどではないだろうか
そんな興味の持ち方をする人がいる一方
目の前に盲目の少女が現れたら
とにかく
自分の無力の身も振り返らずに
即座に助けようとする人々がいる
とにかくどうにかして
これからどうするか考えて行こうとする人々は
貧しさが充分に身にこたえている人
または余裕があって情けをかけることが出来る大金持ち
自分のことのように悩んでしまい
人を見殺しには出来ない人々である
そう言う人もいるのだ
アジアフオーカスイン福岡映画祭は
人間くさい熱気がすごかった

投稿者 mari : 10:10

2006年09月13日

個人的映画寸評 「故郷の香り」

「故郷の香り」 

2003中国映画
監督 フォ・ジエンチイ
原作 モオ・イエン


「故郷の香り」を見たのは、アジアフオーカスイン福岡映画祭の
06・9月の協賛プレイベントで3度目になる
1週間毎日見ても味わい深い映画だ

誰もが持っている郷愁が、水の豊富な、朝晩靄(もや)の立ち込
める中国南方江西省の山村集落に生き生きと残っている
川の音、雨の音、村の水場に水が雨だれのように落ちて奏でる
音(水琴窟よりももっと自然で柔らかい)
土地全体の草木が風になびいて動いている
あぜ道が金色の稲穂の中を1本通っている
村人の娯楽は村人総出のブランコ、たまにやってくる京劇
みずみずしい野菜、自転車、藁こずみなどなつかしくて泣きたくな


大まかに言えばヌアン(女性)と、2人の男性の3角関係の悲恋物
語である
高校生の幼馴染のヌアン(女性)とジンハー(男性)がブランコに乗
り事故にあう
ヌアン(女性)は片足が不自由になり、京劇のスターを諦めざるを得
なくなる
ヌアン(女性)は京劇のスターの男性に憧れ恋をし裏切られてもいる

ジンハー(男性)は大学に受かり、村を去ってゆく
10年後に高校教師の用事で村に帰ってきたジンハー(男性)が幅の
狭い手作りの橋の上で、泥と汗まみれになり、疲れきった姿で足をひ
きずっているヌアン(女性)と再会する
ヌアン(女性)は村の耳の不自由なヤーバと結婚し女の子がいる
耳の不自由なヤーバ役は香川照之(母・浜木綿子 父・市川猿之介)
「故郷の香り」で東京国際映画祭最優秀男優賞を受賞
他の映画でも香川照之が場面に出ると、人生の傷口が見えてくる
中国語が分からないので言葉が音楽のように聞こえ、言葉の介在な
しで大地と1対1で交流でき、本能的な反応ができたそうである
ジンハーとヤーバの2人の男性がヌアンと女の子の前で心の動揺を
隠し切れずに酒を酌み交わす緊張感のある演技はすばらしい
でも普通裏切った女性の家庭を男性が10年ぶりに尋ねるだろうか?
山村集落の素朴な人情なのだろうか?
町に帰るジンハー(男性)を送ってゆくヌアン(女性)とヤーバ(男性・
耳が不自由)
その3人の心の葛藤としぐさは見ていると辛く、劇場のそこここで号
泣している人が大勢いた
横に流れている川が、濡れた苔と霧で編んだタペストリーのように
美しく、ピアニストの左手のようである
京劇の男性、大学に受かったジンハーは約束を破ってヌアン(女性)
を置き去りにしたけれど、耳の不自由なヤーバは嫌われながらもヌア
ンを愛し続けた
ヤーバは手話でヌアンと娘をいっしょに連れて行けと何度もジンハー
に繰り返すが、観客は自分の家族のことのようにそれを見て心配して
涙をぬぐっている
その劇場内部の観客と映画の一体化した場面もとてもよかった

「故郷の香り」の中から私にしみこんだ水の音が生きて生活している
外界の水の音と共鳴するようになった
これこそ映画に生かされた逆実感だ

投稿者 mari : 06:55

2006年09月02日

個人的いちゃもん映画評(1回目)

おすすめの映画がある一方で
普通に面白かったので最後まで見てはしまいましたが
そうおすすめでない映画もありました。
映画の素晴らしさとは関係なく、本人の好みなので
まあよろしいのではないでしょうか。
どのくらい面白くないのか確かめに行ってもらってもいいし
行ってみて面白かったのなら、それもよくて
全部が気に入るなんてことはないのが当たり前
何もかもを善意に取ってほめるだけだったら
その人は、そうしなくてはならない立場にあるか
事なかれの世間知らずから来る単一の精神構造の持ち主かも知れません
何かと気分が蒟蒻(こんにゃく)色の沼へずり落ちて行くような
紙で出来た服が雨で溶けて行くような
垂れ下がった紙がそのまま安易に滑稽に乾いてゆくような

映画3編

1)「花田少年史」  
  腕白少年が交通事故のあと幽霊と話が出来るようになる。
  幽霊のし残したことをやり遂げさせて昇天させる。

★原作の漫画本は全部持っています。 そのくらい漫画家の一色まことのフアンです。
  トリック撮影にあきあきしました。 どたばたにもあくび。 篠原涼子の主婦役の口
  先でしゃべる台詞がいまいち。 この映画と関係ないけれど原田知世もそう。


2)「ゲド戦記」

★風景も少年少女の悲しみも、挿入歌もとてもよかった。
 新人歌手の手嶌葵の声にはすがすがしい美しさを感じました。
 でも2回は見たくない。
 どこかしらもたついていて気持ちが寸断されてしまいました。
 クモ(魔女)の変身した怪物に凄味のある美しさが欲しかった。
 アニメ「少年猿飛佐助」に出て来た魔女は怪しさが渦をなして霧となり
 飛び散った霧が渦を巻いて、おどろおどろしく絶品でした。
 魔女の哀れな末路がいつまでも心に残るくらい闇の美がありました。
    


3)「ナミイと唄えば」沖縄最後のお座敷芸者


★ほほえましくて120(ひやくはたち)まで生きてがんばって欲しいおばあ。
  しかしどぼんとしていて力まみれで気持ち悪く2度と見たくない。
  おばあさん映画は下手すると同情心が湧いてきてすぐ褒めてしまいがち。
  難しいものがあります。
  山盛りされた古い饅頭を差別をなくそう会の総会で全部食べてしまった感じ。
  時々出てくる歌舞伎の黒子が場違いで邪魔。
  歌の美に対する欲望の燃えかすが残った。
  鋭い滝にでも打たれに行きたい。

投稿者 mari : 23:18