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2006年08月26日

「ヨコハマメリー」その後 続個人的映画寸評NO12

<記憶の共有遺産>


パソコンが故障し2週間ほどのんびりしていました。
福岡ではまだメリーさんの映画をやっています。
8月21日に写真集も買ってみました。
以下の文は8月5日に書いたものです。


ドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」個人的寸評NO10のあと、上滑り観が
ぬぐえず、疑問が生まれたりもしましたのでもっと詳しく考えてみて、付け加
えました。


監督の中村高寛氏(31歳)はドキュメンタリー映画でメリーさんの存在を矮小
化した実像を暴くことが目的ではありませんでした。
監督がメリーさんに出会ったのは、週末に伊勢崎町に映画に行っていた中学
生のころでした。
白塗りの厚化粧が怖かったし違和感があり、月曜日に学校に行くと、クラスが
メリーさんの話題で持ちっきりだったそうです。
1995年にメリーさんがぷっつりと消息を絶たので、ヨコハマの人々は戸惑い
安否を危惧しました。
監督もその一人で、メリーさんと交流のあった人をたずねて回り証言を集め始
めました。
でもその時はメリーさんのことを映画化することは考えていませんでしたが、そ
の後5年もかけて監督に証言者の映画を撮らせた動機はいったい何だったの
でしょうか?
メリーさんは、ハマっ子が共有できる記憶遺産だったと言えます。
この記憶の共有遺産が人間には必要なのです。
些細な私ごとながら、今夏、同じ地域で育った幼馴染みと45年ぶりに会い、共
通の知人(亡き人の方が多い)の話や共通の遊びの話をすることによって、再出
発の元気を取り戻せた体験があります。
介護施設などのオカリナ演奏のアンコール曲は必ず共有遺産曲の「ふるさと」で
す。
今日みんなと見た映画は、記憶の共有遺産なのではないでしょうか。
また監督は、メリーさんに関するドキュメンタリーでヨコハマの戦後の裏面史を浮き
彫りにしたかったのだそうです。


素朴な疑問ですが、メリーさんが白塗りに踏み切ったのはほんとうのところなぜな
のでしょうか?
何歳くらいから白塗りにしていたのでしょうか?
メリーさんの使っていた名前は西岡雪子。
メリーさんが横浜に来たのは1963年(40歳のはじめ)それまでは横須賀で米軍
将校相手の売春婦をしていました。
95年(74歳)まで現役で働いていたそうですが、70歳の白塗りのメリーさんを買う
男性はいたのでしょうか?
娼婦(パンパン)には唖の娼婦→押しパン 白人専門の娼婦→白パン 黒人専門の
娼婦→黒パンがありました。
お客を選ぶ条件は、めがね→地位が高い、太っている→金持ち、肌が黒い→健康 
でした。
日本人に声をかけるのは不名誉なことだったのはなぜだったのでしょうか?


子供のころ駆け落ちで逃げてきた近所のおばさんに、色町出身で三味線がうまい人
、もう一人は蝋燭の灯が消えるまで客をとっていた人がいましたが、日本人相手でし
た。
日本人でメリーさんに声をかけられたと言う男性がホームページにのっていましたが
、メリーさんを買ったと言うなまなましい証言はなかったですね。

メリーさんには気品があり、ほんとうに毅然としているように見えました。
とは言えメリーさんは心身共に時代の犠牲になり、虐げられ痛めつけられていたと感
じます。
なかなか品よく毅然とした境地にはなれないのが人間ですが、娼婦メリーさんには売
春しかなく生活をかけてやり遂げなければ水さえ飲めなかったでしょうから、気をしっか
り持って強気で生きてなければならなかったことでしょう。
そのメリーさんの姿勢がりんとしていたように見えたとしても、本人ではない人の、「メリ
ーさんは胸を張ってりんとしていた」とか、「毅然とした態度は気品に満ちていた」とかの
美化した褒め言葉には、そう想いたい人の安易な楽観性の混合を感じますね。
惨めで救いようのない事柄に、他人がそう言う感想を述べて美化した終わり方をするフエ
イドアウト文ってありますよね。
メリーさんはたまたま毅然としていた上品な女性でした。
これからは娼婦業だった人を神聖化することは止めて、同じ人間の受難者として見たいで
す。

中村監督のメリーさんのドキュメンタリー映画と言っても、メリーさんの動画はラストシーン
のみで、あとはすべて写真です。
セックスカウンセラーの清水節子さんもメリーさんの了解を得てドキュメント「ハマのメリー」
を作ろうとしていましたがトラブルで挫折しています。
フイルムは行方不明になっていますが、今回の興業が当たったので心当たりの方がもしい
たら、フイルム公開をしてくれませんか。


永登元次郎さん(シャンソン歌手・ゲイ)2004年死去されました
メリさんーは2005年1月17日(83歳)死去されました

投稿者 mari : 18:20

2006年08月11日

野田版「鼠小僧」 個人的映画寸評11

シネマ歌舞伎の第1弾
18代目中村勘三郎襲名記念
平成15年8月歌舞伎座で上演されたものを、映画館のスクリーンで上映しています


作・演出 野田秀樹(夢の遊眠社)
      野田はスピード感のある言葉遊びとリメイクで古典に新しい息吹を吹き込み
      若者から圧倒的な共感を得ている劇作家・演出家です。
      野田版「鼠小僧」の独創的なスペクタルは、若人は勿論のこと、レース帽の
      御婦人方、夫婦者、妙齢の女性、萎れた中年男女をも笑いの渦に巻き込ん
      でいます。
      摩訶不思議で夢のような着想がそれだけに終わらず、創作作品にまでなっ
      て生きて具現化し、皆を精神的な遊びに巻き込みます。
      野田秀樹氏の演劇作品の名前の1例「赤穂浪士・昆虫になれなかったフアー
      ブルの数学的帰納法」
      本の題名1例「ミーハーこの立場なき人々」「体でっかち」とかあります。
      面白そうでしょう!

例によって映画内容に準じて進める解説はやっていませんので、食指の動
く人は見に行って確かめてください。
同伴の相手に大声で映画の説明や種明かしをしている人、嫌がられていま
すよね。
中村勘三郎が、欲のかたまりで人にお金をほどこすと死んでしまうほどけち
な棺桶屋の三太(サンタクロースのサンタにも通じる)と鼠小僧の2役をやっ
ていて、小回りのきいた素早い動き(身振り手振り)で熱演しています(踊り
も名手)
中村勘三郎が演じる棺桶屋の三太こと鼠小僧が、奉行所のお白州で裁か
れる時に「私はいったい誰?」と早口で自問自答するとこが、役者さんの本
音とも思えユングのペルソナにもつながり、面白く感じられました。
早口で矢継ぎ早に言葉の網を次々に投げ打つことは今必要とされているこ
となのでしょうか(現代人を退屈させないため?)
はっきりと観衆を意識した役者さんの熱演で生まれた場の勢いが、台詞を飲
み込める状態を、劇場に来ている人々の中に作り上げます。
観客動員が成功しなければ、出し物がどんなによくても半分喜べません。
観客のエネルギーと役者のエネルーギーが交流できてこそ成功です。
そのためにはくるくるとうまく回ってくれる資金の輪が必要です。


名奉行大岡越前も登場、講談にも取り上げられている名裁きは、今回は奉
行自身が犯人にされそうになるので、自分を守るために嘘をつくようになり、
裁きの振り子が奉行に都合のいいように悪玉善玉に揺れます。
大岡越前にはお妾さんがいたのですが、しらばっくれた名言を吐く大岡にな
し崩しにされ、嘘がほんとうになり、事実が曲げられます。
大岡は直接手を下さず、判決に忠実であるまじめな部下に鼠小僧を殺させま
す。
人を殺さずとも心当たりのある観客が大いに冷汗をかき喜ぶ場面でした(おじ
さんたち大いに苦笑いする!でした)


奉行所での裁きの場面や江戸のにぎわう通りの場面には、ほとんど全員が
登場して台詞を言いながら自由な均衡を保ち、ものすごく気持ちのよい共鳴
エネルギーが舞台全体に放射されていました。
群衆に混ざった何人かの子供が、投げ捨てられたものを1人1つずつ拾って
退場するところがあり、子供のお母さんの心になって、沢山の観衆の前での
自然な動きの芝居をさせてくれた(この気分は先々の芝居に自然につなるの
で)演出家に感謝しました。
別名棺桶屋の三太こと鼠小僧のほどこし(小判の雨を降らす)を待ち続ける三
太と言う同姓同名の男の子がいますが、動物と子供には勝てないの言葉どう
りです。
劇中ではどんなことをしていても、1番先に気になるけなげな良心領域となっ
ています。
棺桶屋が鼠小僧に早代わりする時の、黒子の立ち回り(衣装を脱がせる)も
よく、斬新な衣装が内容に応じて変化するみごとさには目が留まりました。


最近、テレビや週刊誌を賑わした若手の女形の中村七之助(勘三郎の息子・居
酒屋で酒を飲みすぎて痴態を働いた)の演じる娘おしなは、声もよく白い着物の
艶やかなしぐさにはうっとりしました。
歌舞伎の女形の芯には男の強さも混じっていて、宝塚歌劇の女役とは全く違う独
特のスパッとした、しなやかな雰囲気があります。

また最近交通事故でやはりテレビや週刊誌を賑わした中村獅童は、幽霊の親玉
役で死に化粧で元気に(?)出ていました。
この2つの事件は8月5日からの封切りの観客動員には影響がなかったようです。
新派女優の波野久里子は中村獅童の叔母にあたり、中村獅童が売れない時には
何人かで小旅行を楽しんでいましたが、売れ始めてからはそれが出来なくなり文
句を言っていました(余談)

中村獅童は人気女優の竹内結子(映画「黄泉がえり」「天国の本屋・恋花火」)と昨
年結婚、男の子がいます。
なぜ知っているかと言えば何を隠そう竹内結子の映画は好きで見ているからです。
2人はアベックで超満員になった映画「今会いに行きます」(亡くなった妻が6週間
だけ現世の夫と子供に会いに戻ってくる映画)で共演。
初々しい役をつつましく演じていてとてもよかった。
現実に子供も生まれ、中村獅童の方は、昨年香港映画の「スピリット」に武道家と
しても出演していて人気上昇中です。


最近のフアンたちは、役者に清廉潔白さだけを要求するのではなく、人から指をささ
れるようなことに巻き込まれても温かく見守れるようになりました。
      
      
      

投稿者 mari : 13:51

2006年08月01日

「ヨコハマメリー」 個人的映画寸評 NO10

ドキュメンタリー映画
監督 中村高寛(30歳)
協力者 (大勢)直接関わりのあった人もなかった人も

顔面白塗りで、ブルーのアイシャドー、遠くからでも目立つものすごいメーキャップの
メリーさんは白いレース調のひらひらした衣装を身に着けたプロの仕事師(娼婦業)で
した。
顔面や手足の一部を白塗りにするのは、歌舞伎役者、舞踏家、ピエロなど、様々あり
ますが、それは素(ス)の自分を消して(殺して)別の人間になるための化粧です。
メリーさんの白塗り(仮面)は年を取ってからのものであったと言います。
年齢を隠すためなのか、目立つためなのか、何がそうさせたのか謎です。
街(歓楽街)がメリーさんの仕事場(舞台)でした。
ひっそり立ってはいるけれど、誰よりも目立たないと仕事にならないので、独特のあり
方をしており、でも誰でもかれでもが近寄ってきてくれても困るので、それなりのかわし
方もしたでしょう。
お客の選択権はメリーさんにありました。
裕福そうに見えて太っている米兵の将校さんがお好みでした。
遠くからその人(お客)が近づいてきた場合、メリーさんはこの人だと決め、全身の異様
な輝きと上品な声でその人を惹きつけたことでしょう。
どこからでもメリーさんが輝いて見えるメリーさん自身の見せ方(魅せ方)があったはず
で、それはこれ見よがしなものではなく、自然な雰囲気で身についていたのではないで
しょうか。
1人の無名の女性が敗戦後、生活のためにやった米兵相手の娼婦業でメリーさんと呼
ばれるようになり、だんだんに堂々としたメリーさんになってゆきました。
舞台の上での静・動の心身の狂乱は女優さんと同じではないでしょうか。
メリーさんが仕事をやめた後も、よい意味で輝きは失せず、毛穴から気品オーラのような
ものが発光しているのでした。
現在の援助交際(小・中・高生が小遣い稼ぎに中年の男性と寝る)のとは全然違ってい
ます。

化粧品店の奥さんが、メリーさんをお茶に誘っても、毅然とした態度で相手にしてくれな
かったのは当然のことです。
プロの仕事師にとって、仕事の最中に自分の出身地や家族を興味本位に聞かれ、本
名で呼ばれながら、日常のおしゃべりの次元でお茶飲みの相手をさせられることは避
けたいことです。
メリーさんが界隈の人と仲良くならないのは、美容院や喫茶店でメリーさんのために使
用した道具や、コーヒーカップを病気がうつるとい言って嫌がる人々がいるので、メリー
さんに声をかけてくれる親切な人たちが、自分と親しい知り合いだと思われないように
するためでもありました。
とても繊細な配慮ですね。
自分が、周りの人にどんな風に思われ、一部の人たちからどんな取り扱いを受けてい
たかはメリーさん自身が身にしみて分かっていたと思います。
米兵のたまり場であった根岸屋の女性の三味線奏者が、根岸屋の前にメリーさんが立
っていた時に、メリーさんを追い払おうとして喧嘩になったそうです。
彼女たちにはそれなりのうしろだてがあり組織もあるからメリーさんのような一匹狼の仕
事師よりも一応は生活が安定しているはずなのにいやなことしますね。
どちらもお客さん相手の仕事ですから、引くに引けませんよね。
メリーさんがプライドをもってりんとしていた、毅然としていたように見えたのはそれが本
業であり、年を取ってからの唯一ぎりぎりの生活の手段で本気で必死だったからです。
ふにゃふにゃして人を頼っていたら、背骨が抜けて仕事が出来ないからです。
メリーさんたちのおかげで一般の女性たちが守られていたと言う人がいる一方、スパイ
容疑もかけられていたそうですね。
メリーさんをヨコハマの風物詩と見るか、同じ人間の仲間の受難と見るか、それは自由
ですけれども。

アート宝飾ビル1階のトイレで化粧をしていたメリーさん。
そこのベンチがメリーさんの定位置でした。
パイプイスを2つ並べた上に、着の身着のままで横たわったりもしていました。
歳を取ってからのこんな寝方、人の目に天使とか死神とか妖精とか化け物としてうつっ
たでしょうが、生身のメリーさんにはものすごく辛くて苦しかったことでしょう。
メリーさんの荷物は大きなボストンバッグと紙袋、1人の部屋が欲しいといっていたそうで
すが、メリーさんには帰る家がなかったのですね。 
食事は? お風呂は?
ドキュメンタリー映画にはそんな場面は何にも写っていませんでした。
私が子供のころ「おこやん」と言う女乞食さんがいて、寺や神社、他人の家の軒下で暮ら
していて、仕事を手伝いおにぎりやおかずをもらっていました。
よくしゃべる人で人気者、「おこやん」のお風呂は勝手に湧いた無料の温泉でした。


シャンソン歌手の元次郎さん(癌を得ていた)が、郷里の介護施設に入ったメリーさん
を訪ね、「マイウエイ」を歌った時、映画館の部屋全体が揺れました。
みんなが元次郎さんと自分の死を意識して時間が生き生きとし、温かい涙が流れて
一時的に親しい友人どうしになった雰囲気になりました。(映画の一時的な魔法です)
介護施設のメリーさんは娼婦業のメリーさんではなく、別名の一女性になっていました
が、どの角度から見ても内側から輝きを発していました。
辛酸を嘗め尽くしたはての心身に後光がさしていたと言ってもいいでしょう。
介護施設には年に20回ほど行きますが、こんなに美しいおばあさんは見たことあり
ません。
メリーさんと元次郎さんの友情には本物を感じます。
映画を見ていない人は見て下さい。

投稿者 mari : 22:05